2018-06-14

中国はどのようにして経済成長へ踏み出したのか - 金 花 講師

 今日,中国は急速な経済発展を実現し,世界から高い関心を集めている。例えば,ファーウェイ,アリババ,レノボなどの中国企業のニュースは毎日のように取り上げられている。そして,これらの企業は世界的にも先進的な企業として見られることも少なくない。しかし,中国におけるハイテク産業は,近年になって突如現れたわけではない。そこには数十年にわたる背景が存在しているのである。

 そもそも経済発展を新たに成し遂げるためには,その国の従来の戦略とは異なる経済上の対応が求められる。すなわち,経済発展には産業を創出すること,特に現代ではハイテク産業を創出することが重要である。中国の経済発展においても,勿論,ハイテク産業への取り組みが進展してきたのである。

 しかし,ハイテク産業を創出するといっても,市場経済が依然として未成熟な社会においては,それは容易な取り組みではない。かつての中国もそのような状況にあった。1978年に改革開放が実施された時点において,それまで計画経済体制の下にあった中国の企業には,産業を創出し牽引できるだけの十分に自立的な能力があったとは言えなかったのである。では,ハイテク産業の創出が求められながらも,その時点で既存の企業がその担い手になり難いという問題に,中国はどのように取り組んだのだろうか。

 この点については,中国では1978年の改革開放以降,国家主導的にハイテク産業の発展戦略を推進し,その戦略の中に産学官の連携が取り入れられた点が特徴的であった(下表参照)。例えば,ハイテク技術の開発を目指した「863計画」や,その産業化を目指した「タイマツ計画」などが代表的なものとして挙げられる。従って,中国の産学官連携は,国家戦略上,企業の産業創出能力の不足を補い産業の創出と成長の加速に貢献すべきものとして位置づけられてきたのであり,中国のハイテク産業化の展開には,産学官連携が密接に関わってきたのだと言える。

ハイテク産業と産学官連携に関する主要な政策の推移
1978年 鄧小平によるスローガン「科学技術は第一の生産力である」
1978年 改革開放
1985年 科学技術体制改革に関する中共中央の決定
1986年 ハイテク技術発展計画:通称「863計画」
1988年 火炬(タイマツ)計画
1993年 中国教育改革と発展要綱
1995年 「科教興国」戦略

(出所)筆者作成

 政府の政策のもとでハイテク産業の創出が目指され,また,育成政策の実施の中で産学官連携に重要な位置づけが与えられることとなった点を指摘したが,当然ながら,その要請に大学や研究機関がどれだけ応えようとするのかという点も重要な点である。結論を先取りすれば,中国においては産学官連携が発展したが,その背景には,大学制度の改革の中で生じた大学を巡る環境の変化があった。中国では,計画経済から市場経済への転換過程において,高等教育体制についても改革が行われた。そこでは,競争原理の導入により,より重要視される大学・学科が明確化され,一方で大学経営の自立化が進められることになったのである。特に後者の点から,大学側も産学官連携に積極的に対応すべき状況が生まれていたのである。

 現在は民間企業も成長を遂げ,世界的に注目を集める企業が多数生まれている。しかし,そうした企業が生まれるまで経済成長に向けた推進力となったものが産学官連携だったことは見逃せない点である。今日の知識社会では,トリプルヘリックス理論(Etzkowitz,2008)で議論されるように,大学・産業界・政府の相互作用がイノベーションの創出と成長における鍵だとされているが,中国においてはこうした作用を経済成長に向けた初期段階で発揮し,今日の社会に向けた第一歩としたのである。