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2010年1月20日 (水)

事業仕分けとスポーツ・大学体育

天野勝弘 准教授

 はじめに:前半部分は飛ばしても構いません。後半部分を述べる理由作り部分ですので。その意味で、タイトルもややこじつけです。

 昨年行われた政府の事業仕分けで、スポーツ関連について話題を呼んだのは、仕分け人から「五輪は参加することに意義があるのではないか」「ボブスレーなどマイナーな冬季競技を支援する必要があるのか」などというマイナースポーツ切り捨て論が出たことである。これらを理由として、結局32億円あまりの日本オリンピック委員会への補助金が削減された。これに対して、マイナースポーツ関係者からは一斉に批判の声が上がった。とりわけ、北京五輪のフェンシング競技で銀メダルを獲得した太田雄貴は、「強化と普及」、「マイナースポーツの現状」という観点から異論を唱えた。

 スポーツの経済性は、近代化の過程の中で、スポーツの有する勝・敗という2次元コードが商業化され、それをとりまくスポーツ経済社会ができあがったことを考えれば、なりたつ議論である(競技スポーツ)。かつて、女子プロゴルファーの上田桃子が、テレビ番組で「先のないスポーツ」発言をして物議を醸したことがある。彼女がゴルフを始めた動機は、ゴルフでお金を稼ぐことにあった(障害のある姉がいるためと説明)。その意味で、プロとよべる世界がない、あるいはあったとしても十分でない「先のないスポーツ」を、友達が一生懸命していることがわからなかったというのである。当然のことながら、名指しされたスポーツ団体を始め様々なところから批判が寄せられた。その後上田は「私にとっての先のないスポーツ」という意味であると釈明するとともに、彼女の発言で傷ついた方々にお詫びするとの謝罪コメントを発表している。

しかしながら、そもそもスポーツは、本来的意味では遊技であり(レクレーショナル・スポーツ)、経済的効率性とはなじまないものである。音楽や他の芸術と同じように、生きていきためには不可欠かと問われれば、NOと言わざるを得ない。大学で行われているクラブ活動も、社会の注目を集めている一部のスポーツを除けば、レクレーショナル・スポーツである。大学時代にかなりの成績を残したとしても、卒業後にその競技で食べていかれる人はほんの一握りである。生きることすら不安な経済情勢にあっては、そうした遊びは切り捨てられる方向にある。そこで、そんなことを大学時代に真剣にやる意味があるのかという意見は多い。そもそも、教育(大学)も経済性とは縁遠いところにあるが、今日では大学にも求められている。これまで、あまりにも効率と言うことを考えてこなかった“つけ”が回ってきているということは認めるが、事業仕分けに代表されるような、経済効率性一辺倒の考えはとても容認でるものではない。

 ひとりの女子学生が私のところに質問にきた。その授業では、期末にレポートを提出させている。課題は「自分のためのトレーニング・メニューを作る」というものである。まず、トレーニングの目的をはっきりさせ、その目的実現のための具体的内容と根拠を示さなければならない。

彼女が作ろうとしているメニューは(水)泳力を養うもので、フィン(足ヒレ)をつけて300mの距離を目標タイム以内で泳ぐためのものであった。現在、彼女は、後半バテてしまうことが原因で、そのタイムをクリアできないという。では、なぜそのような泳力が必要なのか、それはスキューバ・ダイバーの初級の資格を取得するためである。ではなぜその資格なのか。

彼女は小さい頃から(たぶん小学生)、両親に連れられて、毎年沖縄の離島に遊びに行っていたそうだ。そこで目にし、知ったことは、きれいなサンゴ礁が年々失われていく光景であった。今、彼女はサンゴ礁を守ろうと考えている。そうした仕事(まだ具体的ではないようだが)に就きたいと考えている。

サンゴ礁消滅の危機は、人間の出す生活排水だったり、開発による海への土砂の流入だったりする。人間が生きていく、生活していく上では仕方ない部分もある。彼女もこのことを認めている。しかし、両者の折り合いをつける線や方法が必ずあると信じている。また、それを見つけたいと願っている。

彼女がその仕事に就くためには、サンゴを直接調査できなければならない(と彼女は考えている)。そこで、先のスキューバ・ダイバー初級の資格を今(1年生で)とりたいのだという。

人間とサンゴとの折り合いをつけるということは、経済的効率性という視点も含まれるだろう。しかし、彼女が抱いた夢は、そんなところからは生まれていない。

彼女は、子どもの頃に出会ったかけがえのないものを守りたいという夢を抱いて、その実現に向けて、今できることをしている。

事業仕分けや経済的効率性からは決して生まれない、このような行動があるということを、いつまでも忘れないでいたい。

2010年1月19日 (火)

エコカーと技術開発

経済学部 間普崇 講師

 最近は、エコカーに関する話題に接する機会が増えている。エコカーとは、排気ガスが少なく燃費のよい環境性能に優れた車のことをいうが、エコカーに対する減税や補助金の制度が運用されていることもあり、各自動車メーカーがいかにエコカーに力を注いでいるかはテレビCMを見てもよくわかる。街中でも、トヨタ・プリウスやホンダ・インサイトといったガソリンエンジンと電気モーターを搭載したハイブリッド車をよく見かけるようになった。

 自動車メーカーが環境性能のよいエコカーを生み出すには、新しい技術(例えば、効率のよい電気モーター・システム)が必要とされるが、自動車メーカーに限らず多くの製造業企業は、技術開発を実現するための研究開発活動に取り組んでいる。企業の研究開発活動は、これまでになかった新しい技術を発明することを主な目標としているため、一般的に技術開発を実現するまでに長い期間(数年~十数年)がかかるものである。初代プリウスは、90年代初めから開発がスタートされ、量産体制を確立して販売が開始されたのは1997年であった。

 会計の視点からいうと、企業の研究開発活動への取り組みは「研究開発費」という費用支出の金額によって知ることができる。企業の「研究開発費」は、その企業がどれだけ将来のために投資しているかを表しているといえる。なぜなら、先に述べたように技術開発の実現には長い期間がかかるため、現在の「研究開発費」が企業に収益をもたらすのは数年(あるいは十数年)後になるためである。

「研究開発費」の金額を短期的な視点(その年限りの見方)で見ると、その金額が少ない方が、その金額分だけ利益が大きくなるのでよいと判断できる。ただし、長期的に見た場合には、「研究開発費」という将来への投資を全くおこなわない企業が、近い将来に競争力を失って利益を獲得できなくなるであろうことは容易に想像できよう。「短期の視点」と「長期の視点」という見方の違いを理解し、これらを適切にバランスさせることが重要なことである。

学生の皆さんには、物事を複眼的に見ることと、将来のための今やるべき努力を粘り強く続けていくことを期待しています。

2010年1月14日 (木)

普天間基地移設問題と八ツ場ダム問題――NIMBYが問いかけるもの

経済学部 松林 秀樹 講師

 普天間基地の移設問題と八ツ場ダムの問題。

 一見すると、昨年の後半から話題になっているということ、および民主党政権の今後の対応に注目されるということ以外に、特に共通点はない問題のように思えるかもしれない。しかし、この2つの問題には、共通して考えるべきテーマが隠されている。

 まずは、それぞれの経緯を簡単に見ておこう。

 普天間基地は、太平洋戦争における沖縄戦のさなかに、アメリカ軍によって占領された現在の宜野湾市に飛行場が建設されたことに端を発する。その飛行場は終戦後も維持され、1950年代以降、アメリカ陸軍(現在は海兵隊)の基地として整備されていった。その後、1995年にアメリカ兵が日本人女性に対する暴行事件を起こし、沖縄全体で基地反対・返還運動が起こったこと、および2004年に普天間基地のヘリコプターが近隣に墜落する事故があったことなどをきっかけとして、辺野古崎沿岸部への移設が日米間で合意された。しかし現在の民主党政権は、日米合意の再検討を示唆し、今年の5月まで結論は先送りされたままになっている。

 八ツ場ダムは、1947年のカスリーン台風による大きな被害を教訓として、利根川の上流にダムを築いて下流域の洪水被害の軽減を図るために1949年に計画されたダムである。計画当初はそうした治水面のほか、人口の増加が予想される首都圏の水源(利水)としての役割も期待された。その後、支流から強酸性の水が流れ込んでいることから計画は一時中断されたが、水質改善策が功を奏したことにより、1967年に現在の場所にダムを作る計画が決定された。その直後から水没する地域を中心としたダム建設反対運動が起こり、行政と住民の対立が続いていたが、その転機となったのが、1973年に制定された「水源地域対策特別措置法」および1980年に行政より提出された「生活再建計画」であった。これらに基づき、行政と地元住民の話し合いが行われ、1992年に「八ツ場ダム建設事業に係る基本協定書」および「用地補償調査に関する協定書」が締結されたことにより、ダム建設が前進することになった。しかし、近年の公共事業の見直し論や、昨年夏の衆議院選挙によって政権党となった民主党がマニフェストのなかで八ツ場ダム建設中止をうたっていたことから、予算規模も含めてダム建設の是非が問われるようになっている。

 この2つの「問題」から、はたして何が見えてくるのか。

 ここで、サブタイトルに挙げた“NIMBY”という概念が登場してくる。NIMBYとは“Not In My Back Yard”という言葉の頭文字をとったもので、直訳すれば「裏庭はやめてくれ」ということになる。その意味するところは「(基地やダムなどの)施設が必要で、どこかになければならない、というのは分かる。でも、作るとしても自分のところはやめてくれ」という考え方である。

NIMBYという概念は、原子力発電所、産業廃棄物の処理場、火葬場など、一般的には「迷惑施設」と呼ばれるものが建設されようとする場合に登場してくる。上記の通り、そういった施設がなければいろいろと問題が発生することは分かるが、だからといって何も自分のところでなくてもいいだろう、という考え方のことだ。一般的にはダムを迷惑施設に分類することはないが、「なぜ他の地域の生活・産業のために自分のところが水没しなければならない?」という疑問は、NIMBYとして分類することができるだろう。こうした考え方は、「総論賛成、各論反対」という言葉でも表現される。

アメリカ軍の基地は、(良いか悪いか、およびその存廃をめぐる議論はひとまずおいて)戦後日本の安全保障体制を支えてきたものであり、(現状では)どこかになければならない。ダムにしても、電力供給という側面も含めて、まったくいらないというものではない。つまり、どこかで誰かが不利益を被る必要が出てくるのである。

実は、こうした状況はこの2つの事例に限った話ではない。極端にいえば、戦後日本のありとあらゆる地域で起こり、戦後日本の政治・政策・公共事業の「問題」を通底している。以前は、NIMBYのような考え方は「地域エゴ」といわれることもあった。つまり、迷惑施設の建設反対運動をしている地域住民に対して、「それ(施設)がなかったら、多くの人が困ることが分かるのに反対するのか?」という目で(他の地域から)見られることがあった。

しかし、政治・政策・公共事業というものはすべての人に「幸福」をもたらすために行われている、という理念的な前提に立てば、「多数の幸福のために少数を犠牲する」ことは許されることではないだろう。はたして、こうした政治・政策・公共事業の問題は、どうすれば「最善」の策を見出すことができるのか。どうすれば不幸な人を生み出さずに「社会の要求」を満たすことができるのか。

もちろん、基地やダムというのはどこにでもあるものではない。迷惑施設にしても、頻繁に建設されるものではないし、さほどの数を必要とするものでもない。普天間基地や八ツ場ダムの問題は、多くの人にとって無関係・無関心なものとなっているだろう。しかし、その現場にいる人にとっては“My Back Yard”に現れた、抜き差しならない問題となっている。そして、現在は無関係・無関心である人でも、ある日突然、同じような状況に置かれる可能性は十分にある。

普天間基地と八ツ場ダム。この2つが提起する「古くて新しい問題」を、ぜひとも多くの人に考えてもらいたいと思う。

2009年12月 2日 (水)

デフレ経済とハーシーズの解決法‐あるいはマイナスのハロー効果と一薫一蕕‐

経済学部 黒田哲彦 教授

 つい最近まで世界に冠たる経済大国として内外から脚光を浴びていたこの国は、今や一転、消費低迷と物価下落のデフレ経済に呻吟している。こうした中、止めどない価格 (切り下げ)圧力と競争圧力にさらされ、対応に苦慮している日本企業は少なくない。

 かつて米国のハーシー・フーズ(Hershey Foods Corp.)社は、カカオ豆の価格上昇に際し、板チョコを小さくして危機を乗り切ったことがあるが、このような製品小型化による対応方法は、後に同社のチョコレート・ブランドであるハーシーズの名を冠して「ハーシーズの解決法」と呼ばれるようになった。激しい競争圧力の中にあって、原料高騰を理由にチョコレートの値上げはできず、かといって他に有効な選択肢が見あたらない、という状況の中でとられた苦肉の策である。

さて近頃わが国の企業でも、たとえば、「1割増量」の場合には特筆大書するにもかかわらず、実質値上げの「1割減量」等の場合には、前段の「解決法」に倣ってか、だんまりを決め込む企業が増えている。だが、こうした価格据え置きのままの製品小型・少量化、あるいは小型新容器への変更等でカムフラージュした実質値上げの新価格設定は、その値上げの事実を何らかの形で分かりやすく明示し、かつまたそれ以外にとるべき手段が見出せない場合にのみ許されるのである。

 最近の風潮にみられるように、実質値上げについて故意に触れず、安易にこの手法を乱用すると、それは自社に致命傷を負わせる諸刃の剣になることを、企業は果たして認識しているだろうか。というのも、このような顧客・消費者に無告知の巧妙な値上げは、対外的には信用の失墜、対内的には弊風の跋扈という事態を招きかねないからである。

 一たびこうした方法に頼ると、それに気づいた買い手、とくにリピート顧客・消費者の間にはその企業に対するマイナスのハロー(光背・後光)効果が生じ、その企業イメージとブランドは大きく傷つくうえに、不信の念は当該企業のすべての商品にまで波及するに違いない。

 さらにまた、不正直で不誠実なこの対応方法は、やがて組織成員、企業文化・風土等にも影響を及ぼさずにはおかないだろう。その結果、企業全体が一薫一蕕(香りのよい草と悪臭を放つ草を一緒におくと、よい香りは消えて悪臭のみが残る、すなわち善事よりも悪事がはびこりやすい)の弊に陥り、困ったときには顧客・消費者に分からないように、こっそり誤魔化せばよいという悪風を醸成することになりかねない。

 「1日だけの商売をしたければ安売りを、1週間だけの商売をしたければ広告宣伝を、末永く商売をしたければ正直に」 という箴言があるが、至言というべきだろう。            

2009年11月30日 (月)

音楽著作物の楽しみ方は違法ダウンロードの禁止で変わるか。

法学部  加藤暁子 准教授

音楽も文学、画像や動画も、その内容が電子データ化される機会が増え、楽しみ方が多様になると、それらの著作物に係る著作権との関係が議論になる機会も増えている。グーグルによる絶版書籍の画像データを収集、インターネット公開しようという図書館構想が、米国のみならず世界に波紋を投げかけているし、映画を見に行くと、“映画館内でこっそり撮影した映像著作物をインターネット上にアップロードして視聴可能な状態にする行為は、法律で禁じられている違法行為です”というキャンペーン映像が流される。インターネットのサイトにアクセスして、自分がファンであるアーティストの音楽作品を携帯電話やPCにダウンロードして楽しむ人も、少なくないだろう。だが、そのダウンロードを、著作権を有するアーティスト等の著作権者に、著作権使用料を支払わない、いわゆる違法サイトから行うとすると、大好きな当のアーティストを苦しめることになりかねない。20101月から、違法なサイトからデータをダウンロードする行為もまた、著作権の侵害に当たることになった。

技術革新につれてメディアにも栄枯盛衰があり、近時では、インターネット環境において、電子データ化された著作物利用が増大し、従来のハード著作物の利用が落ち込む傾向が明らかだ。

日本レコード協会は、1950年代から現在までの音楽ソフトの種類別(メディア別)生産の、数量や金額の統計を、ホームページに掲載している。以下、金額ベースで見ると、初期から1980年代にかけて、「SP」、「17cm」(33回転/45回転)、「25cm30cm」等の「ディスク」や、「カセット」「カートリッジ」「オープン・リール」等の「テープ」という欄が設けられ、数値がある。学生の皆さんには骨董品かもしれない。これらの欄は、2008年に至ると、「カセット」(3740百万円)と、CD以外の「ディスク」の合算(352百万円)を除いて、空欄になっている。なるほど、私も、人生で初めて自分の小遣いで購入したLPレコードや、好きな曲を録音して友人と交換したカセットテープを持っているが、最近はほとんど再生しない、又は、再生できない。

他方で、「ディスク」に含まれる「CD」は、「12cm」が1984年、「8cm」は1988年に、統計上の数値が入り始める。しかし、「8cm」の生産金額は、1996年の104418百万円をピークに2008年には桁違いの17百万円に。「12cm」は、1999年以降さらに「シングル」「アルバム」に分けて数値が挙げられているが、その頃をピークに、ここ10年間で半減した(「シングル」は2000年の82393百万円をピークに2008年に39837百万円へ、「アルバム」は1999年の450369百万円をピークに2008年に251321百万円へ)。

そして、これら全体をあわせたハード・メディアの生産金額は、1952年の2269百万円から、1998年の607494百万円をピークに、2008年には361775百万円へと、やはりここ10年間で半減した。他の先進国でも、これらハード・メディアの凋落傾向は同様と思われる(英国、米国では増加したメディアもあるが、独、仏はいずれのメディアも減少。)

入れ違いに売り上げ上昇中なのが、インターネット環境を利用して携帯電話等のモバイルやPCへ楽曲をダウンロードできる音楽配信事業である。例えば、日本レコード協会の会員企業41社による配信事業の売り上げが、2005年の34283009千円から、2008年に9054700万円に、ダウンロード数量は267901千回から479188千回へと、増えている。

ただし、これはあくまで、著作権使用料を支払って楽しむ「有料」サイトの実績である。これと並行して、「無料」つまり違法なサイトからのダウンロードも急成長している。例えば、日本レコード協会が2006年から始めた「違法な携帯電話向け音楽配信に関するユーザー利用実態調査」の、いわゆる「着うた」「着うたフル」(ともに登録商標)等の事業の利用に関する、2008年の結果がある。常にすべての音楽を無料でダウンロードできる携帯電話向けサイト(以下「違法サイト」。ファイル投稿=アップロードがされている掲示板サイトも含む。プロモーション目的で、一定期間無料でダウンロード可能にしているサイトは含まない。)を利用している人(「よく利用している」「たまに利用している」の合計。「利用したことはあるがこの半年は利用していない」を含まない。)は34.5%おり、そうしたサイトの存在を知っているという答えは8割を超えている。違法サイトの利用は10代の人に多く、特に10代後半の人ではここ3年間に利用が拡大、ダウンロード曲数も増えている。違法サイトを利用するようになって有料サイトの利用が減少した人は全体に増えており、特に10代後半の人に顕著という。そして、正規配信サイトからのダウンロードを、違法サイトからのそれが上回る状態が続いている(2008年には、正規配信32900件に対して、違法配信が4714万件)。違法サイトに自ら音楽ファイルをアップロードした経験を持つ積極的な利用者は1割強、全体では減少しているが、10代では増えている。違法サイトの利用について後ろめたさを感じる人や、同協会等が展開している各種キャンペーンに接して違法サイトの利用をやめたという人は、増えているのだが。そして、「音楽ファイルを掲示板やサイトに載せる際にはアーティストなどの許可が要ることを知っていますか?」と尋ねられて「知っている」と回答した人が、75%から70%へ減少している。

著作権法により、著作権者は自らの著作物について、複製権や公表権等、その処分に係る様々な権利(著作権の支分権)を有する。著作物の電子データをインターネットにアップロードして一般に閲覧利用可能な状態に置く行為についても、「公衆送信可能化権」という支分権があり、著作権者の許諾を得ないアップロードは現行法においても、権利侵害に当たる。20094月には、携帯電話向けの無料レンタル掲示板を利用して音楽ファイルを配信した容疑では初めて、3500曲以上を配信していたという大学生が逮捕された(毎日新聞2009421日付22面)。違法なダウンロードにより著作権者の収益が減る問題について、まずは当然、こうしたアップロード行為の取り締まりを強める必要がある。著作権者団体も警察も、専門スタッフを置く、キャンペーンを張る等対策に努めている。

しかし、先に見たように、違法行為の規模は巨大である。そこで、20096月の国会で、アップロードに加えて、違法サイトからのダウンロード行為も著作権侵害、とする法改正が成立した。著作権法301項は、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において」著作物を使用することは、著作権侵害に当たらない、いわゆる著作権の例外とする、ただし、以下の各号に掲げる行為は例外に当たらない、と定める。私が友人と細々とやりとりしたカセットテープに比べれば、今は、遙かに大量、短時間、安価、容易に著作物を複製できてしまう。双方ともに、「個人的」に「家庭内」で行う「私的利用」の範囲に当たる、と見なされているが。そうした技術進歩のもとで、果たして適当な条文か、個人の自由と著作権保護とのバランスをどうとるべきか、30条自体、議論の的である。ともあれ、今回の改正では、その3号に、「著作権を侵害する自動公衆送信(国外で行われる自動公衆送信であつて、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものを含む。)を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、その事実を知りながら行う場合」という条文を追加して、こうしたダウンロード行為は著作権侵害に当たると明示することになった。

とはいえ、いきなり厳罰を以て処するという規定にはなっていない。まず、「その事実を知りながら」、つまり違法サイトだと認識しながらの利用、という要件が課されている。正規サイトか違法サイトかの判別を容易にする手段の確立、整備が、一層求められよう。近時、日本の音楽・映像配信事業者の9割以上が、著作権者団体等と契約して事業を行っていることを示す「Lマーク」を利用、表示している。さらに進めて、海外サイトについても判別容易にするような国際協力が必要だ。

また、罰則は設けられていない。民事上の権利者団体からの権利行使についても、著作権者団体は、まず違法ダウンロードの問題性を広報し、これらの行為を発見した場合はまず利用者に警告する等、慎重な手続きを採るよう、いきなり損害賠償の請求等しないように、文部科学省から指導するという。むしろ、利用者にいきなり損害賠償の支払い請求が届くような場合は、架空請求詐欺の疑いがあるから、相談窓口に問い合わせるように、とも言う(文化庁ホームページによる)。先に見たように、若年層特に未成年者が大きく市場に取り込まれていることからも、運用には相当な配慮が求められる。著作権に関する啓発、広報にこそ、ウェートを置く必要もある。技術面で、違法サイトを発見する、アクセスを不可能にする等の対応も、進んでほしい。今回の法改正は、違法サイトからのダウンロード取締の難点、その有効性への疑問を、改めて浮かび上がらせている。

フランスでは最近、違法ダウンロードを行うと、まず政府から警告書が送られ、さらに無視して合計3回違法ダウンロードを行うと、ネット接続業者の間で共有されるブラックリストに載せられて、接続契約が1か月から1年できなくなる、という世界初の立法が成立したという(2009105日付日経新聞7面)。利用者がアクセスするサイトや著作物に関する情報を何らかの機関が収集し管理することが前提という、驚くべき制度だ。

ここに至って、私は、著作物の利用が電子化されたそれへと比重を移していくことにも、疑問を感じる。電子化されると、元の著作物の内容はすべて、享受可能なのだろうか。元の著作物からこぼれ落ちる要素、そもそも電子データとして作成された著作物には備わらない要素が、あるだろう。そして、インターネット上での電子データへのアクセスは、何らかの形で残り、その軌跡は辿ることが可能とされる。著作権を巡る議論は、既に、人権論や文明論に及んでおり、引き続き考えていきたく思っている。

2009年11月25日 (水)

「事業仕分け」の見分け

経済学部 入江 省熙教授

ニュースは、伝える側の意図と聞く側のスタンスによって大きく実態から離れてしまうことがよくある。また、各国間における立場は、大きな温度差も存在するため、国際的なニュースはさらに真相が不透明になることが多く見られる。

日本の場合政治の役割は、国民生活においても、世界的な傾向からしてもあまり大きな影響力をもたない分類に属するといえる。しかし、慣れない与野党逆転による民主党政権の諸政策は、偶然ヒット商品を出してしまった企業のようにみえる。また、予想外に売れてしまった芸人にもみえる。仕事は人がするのではなく、組織が行うものである。担当者が変わることによって業務内容や方向性が大きく変わらなければならないということは、その分組織が未熟である証拠でもある。さらなる組織の活性化とその効果を高めるために個性豊かな人材を活用するのである。そもそも「事業仕分け」という作業を、いまさらこのような形でしなければならないほどの政府に、我々は今日までに国の将来と自分たちの生活の多くを任せていたのかと思うと悲しくなる。天下りを無くしたい意向も分かるが、活用も検討してほしい。日本の最高の人材の多くは官僚のなかにいるのではないか。

このような「事業仕分け」のお蔭様で様々な事業や団体の存在とその事業に対する予算規模がみえたことは幸いである。伝えたい側の意図に左右されず自分の冷静なスタンスで各事業に対する見分けが必要になるといえる。

2009年11月12日 (木)

フロスト VS ニクソン

経済学部 伊藤 栄晃教授

今年もまたディベート大会のシーズンがやってきました。柴田学長時代に学長の強いリーダーシップの下で開始されたこの大会も、今では秋の関東学園のイヴェントとしてすっかり定着しました。論題のレヴェルも当初と比べると格段に上がりました。これは大会の成果が着実に蓄積されていることを意味し喜ばしいことですが、全学的な盛り上がりのためにはさらに一工夫が必要かも知れません。

丁度よいタイミングでトーク・バトルの醍醐味を十分に堪能させてくれるDVDを視聴しましたので、紹介します。2008年アメリカ映画「フロストVSニクソン」です。既にご覧になった人もいるでしょうが、まだの人には試聴をお勧めします。

これは1977年に行われたイギリスの司会者デヴィッド・フロストによる前米大統領リチャード・ニクソンへのインタヴュー番組を題材にした映画です。ニクソンは、1972年のウォーターゲート事件で直接盗聴を命じたスキャンダルにまみれて、1974年に失脚していました。そこで汚名をそそぎ、再起を図る機会を狙っていたのです。一方フロストはテレビの人気司会者だったが、メディアの世界で決定的な成功を収めたかったのです。この二人の非常に際立ったキャラクターの持ち主が、互いの野望実現のためにプライドをかけてぶつかりあったのが、この番組だったといえます

映画ではすさまじいトーク・バトルの(一部の)復元だけでなく、この二人の人物とくにニクソンの人間くささを掘り下げており、それなりに興味深かったのですが、個人的にはバトルの内容をより詳細に取り上げてもらいたかったと思いました。バトルの結果は・・・未だ見ていない人のためにそれは伏せておきましょう。ただトークの世界で当時超一流の人々がどのように戦うものか、それは色々と勉強になります。ディベートの役に立ちそうな教訓を少したれてみますか。

まずディベートは着席したときから既に始まっています。そこで相手チームや司会者との雑談で、その場の空気全体を和ませながら支配し、さりげなくとてつもなく重いプレッシャーを敵にかけることも、大事なポイントになります。

また開始早々いきなり相手の弱点の核心に先制攻撃をかけるのは、成功した場合には大きな効果を得られ、時には一発で相手をしとめることもできるが、はずされた場合のこちらのダメージは計り知れません。そしてその後で、戦線の建て直しに大変な労力を必要とするのです。

逆に相手にこちらの弱点を衝かれた場合には、当面戦線の建て直しのため時間稼ぎするためには、一般論に逃げ込み、はぐらかすのもひとつの手ではありましょう。しかし周りの視聴者には負けているイメージを与えてしまうので、この手段にはあまり頼りきりになるのはいけません。それよりも前もってこちらの主張の弱点を適切に把握し、防衛線を準備しておくことが大事です。防衛線として最も頼りになるのは、主題について相手が知らない情報や知識を仕入れておくことです。

相手の主張をよく聴くことがすべてです。そこには相手の弱点のすべてが、たいていの場合相手自身も気づかずに、露呈されてます。すべての主張には、多かれ少なかれ弱点があります。攻撃は最大の防御とはよく言われますが、トークにおいては、攻撃は自分の墓穴も掘ることでもあります。しかし打って出ない限り、相手をしとめることもできません。

決して感情的になってはいけません。そうなったほうが負けです。ディベートはゲームであって、果し合いではありません。相手は敵ではありますが、ゲームをともに楽しむプレイヤー仲間です。

乗り越えるべき相手は、さしつかえなければ対戦相手ではなく審査員といえましょう。丁度フロストとニクソンにとって、テレビの前の視聴者がそうであったように。彼らはともに番組を盛り上げるという点では、ある種の戦友であったとさえいえます。大会に参加される皆さん全員が、十分に楽しんでいただけますように。そして今年は伊藤ゼミからもか弱いチームが参加します。対戦する皆さん、覚悟してろよ!

2009年11月 4日 (水)

携帯型音楽プレーヤーの「危うさ」

                  経済学部教授 高瀬 博

 欧州連合(EU)の執行機関、欧州委員会は、928日、米アップル社の「iPod」などの携帯型音楽プレーヤーに音量制限を設けると発表した。各メーカーは、製品の最大音量を80デシベル以下に抑えるよう義務付けられる。2年以内に技術水準を定め、それ以降発売される新製品に適用する。欧州委は、「使用者を聴覚障害から守るため」としている。現状では最大音量は、多くの製品ではロックコンサートに相当する100デシベル以上に設定されており、毎日、1時間、100デシベルで音楽を聴き続けた場合、5年後には完全に聴力を失う危険があるという。【読売新聞】 この記事を読んでから、満員電車の中で、「シャカ♪ シャカ♪」という音楽を漏れ聞くと、不快であるより、心配になる。

 筆者は、違う視点で「携帯型音楽プレーヤー」に「危うさ」を感じている。

ある朝、知人が前を歩いていたので「おはようございます」と声をかけたが応答が無い、案の定、音楽に没頭していたのである。この程度なら罪はないが、私たちの周りには、たくさんの「危険因子」が存在する、交通事故はその代表である。今話題の「ハイブリッドカー」は、その静粛性ゆえに、歩行者に危険であるという理由で、わざわざ「エンジン音」を追加しようということである。人間は「五感」全てを発揮して自己の「身の安全」を図らなければならないということである。

 マナーの面では、「礼」を失することがある。数年前から受講中に、イヤフォンをつけている学生を見かけるようになった。それは「私は、出席をし、ノートはとるが、あなた(教員)の話は聞いていない」という意思表示に他ならない。

就職超氷河期といわれる中、企業は採用にあたり、学生の「コミュニケーション力」「明るさ」などを求めているといわれるが、それ以前に、最低限のマナーを守れる「人間性」を大前提としている。

2009年10月14日 (水)

ITと共に成長する社会:ビジネス、マネー、そして・・・

犬童 健良教授

前口上
IT
の役割と使命は、PCに閉じこもった世界から、ネットにつながり、無線とモバイルに延長されたことによって、その意味を変えました。わずらわしい手間を要する作業から私達を解放し、より付加価値を生みやすい諸活動へと導くものとして。いってみれば、かつて掃除機や洗濯機が、家事労働を軽減したことにそれは似ており、もはや洗濯板と石鹸で衣服を洗う時代に戻ることはなさそうに思えます。本文書は、ITの現実応用に少しでも関心を持ってもらうために、最近、いくつか気になった記事を挙げておこうと思います。また以下の文章は、経営情報論のレポートや定期試験に題材として用いるかもしれませんので、注意深く読んでください。内容は以下の3項目についてです。

  • 流通BMS

  • 電子手形

  • モバイルマネー

なお前述の授業では、クラウド(SaaS)についても執筆するつもりと言いましたが、別の機会に譲ります。

流通BMS

流通サプライチェーンは、商品の製造・流通・販売(製・配・販)にわたって商品(とくに消費財)を消費者に届けるしくみです。たいてい複数の会社を経由しますが、さまざまな業態あるいは商品分野で、少しずつ違ったタイプのメッセージがやりとりされてきました。
企業間の電子的データのやり取りには、これまで共通の仕様がなかったわけではありません。EDIJCA手順)と呼ばれる仕様が1980年から用いられてきました。しかし業態間、あるいは商品分野が違いますと、情報連携がうまくいかず、消費者にメリットを提供する仕組みとして改善すべき点がどうしても残ってしまいます。またその原因のひとつが、情報交換の内容と方式がじゅうぶん標準化されていないことだと指摘されていました。しかし、この問題を個別企業の努力だけで解決することは困難だったのです。
 代替手段としてWebEDIが作られたのですが、これも問題がありました。インターネットを通信インフラに採用して通信速度は向上したが、モデム類などハードウェアの管理が必要で、ソフトウェアも全自動でなく部分的に手動操作が必要とされたり、各社個別の画面になるなど、かえって業務を非効率にしたり現場を混乱させてしまいました。結局、EOSEDIWebEDIといった複数のしくみがすみ分ける状況となり、取引先がたくさんある会社の悩みは減るどころかますばかりでした。
  そのため、経済産業省は2003年度~2005年度の3年間、「流通サプライチェーン全体最適化促進事業」、また2006年度から20092月までは 3ヵ年計画で「流通システム標準化事業」を実施し、新しい標準EDIを「流通ビジネスメッセージ標準」(流通BMS)と名付けて策定を進めることにしたのです。

BMSBusiness Message Standards)は、通信基盤にインターネット(TCP/IPべースの3手順)を使い、業態ごとのメッセージフォーマットを標準化し、セキュリティ対策も含め、統一ルールの下で運用するしくみになっています。以下に流通BMSに採用されている3つの通信手順を簡単に説明します。

  • ebXML MS

     国際標準。アジアでの採用が多い。取引量が多い大企業向き。

  • EDIINT AS2

     EDINTが策定した国際標準。ウォルマートで採用。取引量が多い大企業向き。

  • JX手順(SOAP-RPC

    国際標準に基づく日本独自の通信手順。取引データ量が少ない中小企業向き。

画像情報を含む流通BMSにより、取引業務のスピード化、業務の正確性向上、コスト削減など、多大な効果が期待されます。取引先コードや商品コードには、「共通企業識別コード(GLN)」や「共通商品識別コード(GTIN)」が採用され、取引の国際化に対応しています。またデータ表現形式にはXMLが採用されたことにより、固定長データだったJCA手順では不可能だった豊かな情報を扱えるようになりました。
 またJCA手順では、通信インフラが電話回線でしたので、高々2400bps/9600bpsの通信速度しか得られず、膨大なデータをやり取りしなければならない卸・メーカーや小売店は参ってしまいます。アフリカのある国で,同じデータをアナログモデムで通信すると半日かかるが、伝書鳩にUSBメモリくくりつけて送ったら数倍早かったという笑い話があるそうですが、実は日本で起きた出来事だったという可能性もあります。ブロードバンド環境が整備された現在の日本なのに、そんなことが起きるのは”Shame!”でしょう。
 実運用に向けて、スーパー業界では、他に先駆けて20074月に業界向け流通BMSの基本形が公開されており、その導入に進んでいます。2008年度から順次、百貨店業界、チェーンドラッグストア業界、ホームセンター業界、アパレル・婦人靴業界において取引に必要なメッセージの検討、共同実証研究、仕様公開、実運用に進もうとしています。詳しくはウェブ記事[1][2]をご覧ください。

参考URL
[1]
経済産業省 流通システム標準化事業 http://www.dsri.jp/scmpjt/bms/index.html
[2]
同上流通BMS導入講座 流通システム標準化概説 http://www.dsri.jp/scmpjt/public_info/bms_seminar.html


電子手形

日本経済新聞[3]は、電子手形(電子債権)取引が、11月に始まる予定だが、これに約7000社が参加する見通しと報じた。同紙によると、ホンダ、JFE商事、パナソニックなど主要企業10社は、三菱東京UFJ銀行の子会社を通じて発行される電子手形を、下請け企業への代金支払いに使うための準備を進めているそうである。一方、従来からある手形取引は偽造や盗難などの問題もあって、取引量が激減しているため、中小企業の資金繰りに影響していると同記事は分析している。また参加企業は数万社規模に拡大する可能性が高いと推測されている。翌日に同紙[4]により、信金による導入が報じられ、また13日に積水ハウスによる導入がMSN産経ニュース[5]によって伝えられた。建設業界はすそ野が広いことで有名だが、積水ハウスの場合、利用対象は取引先など約1千社、コスト削減3千万円以上と予想されている。
 信金中央金庫の資料[6]によると、電子手形サービスとは、支払情報(支払金額、支払期日、受取人)を電子化して、従来の企業間信用取引をインターネット上で行う決済サービスである。(なお電子手形は、現物の手形と類似した使い方ができるが、手形法上の手形ではなく、電子記録債権法によって規定されると考えられる。)
 同資料によると、電子手形サービスは、その利用者、提供者、運営者の3者で構成される。利用者である企業(法人・個人事業主)は、電子手形サービスを提供する金融機関を通じて、運営者である電子手形センター(および電子認証局)に申込みすることにより、電子手形サービスを利用することが可能である。
 電子手形の導入は、印紙や領収書の発行量を減らし、取引先による集金や金融機関に行く手間を省く。沖縄実証実験の資料に示された別のメリットは、手形の分割である。従来は親企業、一次下請け、二次下請けと支払いを手形で行う際、手形を二次下請け分まで予め分割しておく必要があったが、電子手形では手形を受け取った側で金額を(一定の範囲で)自由に分割できるので、その手間を省くことができる。そのほか利用側の企業、提供側の金融機関の双方にとってメリットは色々とあるが、とりわけ企業側の「資金調達手段の多様化・迅速化」メリットと金融機関側の「運用手段の多様化」メリットが同資料中では強調されている。ただし平成16年に沖縄で行われた実証実験を通じて、未解決の問題点も多く指摘されていた。例えば

  • 決済の同期性の確保

  • 適切なセキュリティ確保

  • 取引の安全性の確保

  • 管理機関が複数並存することの是非

である。これらの点が、平成20年12月施行の電子記録債権法および今回の一連の電子手形取引導入においてどのように解決されているのかは検討を要するが、日経他の記事からだけでは不明な点がある。筆者は法律の専門家ではないため、判断は控えたい。とくに電子記録債権法では電子債権記録機関(つまり電子手形サービスの運営者)の「兼業の禁止」(第57条)が規定されている[7]。「電子債権記録機関は、電子債権記録業及びこれに附帯する業務のほか、他の業務を営むことができない。」 

 また、せっかく現金化が面倒な手形での支払いが減り、キャッシュで支払ってくれるようになってきたのに、電子手形に置き換えられていくことを不安視する声もネット上で見かける。その辺りの不安を解消する説明はとうぜん下請け企業に対して行われているとは思うが、注意しておくべきことであろう。

参考URL
[3]
日本経済新聞 2009年10月11日朝刊 電子手形に7000社参加へ
(日経ネットの電子版)https://docs.google.com/Doc?docid=0AXrb7VXSEqN-ZGRuenBidHZfMjczamJkOXM4ZG0&hl=en
[4]
日本経済新聞 2009年10月12日 電子手形、地銀も参加へ
(日経ネットの電子版)http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20091012AT2C1100211102009.html
[5] MSN
 産経ニュース 積水ハウスが来年2月から電子手形取引を導入 2009.10.13
https://docs.google.com/Doc?docid=0AXrb7VXSEqN-ZGRuenBidHZfMjczamJkOXM4ZG0&hl=en
[6]
信金中央金庫 電子手形サービスの概要と沖縄実証実験について http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/dai2/siryou/20060921/02-01.pdf
[7]
電子記録債権法条文 http://law.e-gov.go.jp/announce/H19HO102.html

モバイルマネー

電気通信事業者協会の統計[8]によると、携帯電話の契約数は、20099月で109,633,800件である。日本の総人口は、統計局によると同年9月概算で12754万人である[9]。単純に割り算すると、86%程度の普及率である。
  一方、Economist[10]によると、アフリカでも、10人に4人が携帯電話を所有しているが、世界で最も貧しい人々に経済力を与えるツールになりつつあるという。こうした国では、悪路や遅い郵便網のおかげで情報伝達が遅滞しがちだが、そのことが経済成長に直接的なダメージを与えているのだという。同記事は世界銀行の調査を引用して、携帯電話保有率が10%増加することによって、GDP(国内総生産)が0.8ポイント上昇するという趣旨の指摘をする。「携帯電話は全世界で40億台以上使われており、その4分の3は発展途上国向けだ。」

一方、日本の携帯電話は高機能すぎて値段が高く、通信方式が国際標準でないため、そのシェアを奪うことが困難である。いわゆる「ガラパゴス化」しているというのは、とりたててこの英国の権威ある雑誌に諭されるまでもなく、(実際に同記事には日本のケータイがどうのこうのという話はいっさい触れていないが、)業界人にとってすでに耳タコであろう。
 記事[10]の続きは次のように翻案できる。街角の商店で、プリペイド式携帯電話の通話料金をチャージしている。こうして新たなビジネスチャンスが必然的に生まれた。「モバイルマネー」である。そんなインフラの悪い地域に、銀行が支店を出すことは大きなリスクを伴うだろう。かといって自分で運んだり、人に預けたりするのも危ない。しかし現金をモバイルマネーの口座に預けるのは簡単だ。ケニアの「M-PESA」がその成功例である。

日本でいえば、コンビニでATMを使うのと、やや似ているところがあるけれど、モバイルとの連携がより密接である。ところでプリペイド方式のケータイが、なぜ途上国では、わざわざモバイル「マネー」と呼ばれるのか。それは前出の電子手形が手形と呼ばれ、たんなる代金引換証ではないのと似ている。それは人から人に譲渡でき、かつ現金の役割を果たすのである。他のモバイルユーザーに送金でき、相手はコード付きのテキストメッセージを受信すれば(口座があってもなくても)商店で現金を引き出すことができる。逆にスイカやエディにチャージした金額や飛行機を使ってためたマイレージポイントは、他人に送金する使い方をしない限り、有価証券ないし債権である。

 アフリカやアジアやその他の貧困国にモバイルマネーが広がると、影響ははかりしれない。「ケニアのM-PESA利用者の世帯所得は、モバイルバンキングを始めてから、最大30%増えた」とかいった、かつて耳にしたデジタルデバイドを思い起こさせる統計が引き合いに出される。物理的に余計な移動をしなくてよくなったから、その分、お金の儲かる仕事に時間を割けるのだという、尤もらしい説明までつけられている。ただし、少額融資のしくみが、最貧困層にとって致命的な状態に陥るのを救う役割があるというのは、近年、いろいろな人がいろいろなところで主張するに至っているので、モバイルマネーの場合も、なるほどそうであろうかと考えさせられてしまう。 

 「たとえ小額でも、いざという時に頼れる貯蓄があれば、医療などの予期せぬ出費があっても、牛を売ったり子供に学校を辞めさせたりせずに対応できる。・・・中略・・・モルディブでは、2004年の津波で大勢が蓄えを失った。同国は全国民を対象とするモバイルバンキングを2010年に導入することを目指している。」([10]より引用)

 金融派生商品は、ITを活用する新金融技術のかたまりであり、同時に金銭欲のかたまりでもある。それが世界的な金融危機のきっかけになったおかげで、それ自体、悪者あつかいされがちだ。同じITの金融応用でもモバイルマネーの場合、弱者の味方というわけである。もしそうならもっと広く普及してよいだろうという道義がたつ。一方、その成長を妨げる銀行と規制当局は悪者扱いだ。銀行にとって携帯電話事業者がライバルになるとか、モバイルマネーが詐欺や資金洗浄に悪用されることを規制当局が懸念すると同記事は指摘する。

 しかし、逆説的ではあるが、銀行がライバルになったり、資金洗浄に悪用されたりするほど大金が安心して隠せるようになるのは、モバイルマネーが人々をある程度豊かにした後ではないかと思われる。実際、一部の銀行は携帯電話事業者と提携してモバイルマネー事業を進めるようになったという。アフリカ最大の携帯電話事業者MTNは、スタンダード銀行と共同でウガンダでのサービス進出を足がかり、アフリカ全土への展開を目指しているそうである。

 というわけで、エコノミスト誌の記者はビジネスチャンスを強く訴えて記事を締めくくります。最初に述べましたように、個人的には日本のケータイには大変お世話になっています。ガラパゴス化を嘆いたところでしかたありませんが、モバイルマネーが必要なのは後進国ばかりではないかもしれません。

参考URL
[8]
電気通信事業者協会 http://www.tca.or.jp/database/download.html
[9]
統計局ホームページ 人口推計 http://www.stat.go.jp/data/jinsui/tsuki/index.htm
[10]
英 エコノミスト誌 2009926日 通信産業:モバイルマネーの威力 (JBPressによる訳)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1826


以上

2009年10月 7日 (水)

雇用対策に関する視点

雇用対策に関する視点

経済学部 講師 俵 典和

<時間が無い場合は、最後の段落だけでも読んでください>

 雇用に関する問題は現在ホットである。大学の授業でも、採用、失業、雇用に感する話をすると、学生の顔つきが変わることがよくある。今回、紹介したいデータは、マンキュー(ハーヴァード大学経済学部教授)の入門経済学第5 版の「失業」の章のコラムで紹介されている各国の失業給付金に関する比較である。数字は、離職前の賃金に対する比率(リプレイスメント比率と呼ばれる)である。[なお、これらは制度上の数字ではなく、現実の比率を、異なる属性間(例えば、失業前賃金、失業期間、家族の形態など)で平均したものである。出所は、OECDの報告書である。]

日本 8%

米国 14

ドイツ 29

フィンランド 36

フランス 39

デンマーク 50

オランダ 53

 欧州諸国の高い失業給付水準に対しては、「これでは真面目に失業者は求職活動をしなくなる、だからこそ大陸諸国では高失業なのではないか」という意見は頻繁に聞かれる。しかしながら、よくデータを見てみると、大陸諸国(フランス、ドイツなど)の失業は高水準であるが、北欧諸国(デンマークなど)の失業率は、1990 年代前半の金融危機の時期を除けば決して高くはない。雇用者一人当たりの生産性を比較してみると、欧州諸国は、米国と比較し大きいことは、頻繁に指摘されることでもある。わが国の低い失業給付水準の妥当性は、きちんと学術的に検討してみる必要はあるかと思う。実は、失業給付の経済への影響や、その最適な水準や制度設計のついては、古くは、ベイリーによる失業保険の最適性の検証方法に関する論文があり、近年でも、ワーニング、シャイマー、チェティら、超スーパースター経済学者による研究が生まれている。

 それでは、失業給付を増やすことには、どのような影響があるのだろうか?言うまでもなく、まず、求職者に悪いインセンティブを与えてしまうことである。つまり安心して真面目に求職活動をしなくなるから、失業期間が長期化してしまう可能性があることである。しかし、これは、失業保険の唯一の論点ではない。そもそもの目的は、失業時の所得保障という通常の保険機能による厚生の改善であろう。しかもこの保険機能による厚生改善は、雇用が安定している正規社員よりも、不安定な非正規社員の方がはるかに大きいと考えられるので、全ての労働者に失業保険(わが国では制度上は雇用保険と呼ばれる)を適用させる民主党の政策は妥当である可能性が高い。主に正規社員が失業保険でカバーされている状態を前提とした議論の再考は必要であろう。非正規社員にまで失業保険制度を拡充すれば、これまで以上に、失業保険の保険機能を重視して、失業給付のリプレイスメント比率水準を考える必要があるかもしれない。

 他にも重要な論点が存在する。まず、失業給付の、労働生産性改善効果そして、新卒市場以外の労働市場がより厚みを持ってくることである。失業給付が増えたから、安心して失業の危険を冒してまでも転職しよう、という労働者が増えて、仕事と労働者とのマッチの改善にともなう生産性の改善が理論的には期待される。しかしながら、わが国の雇用慣行、価値観を前提とすれば、仮に失業給付金が増額されたとしても、失業によるコスト(雇用機会の大幅な削減)はあまりにも甚大であれば、こうした期待は非現実的な可能性もあるので、注意が必要であろう。

 それから、失業給付が求職者に与えるマイナスのインセンティブに関してだが、これは工夫することにより、対応ができる可能性がある。理論的には、毎月の失業給付額を、失業期間にどのように依存させるか、という制度設計(メカニズム・デザイン)の研究が盛んである。直感的には、失業期間が長いほど、失業給付額を減少させるという風にすれば、ある程度インセンティブの問題を和らげることが出来るのではと考えられる。ホッペンハインとニコリニによる有名な研究では、そうした性質を最適失業保険が有することが指摘されている。

 最後に、しばしば引用されるモフィットやマイヤーによる研究では、失業給付額の増額は、失業期間を増やすことが知られている。伝統的な解釈は、失業者が真面目に求職活動をしなくなるというモラル・ハザードの存在である。しかしながら、よく考えてみれば、これは唯一可能な解釈ではない。そもそも求職活動にはおカネがかかる。十分な流動資産(現金や預金)が無ければ、有効な求職活動はできない。極端な表現だが、ホームレスの状態で、食事も入浴もせずに、真面目に求職活動をしたところで、面接すら受けられないであろう。流動資産が底をつけば、求職活動は停止せざるを得ない。あまりにも当たり前の事実であるが、先ほどの失業給付水準と失業期間とのプラスの関係は、このような流動性制約の問題として解釈することも可能であることに着目したのが、最近カリフォルニア大学バークレー校からハーヴァード大学に引き抜かれたチェティによる重要な研究である。モラル・ハザードなのか流動性制約なのか、という2つの異なる解釈のどちらがどの程度妥当しているかの検証は、極めて重要である。もしモラル・ハザードが重要であるならば、現在の失業給付水準は過大であり、流動性の問題が重要であるならば、失業給付水準は増やすのが望ましい、ということになる。チェティは、これを検証する非常に簡便な方法を考案した。彼によると、米国における望ましい失業給付の失業前賃金に対する比率(リプレイスメント比率)は50%程度だという。つまり、現在の水準は、あまりにも過少だと示唆している。同じ問題意識で、異なった方法を考案したシャイマーとワーニングの最近の研究では、最適リプレイスメント比率は、50%よりはかなり小さいそうだ。

 最後に最近の学生の就職活動について一言申し上げたい。私のゼミでも、就職の決まった4 年生と、まだ活動中の4 年生が若干いる。内定をもらった学生の中には、「もう何もやる気しないな」と気の抜けた感じの学生もいる一方で、必死に今でも活動を続ける学生も少数ではあるけどいる。是非、多くの方々に、齋藤孝氏の「<貧乏>のススメ」という本を読んでいただきたい。私は、内定をもらって気が抜けてしまっている学生の将来は、案外危険であるような感じもする。別に10 年、20 年の雇用の絶対的な保証をもらった訳ではない。どんな人にでも、失業するリスクはある。整理解雇とは限らない。病気、冤罪、いろいろリスクはある。困難にぶつかったとき、生きていけるのだろうか。それよりも、今必死に就職活動を頑張り続けている4 年生は、哀れむ人々もいらっしゃるだろうが、実は意外に将来は明るいのではないだろうか。私にはそんな感じがする。同じように思う社会人は、私だけではないと思う。