ご挨拶

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2009年4月22日 (水)

平成21年度 入学式式辞

皆さんごきげんよう

 校門の桜並木の桜も今の日を待ち、春爛漫の中、関東学園大学附属高等学校第52回入学式を、永島 武同窓会長様、並びに多数ご来賓のご臨席を賜り挙行できますことは、松平学園長を始め職員一同の喜びであり、心より感謝申し上げます。

 また保護者の皆様におかれまして、新しい制服を身につけたお子様の姿を頼もしく思い、成長の喜びをお感じのことと拝察すると同時に謹んでお祝い申し上げます。

 そして、新入生の皆さん入学おめでとうございます。

皆さんは、学園創設者松平浜子先生の教え「敬和・温順・質実」の校訓のもと50年の伝統を誇る本校に入学し、この場にいるということは、すばらしいことなのです。同時に大きな責任が生まれたということにもなります。今まで特別に何かを考えることなく小学校の六年間、そして中学校の三年間は、時の流れに乗り年を重ねることができました。しかし、今からは、自分の意思に基づいた中での生活に変えなければならないからです。それは「自ら考え、自ら行動し、自らを正す」このことが求められることなのです。

先ず、「自ら考える」ということです。人は「考える葦」と称したフランスの科学者パスカルが述べているとおり、他の動物にない優れた能力を備えています。パスカルの言葉をそのまま述べてみると、「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だがそれは考える葦である。」と言っています。「考える」ことをとったら、万物中でもっとも弱い存在だともいえます。考えることは創造(クリエイティブ)につながり、無限の喜びと想像(イマジネーション)を超えた可能性の扉を開くことが出来るのです。考えることから生活は楽しくなり、新しい発見にもつながるでしょう。若い豊かの能力を持つ皆さんの考える力を期待したいところです。

 次に「自ら行動する」ということです。場所を移動することは行動と言えません。今日皆さんが、喜びと不安を抱きながら入学式に向ったことが自ら考えた行動なのです。自分の確かな考えの中で身を動かすことが行動なのです。正しいと思うこと、今やらねばならぬことを取り組むことが行動なのです。小学校や中学校の時、「皆がやるから私もやる」ということが多々あったことと思います。確かに皆と同じことをやることは大切なことなのですが、逆にみんながやらないから私もやらないと言うのは問題が残ります。正しいと思うこと、やらなければならないことは自分一人でもしなければなりません。これが高校生になったと言うことなのです。

 しかし、自ら考え自ら行動する。これだけでは勝手な行動も含まれる危険性があります。「勉強よりゲームのほうが面白いから勉強をしない」ということにもなりかねません。そこで、自らの行動を顧みるということはとても重要なことになります。

「自らを正す」ということです。よかれと思った行動も、実は大変な過ちを犯していることがあります。高校に入学したということは、価値の基準や善悪の基準をしっかりと学び、体得することが求められるのです。

そこで、失敗を恐れ臆病になる必要はありません。失敗や過ちを正すことが、人の成長ともいえるからです。入学にあたり、「自ら考え、自ら行動し、自からを正す」ことをしっかりと捉えて欲しいと思います。

 さて、社会は世界的金融危機のあおりを受けた経済不況の中で、さまざまな現象が起きています。そこに報道される多くは暗いイメージを持つもので不安を煽ぎますが、私たちではどうすることも出来ません。百年に一度といわれている経済危機は皆さんにとってまさにホモ・サピエンス(知恵ある人に)になるチャンスと考えてください。

 ここでチャンスを良しとするための三つの言葉を贈りましょう。それは、「元気に・楽しく・真剣に」という言葉です。

 「元気に」とは、健康に留意したリズムある生活を心がけ心身ともに健康になることと捉えてください。特に朝を大切にし、「朝に勝つ」ことを心がけることです。

 「楽しく」とは、自分勝手な行動をしないで、相手の気持ちになって行動することと考えてください。今日、携帯電話は皆さんにとって必要なものの第一になっているようですが、便利で楽しい道具であるためには何をなすべきか考えてみれば、そこにはマナーがあり、礼儀があり約束がなければなりません。学園生活が豊かで楽しくあるためにも、約束が大切な要因になっているのです。高校生になったということは、約束をしっかりと守るという使命があることを心に留めてほしいとおもいます。次に

 「真剣に」とは、一つ一つを丁寧に取り組むことを考えてください。人はみなそれなりの資質と能力を持っています。一気に宇宙飛行士の若田幸一さんや野球のイチロウ選手、スケートの浅田真央さんになることが出来ません。しかし、人には少なくとも一つ、他の人にないものがあるはずです。それを丁寧に取り組む中で、捜し求めてください。

「自ら考え・自ら行動し・自らを正す」心の涵養の中、「元気で・楽しく・真剣に」取り組むことで、高校生活が豊かなものであるよう祈念し、式辞といたします。

      

平成21年度第一学期始業式 「新年度を迎えて」

 皆さんごきげんよう。

新しい年度が始まりました。そして、午後には189名の新入生を迎えます。喜びと不安を持つ1年生に「ごきげんよう」と語りかけ、暖かく迎えて欲しいともいます。また、部活動や勉強に目標を掲げ、計画を立て実行することも自ら取り組み、後輩に教えてやってください。

先日、私の知る青年が次のようなことをはなしてくれました。「物理的なこと以外だったら、私たちは何だってできる。私たちは可能性の生き物だから」人は一つのことしかできないというのは嘘だよ。「やろう」って言う気持ちがあれば絶対できると思う。可能性を突き進むその気持ちさえあれば絶対絶対成功するよ。たとえ成功しなくとも、それに近い知識や何かが得られるから。さらにその青年は、「大変」と言う言葉は「自分を大きく変える」という意味を持つ言葉ではないですかと、目を輝かせて話してくれた。この青年の姿勢はなんとすばらしいことではありませんか。今皆さんは可能性に力強く向かっていますか。大変ということに真正面から向かっていますか。

3年生はあと7ヵ月後には、進路が確定する者も出てきます。しっかりとした目標を掲げ計画を立て、果敢に取り組んでください。そのとき、先ほどの青年の言葉のとおり、可能性を信じ、大変に向かい自分を大きく変えて見ようではありませんか。

 2年生も中だるみといわれる学年です。学校にも慣れ要領を覚えてきました。でも、将来の自分を描き、小さな努力を積み重ねて欲しいと思います。午後の入学式では、皆さんとの合言葉「元気で・楽しく・真剣に」について話をしたいと考えています。いうまでもなく、人は健康第一です。規則正しい生活の中か元気を培ってください。また楽しく生きるということは、「自分の身勝手さ」を押さえることから始まることを心に止めて置いてください。真剣にということは、私は物事に真正面から向かい、一つ一つ丁寧に取り組むことと考えています。部活動や学校行事等で先輩として「元気で楽しく真剣に」の言葉を持って後輩を教えてやって欲しいとおもいます。

 今年度は、創立100周年へ向かってのスタートの年でもあり、昨年の創立50周年で我が関学に地域の方々は関心を持ってきました。皆さんの作り出す関学パワーを他の高校にさらには地域の方々に見せようではありませんか。そのためにも、部活動と学習に真剣に取り組んでください。

 ごきげんよう。

2009年1月30日 (金)

おかしくないか 文型、理系

1月30日(金)

 センター試験も終わり、いよいよ大学入試本番である。生徒に進路指導をする中で、クラス編成、コース選択、教科選択等で文系・理系という言葉が進学校には横行している。戦後復興期の社会においては合致もしようが、昨今の進路指導に文系・理系という言葉が妥当であるか疑問を感じている。だいぶ昔になるが、OR《オペレーションリサーチ》が経済学に取り入れられたことを思い出す。まさに数学の導入である。今や金融工学という学問も存在し、世界経済に関与していると聞く。大学が学問を癒合し学科改編するのを見るに、すべての学問をミックスした感すらある。すなわち、学問の背景にはすべての知識がなければいけないのだろう。

 ただしくは、自然科学系・人文科学系・社会科学系と大きなくくりで進路を考えさせることが必要であり、数学ができるから理系、国語ができるから文系ではないだろう。

 こんなことを考えつつ、東工大教授で歴史学者の山室恭子先生の話を思い出した。まさに文化系の教師として、理科系の大学で授業をした奮闘記である。その授業は題を決め生徒が文章を書き、それを受講生が評価するというものだ。ここでは、その取り組みを示すのでなく、授業を受けた学生のセンスを紹介したい。

お題「数」

     「ぐぅの国」でブランコをこぎながら「れーくん」が

     「にーくん」に悩みを打ち明ける。「僕って、ぐぅの国

にいてもいいの? みんなと遠くない? 分数の下の

ほうにもなれないし」「えっ(ドッキ)そうだっけ」

「そうだよ、みんな爆発しちゃうじゃん」「あっ でも、

きぃの国のいっくんも分数の下になれないじゃん」慰

められて安心したれーくん、「じゃあね。ばいばーい」

      (倍々?)えっ(にーくん消滅)あっ(れーくんウッ

カリしてた)れーくんの苦悩は続く……

東工大にメルヘン登場である。いわゆる国語が出来て文型となった人には理解しがたい文章で、数学が出来て理系にいった人にはなかなか書けないだろう。これを書いた学生の受けた進路指導を知りたいものだ。

2009年1月29日 (木)

当たらない お年玉付き年賀はがき

1月29日(木)

 お年玉付き年賀はがきの当選番号発表があった。いつもこれを楽しみにしている。それは、お年玉を期待すること共に、頂いた賀状を読み返すことができるからである。期待しつつ番号を合わせるが、なかなか合うものではない。今年は当選番号と1違いのものが沢山あり、結果的に下二桁で合ったものが4枚だけであった。当たりの確率は過去最悪で、1違いが悔やまれた。なぜ悔やむのだろうかと考えつつ、人生こんなものだと教えてくれているようにも思えた。人が生きていく中、1つ違いで明暗が分かれることはいくらでもある。受験生にとって入学試験がまさにそれであろう。その悔しさを持たぬよう日々努力をして、それを持続することが大切なのだ。

 先日3年生最後の進路学習の時間に話をすることとなった。その骨子は

(1)人の出会いは人生の力

(2)何事にも真正面から向う 

ということで、「ただひたすら」というキーワードを以て話をした。

お年玉付きの一つ違いの悔しさはまだいいだろう。しかし、人生において一つ違いの悔しさだけは持ちたくない。生徒たちに「ただひたすら」と説いたが、情報過多の世の中で、この言葉が埋もれないことを願っている。

2009年1月28日 (水)

母校を思うペンダント

1月28日(水)

 先週の土曜日に、本校同窓会新旧役員が交代しての新年を祝う会があった。役員といえ同窓生である。思い出に花が咲いたことはいうまでもない。親しく話をしていく中で、ひとりのご婦人が胸につけたペンダントについて話してくれた。卒業してから恩師との交流の中で贈られた物という。思い出の詰まった小さな彫金のペンダントは、特別な魅力を発していたことはいうまでもない。教師が生徒を教えるということは何か、考えさせられた一時であった。ご婦人は、本校の行事に参加するときはいつも身につけるという。

 3年生は卒業まで一ヶ月あまり、3年間の学園生活の中から世界に一つしかないペンダントを見つけ、胸に飾って欲しい。

2009年1月21日 (水)

笑顔のある学園

1月21日(水)

 放課後は生徒の笑顔がまぶしい。ほほえみながら職員室に入る生徒に、「なにか良いことあったかな」と話しかけると、「いつも良いことばかりです」と答えが返ってきた。

明日は第二回特待入試等の発表の日である。こんな生徒のいる本校に入学してくれることを願っている。

2009年1月19日 (月)

蕗の薹

1月17日(土)

 「襲ねたる むらさき解かず 蕗の薹」、後藤夜半のこんな俳句を目にした。年明けの庭先に、実は十数個の蕗の薹が顔を出していた。寒い時期、良くぞと思いつつ、何回もそれを数えた。植物たちは忘れず新しい季節を迎えている。まだまだ風の冷たいこの時期に春を感ずることはできないが、福寿草や蕗の薹は春を告げる言葉であり花でもある。今日はセンター試験の初日だ。寒さ中の試験であるが、受験生にとって春を告げる季語となるよう祈っている。

 ※ 襲ねたる=かさねたる

根を張るために

1月16日(金)

 寒い日が続いている。出勤前に庭の手入れをするのが日課であり楽しみの一つである。この時期何をするのか不思議に思うかもしれないが、植木を見るということも手入れの一つと考えている。弱った木に「元気出せよ」と声をかけることもある。端から見ているとおかしいかもしれないが、植え替えた樹木を枯らしたことはほとんどない。生徒を見守ることや生徒との語らいを教育の根源におくべきと感じた朝だった

2009年1月14日 (水)

教育の十分性(心地よい敗北)

1月14日(水)

 新しい年が始まり、入学試験等々で忙しい日が続いた。朝のこの時間にホッとすることはあまりないが、今朝は朝日を浴びながらお茶を飲んでいる。若い頃から午前の10時台、午後1時台の時間帯が無性に好きであった。皆が忙しく動く時に、心の中でそこを抜け出し、しばし人の流れを見ることで豊かになる自分を知っていたからだ。贅沢なことであろうが、一瞬でもこのように感じる姿勢を持ち続けたい。

 ゆとりのあるときには生徒にも心が通じるのか、1時間目が終え教室の戻る3年生のT君が、庭側の窓を叩いてあいさつをしてくれた。K君はある企業への就職が決まっているが、将来に大きな希望を持ち、その思い語ってくれた。若者に夢をもたせるのが社会であり、学校でなければならないだろう。授業を生徒にとっての必要性とするならば、生徒にとっての教育の十分性をしっかり考えるのも学校の使命であり、夢を育む心を醸成するのでないか。3年生は間もなく社会へ巣立つ。その社会は夢を描けるような状況ではないが、こういう時代だからこそ、教育の十分性が問われてくるのでないだろうか。

 校長室に3年生の美術の時間の作品(小物入れ)が数個飾ってある。彫刻を施したもので、高校時代の思い出を詰め込むにふさわしい作品である。その中にM.Tさんのウサギとキノコの図柄の作品が、愛らしさとファンタジックな雰囲気を与えている。偶然にもM.Tさんとこんなことがあった。週末に燃えるごみは自宅に持ち帰り、庭の落ち葉と共に処分している。校門で帰り際の生徒に、「自分のごみを自分で処理する」心得を説いた。しかし、一人の女生徒が、紙はキチンと伸ばし重ねて古紙利用を考えたほうがいいのではないかと話してくれた。今に生きる大切な心得を持った生徒がいることに快い「敗北を」を感じた。この生徒が実はM.Tさんであったことも、教育の十分性を感じた瞬間だ。

2008年12月12日 (金)

結婚式に贈る「歓喜の歌」

12月13日(土)

 本校K先生の結婚式の日である。招待を受けたが欠席の返事を書かざるを得なかった。結婚式の欠席は初めてのことである。それは、館林第九合唱団と群馬交響楽団の公演の日と重なってしまったからだ。この会の代表として、120名での合唱を成功させるための務めで許し乞うた。

 ベートーベンの第九合唱は何年やっても難しく大変なものだが、今回はK先生の結婚と将来の幸せを祈りつつ「歓喜の歌」を歌いたいと思う。

 K先生おめでとう。

Freudeschöner  Götterfunken , Tochter aus Elysium,

         Wir betreten  feuertrunken,Himmlische, dein Heiligtum!