ご挨拶

教育

2009年4月22日 (水)

平成21年度第一学期始業式 「新年度を迎えて」

 皆さんごきげんよう。

新しい年度が始まりました。そして、午後には189名の新入生を迎えます。喜びと不安を持つ1年生に「ごきげんよう」と語りかけ、暖かく迎えて欲しいともいます。また、部活動や勉強に目標を掲げ、計画を立て実行することも自ら取り組み、後輩に教えてやってください。

先日、私の知る青年が次のようなことをはなしてくれました。「物理的なこと以外だったら、私たちは何だってできる。私たちは可能性の生き物だから」人は一つのことしかできないというのは嘘だよ。「やろう」って言う気持ちがあれば絶対できると思う。可能性を突き進むその気持ちさえあれば絶対絶対成功するよ。たとえ成功しなくとも、それに近い知識や何かが得られるから。さらにその青年は、「大変」と言う言葉は「自分を大きく変える」という意味を持つ言葉ではないですかと、目を輝かせて話してくれた。この青年の姿勢はなんとすばらしいことではありませんか。今皆さんは可能性に力強く向かっていますか。大変ということに真正面から向かっていますか。

3年生はあと7ヵ月後には、進路が確定する者も出てきます。しっかりとした目標を掲げ計画を立て、果敢に取り組んでください。そのとき、先ほどの青年の言葉のとおり、可能性を信じ、大変に向かい自分を大きく変えて見ようではありませんか。

 2年生も中だるみといわれる学年です。学校にも慣れ要領を覚えてきました。でも、将来の自分を描き、小さな努力を積み重ねて欲しいと思います。午後の入学式では、皆さんとの合言葉「元気で・楽しく・真剣に」について話をしたいと考えています。いうまでもなく、人は健康第一です。規則正しい生活の中か元気を培ってください。また楽しく生きるということは、「自分の身勝手さ」を押さえることから始まることを心に止めて置いてください。真剣にということは、私は物事に真正面から向かい、一つ一つ丁寧に取り組むことと考えています。部活動や学校行事等で先輩として「元気で楽しく真剣に」の言葉を持って後輩を教えてやって欲しいとおもいます。

 今年度は、創立100周年へ向かってのスタートの年でもあり、昨年の創立50周年で我が関学に地域の方々は関心を持ってきました。皆さんの作り出す関学パワーを他の高校にさらには地域の方々に見せようではありませんか。そのためにも、部活動と学習に真剣に取り組んでください。

 ごきげんよう。

2009年1月29日 (木)

当たらない お年玉付き年賀はがき

1月29日(木)

 お年玉付き年賀はがきの当選番号発表があった。いつもこれを楽しみにしている。それは、お年玉を期待すること共に、頂いた賀状を読み返すことができるからである。期待しつつ番号を合わせるが、なかなか合うものではない。今年は当選番号と1違いのものが沢山あり、結果的に下二桁で合ったものが4枚だけであった。当たりの確率は過去最悪で、1違いが悔やまれた。なぜ悔やむのだろうかと考えつつ、人生こんなものだと教えてくれているようにも思えた。人が生きていく中、1つ違いで明暗が分かれることはいくらでもある。受験生にとって入学試験がまさにそれであろう。その悔しさを持たぬよう日々努力をして、それを持続することが大切なのだ。

 先日3年生最後の進路学習の時間に話をすることとなった。その骨子は

(1)人の出会いは人生の力

(2)何事にも真正面から向う 

ということで、「ただひたすら」というキーワードを以て話をした。

お年玉付きの一つ違いの悔しさはまだいいだろう。しかし、人生において一つ違いの悔しさだけは持ちたくない。生徒たちに「ただひたすら」と説いたが、情報過多の世の中で、この言葉が埋もれないことを願っている。

2009年1月19日 (月)

蕗の薹

1月17日(土)

 「襲ねたる むらさき解かず 蕗の薹」、後藤夜半のこんな俳句を目にした。年明けの庭先に、実は十数個の蕗の薹が顔を出していた。寒い時期、良くぞと思いつつ、何回もそれを数えた。植物たちは忘れず新しい季節を迎えている。まだまだ風の冷たいこの時期に春を感ずることはできないが、福寿草や蕗の薹は春を告げる言葉であり花でもある。今日はセンター試験の初日だ。寒さ中の試験であるが、受験生にとって春を告げる季語となるよう祈っている。

 ※ 襲ねたる=かさねたる

根を張るために

1月16日(金)

 寒い日が続いている。出勤前に庭の手入れをするのが日課であり楽しみの一つである。この時期何をするのか不思議に思うかもしれないが、植木を見るということも手入れの一つと考えている。弱った木に「元気出せよ」と声をかけることもある。端から見ているとおかしいかもしれないが、植え替えた樹木を枯らしたことはほとんどない。生徒を見守ることや生徒との語らいを教育の根源におくべきと感じた朝だった

2009年1月14日 (水)

教育の十分性(心地よい敗北)

1月14日(水)

 新しい年が始まり、入学試験等々で忙しい日が続いた。朝のこの時間にホッとすることはあまりないが、今朝は朝日を浴びながらお茶を飲んでいる。若い頃から午前の10時台、午後1時台の時間帯が無性に好きであった。皆が忙しく動く時に、心の中でそこを抜け出し、しばし人の流れを見ることで豊かになる自分を知っていたからだ。贅沢なことであろうが、一瞬でもこのように感じる姿勢を持ち続けたい。

 ゆとりのあるときには生徒にも心が通じるのか、1時間目が終え教室の戻る3年生のT君が、庭側の窓を叩いてあいさつをしてくれた。K君はある企業への就職が決まっているが、将来に大きな希望を持ち、その思い語ってくれた。若者に夢をもたせるのが社会であり、学校でなければならないだろう。授業を生徒にとっての必要性とするならば、生徒にとっての教育の十分性をしっかり考えるのも学校の使命であり、夢を育む心を醸成するのでないか。3年生は間もなく社会へ巣立つ。その社会は夢を描けるような状況ではないが、こういう時代だからこそ、教育の十分性が問われてくるのでないだろうか。

 校長室に3年生の美術の時間の作品(小物入れ)が数個飾ってある。彫刻を施したもので、高校時代の思い出を詰め込むにふさわしい作品である。その中にM.Tさんのウサギとキノコの図柄の作品が、愛らしさとファンタジックな雰囲気を与えている。偶然にもM.Tさんとこんなことがあった。週末に燃えるごみは自宅に持ち帰り、庭の落ち葉と共に処分している。校門で帰り際の生徒に、「自分のごみを自分で処理する」心得を説いた。しかし、一人の女生徒が、紙はキチンと伸ばし重ねて古紙利用を考えたほうがいいのではないかと話してくれた。今に生きる大切な心得を持った生徒がいることに快い「敗北を」を感じた。この生徒が実はM.Tさんであったことも、教育の十分性を感じた瞬間だ。

2008年11月19日 (水)

選ばれた喜び

11月19日(水)

 真っ青な空の静かな朝、校門につながる桜並木はその葉をほとんど落とし、落ちた葉の中には見事な紅色のものもあった。それを拾い、本にはさんだ。この年になってそんな自分に、少し照れる。生徒は颯爽と校舎に向っていくが、先生方は体を丸めその姿が対照的だ。こういう日は忙しい中にも、ゆっくりとした時間を感じる。

 

 そんな時、3年生の男子が校長室に来た。「校長先生、入試に面接があるのですが面接をしてもらえますか」ということだ。その生徒たちは、部活動や学校行事に積極的に活躍し、「自ら考え、自から行動し、自らを正す」ことの出来る生徒で、私が求める生徒たちである。そんな生徒から選ばれたことはうれしい。今日は大変な仕事が山積しているが、力が湧いてきた一瞬である。

2008年11月12日 (水)

校長室の窓

11月12日

今朝は校門の前に出て、生徒たちとあいさつを交わした。生徒たちの元気なあいさつは、一日のパワーをもらうようである。運動部で頭を丸めていた生徒も、3年生のこの時期になると雰囲気が変わってくる。元気な姿とその変化に、時の流れを感じる瞬間でもある。

 また、校長室から下校時の生徒を見ていると、部活引退の3年生の姿が目に付く。「ごきげんよう」とあいさつされると、生徒の将来の姿が浮かんでくる。うれしさの中にも少し寂しさを感じる。校長室の透明な窓ガラスは、スクリーンの役目も果たしている。外から見た映像はどんなものなのか。筑波山のガマさんとなっていなければ良いのだが。

2008年9月 9日 (火)

9月3日

 校長室の前で1年生の女子に会った。入学時に部活動に何を選ぶか相談に来た生徒であったので、親しく「ごきげんよう」とあいさつを交わした。M先生を探しているとのことだ。M先生は生徒指導担当の先生なので、これはと思い「何かいけないことがあるのかな」と話しかけると、「髪の色がいけないと思います」と自ら答えてくれた。高校時代は規則がうるさいものだ。決められたことからはみ出たり、背を向けることがあるだろう。しかし、自分のいる場所・時間・やるべき事を考えたとき、恣意的思考を捨てる気構えは大切なものであり、人としての強さを培うことになると考えている。

 1分足らずの会話であったが、成長する生徒を見てうれしく思った。