« 2009年6月 | メイン | 2009年8月 »

2009年7月

2009年7月16日 (木)

ヤンキー・カム・ホーム

経済学部 駒田 純久准教授

消費社会や消費文化研究の中で、「ヤンキー」の台頭が目立ってきました。今年に入り、難波功士の『ヤンキー進化論』(光文社新書)や五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)など、意欲的な論考が出版されています。もちろん、これまでにも不良・ツッパリ・暴走族といった社会のアウトサイダーを取り上げた研究は少なからず存在していました。しかし、今回のヤンキー論は、不良文化だけに規定されない、日本の地方社会に根を張った「ヤンキー性」(故ナンシー関のいう「血中ヤンキー度」)に注目した点に新しさがあります。

 したがって、映画やドラマでヒットした『ルーキーズ』、『ドロップ』、『クローズZERO』、『ごくせん』といった分かりやすいヤンキー物のみならず、セカンドバッグ、光り物へのこだわり、よさこいソーラン、相田みつを風の日本語のメッセージが(ラーメン屋のメニュー風に)書かれたTシャツ、ニセモノのヴィトンなども研究の射程に入ってきます。そこで、問題となるのは、ヤンキー性なるもの、「かっこいい」と感じるヤンキー的美意識です。

 長い間、日本社会における若者文化は、海外>都会>地方というように、明確なヒエラルキーがあり、審美的に東京もしくは海外の優位性はゆるぎないものでした。そのため消費文化の先端を意識すれば、自然と研究者の目は東京やNYに向けられました。実は、90年代後半から注目されたオタク論研究も、その文化の聖地としてのアキハバラという東京の都市を基点とするために、このヒエラルキーを脱したものではありませんでした。また、ロハスや北欧スタイルといった海外移入文化もその担い手は都会に住む人たちでした。

 しかし、ヤンキー論で取り上げるヤンキー性、ヤンキー的美意識は、地方で育まれてきたものです。なぜなら、地元を愛し、地元で働き、若く結婚し、たくさんの子どもをもつことがヤンキー的美意識における「かっこよさ」であり、地域共同体の紐帯から抜け出すことは、ヤンキー性の喪失につながるからです。(だから、東京で生まれ東京で育った人には、ほとんどこのヤンキー性がありません)

 当然、潜在的にヤンキー性を帯びた人(地方生まれの人)は、かなりの数にのぼり、日本社会のサイレント・マジョリティを形成していると推測できます。ナンシー関の、「日本で流行るためには、ある種のヤンキー性を帯びていなければいけない」という洞察はきわめて的を得ていると考えられます。

脱「東京」、脱「海外」の消費文化に注目が集まることは、今流行りの「地方分権」のキーワードにも結びつきます。さらに、漢字を好むヤンキーの「和」のテイストは、海外文化の流入を遮断して開花した「国風文化」時代の兆しかもしれません。

2009年7月 8日 (水)

『世界銀行 経済成長レポート』の翻訳出版

経済学部教授 田村 勝省

 掲題書を本年2月に訳了し4月に出版したので、宣伝活動の一環として紹介させていただきたい。というより、この訳書の内容説明会を6月下旬に世界銀行東京事務所で行った。ここではその一部を紹介したい。とはいえ、内容をすっかり忘れてしまっていて、読み返す時間もなかったので、期待だけを抱かせる冷や汗物の説明になったのを覚えている。

 世界には約200カ国もの国々が存在するが、第2次世界大戦後に持続的な高成長を遂げた国は13カ国と極めて少ない。すなわち、年率7%以上で25年間以上にわたり高成長を維持した(している)国は、ボツワナ、ブラジル、中国、香港、インドネシア、日本。韓国、マレーシア、マルタ、オマーン、シンガポール、台湾、タイの13カ国にとどまる。さらに、持続的な高成長が終った時点で、1人当たり所得が「高所得国」の域に達した国となると、香港、日本、韓国、シンガポール、台湾というアジアの6カ国だけだ。

 このような事例から持続的高成長の条件を探り出して他国に適用すれば、発展途上国の成長や開発と貧困削減に大いに役立つはずだ、というのが本研究・レポートの狙いだ。ここでは「13の成功物語」には5つの共通点があったとの指摘を紹介するにとどめたい。

 第1にグローバル経済をフルに活用した。第2にマクロ経済が安定していた。第3に貯蓄と投資の水準が高かった。第4に市場メカニズムを活用した。第5に有能な指導者と官僚組織が存在した。以上の詳細を含め興味が湧けば、どうか1冊お買い求め下さい。

 最後に、この「ニュース解説」の読者の方々に、訳者から2つの簡単な数式をプレゼントさせていただきたい。いずれも、「継続は力なり」という格言を意味するもで、十分味わっていただければ幸いです。

 ①(1.0710 ≒ 2.0   7%成長を10年間続けるとGDP2倍になる。

 ②(1.1025 ≒ 10.0 : 1人当たり所得でみて中国は日本の10分の1であり、10%成長を続けても日本に追い付くには25年間かかる。

2009年7月 2日 (木)

「いしかわ子ども総合条例」について思う

水野考 講師


 629日、石川県議会は、小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者が努める規定を全国で初めて盛り込んだ「いしかわ子ども総合条例」改正案を387の賛成多数で可決した。具体的には、次の条文である。第33条の21「保護者は、特に小学校、中学校、中等教育学校(前期課程に限る。)及び特別支援学校(小学部及び中学部に限る)に在学する者には、防災、防犯その他特別な目的のためにする場合を除き、携帯電話端末等を持たせないよう努めることとする。(議会議案第1号)」。20091月に文部科学省は、各県の教育委員会等に向けて携帯電話の取り扱いに関する通知を行っており、石川県の条例は、この通知をより一歩具体に進めたものといえよう。

 一般的に、携帯電話に関わって行われる行政や学校の取り組みは、携帯を介して起こる様々なネット犯罪(例えば1.学校裏サイトの問題に代表されるような、ネットを介したいじめ。2.出会い系サイト等を介して起こる誘拐や性犯罪等)から子どもを守ることである。この目的を達するため、ネットに接続できるキャリアの中で、子どもにとって一番身近にある携帯電話の使用に規制(フィルタリング等)をかける、児童生徒はもとより保護者に対してもネットモラル講習等を行う、といったことが行われている。

 このような取り組みが諸所で行われる中、新たに改正された石川県の条例は、「携帯電話端末等を持たせないように努める。」としたところに特徴があろう。あくまでも努力義務にとどまり、罰則規定はない。かつ、他の条文には、「携帯電話端末等の適切な利用に関する取組の促進に努める」と明記されている。これらのことから、上の一文は、全体的な取り組みの一つであることがわかる。しかし、「持たせない」という一言には、物議をかもすのに充分なインパクトがある。

筆者は、このニュースを読み、次の2点に疑問を持った。第1には、携帯電話を「持たせない」ことは可能であるのかどうか、第2には、「持たせない」ことによって子どもをネット犯罪から守ることができるのか、である。

1について筆者は、可能であると思う。保護者の許可がないと、未成年の者は携帯電話を購入することができないからだ。しかしその場合、子どもを説得するのに骨がおれそうだ。そう考える理由は、以下の3点である。

 まず、すでにある程度の人数が携帯を持っていることである。科学省から20092月に発表された「子どもの携帯電話等の利用に関する調査:調査結果(速報)の概要」によると、小学校6年生の24.7%、中学校2年生の45.9%、高校2年生の95.9%が携帯電話を保有している。小学校では、4人に1人を割り込んでおり、さほど多いとは言えないかもしれない。しかし、以下の場面のようなことは起こりえるだろう。

この場面は、以前、わずかな期間だけ放送されていたSoftBank「ただとも」のCMである。「ただとも」とは、ソフトバンクへの加入者同士だと、1時から21時の間、通話料が無料になるサービスである。

以下は、友達同士で携帯電話を使って連絡をとりあおうとしている場面である。

 

「わたしはいいよ、電話代かかるし」

「ああ、ソフトバンクじゃないんだ・・・」

「・・・っごめん」

【友達は大切に】(テロップ)

この事例は、すでに携帯電話をもっている友達同士の中でのことだが、持っていない者についても同様であろう。友達グループの中で携帯電話を持っている者が多数を占めれば、携帯電話を持っていない少数の者に同調圧力がかかる。この状況の中で、「持たない」でいることは大変難しいだろう。

 次に、最近の若者文化や仲間意識がネットのコンテンツとマッチしていることである。

土井隆義は、著書「友達地獄-空気を読む世代のサバイバル」の中で、最近の若者達の人間関係の特徴を、「きわめて注意深く気をつかいながら、なるべく衝突を避けようと慎重に人間関係を営んでいる」とし、このような関係を「優しい関係」と定義している。この関係の中で若者は、互いに慎重に距離を測りつつ、お互い対立しない範囲で自らのキャラを演出していく。

このような若者文化にあったコンテンツの例として、「Decoo」と「rigureto」をあげたい。「Decoo」は、今思ったことを可愛らしいくデコレーションして投稿でき、リアルタイムで仲間と共有できる。可愛らしさを追求するには、それなりに技術が必要なようだが、基本的にはユーザー登録をすれば誰でも投稿を行うことができる。具体的には、「お腹すいた~。」「暇すぎる~。」「カラオケ楽しい~。」といった呟きレベルの感想を仲間と共有することになる。

また、「rigureto」は、自分の中の「へこみ」を不特定多数の者に相談し、「なぐさめ」をもらうことのできるサイトである。このサイトでは、相談者にも回答者にもIDやハンドルネームがつかない仕様になっているため、誰が相談しているのか、誰が回答しているのかはユーザーにはわからない。具体的には、「最近彼が冷たい」であるとか、「待ちくたびれた」といったような相談が寄せられ、それについてなぐさめが寄せられることになる。

この2つのコンテンツは、土井が述べる若者文化や仲間意識にうまく答えていると思われる。「Decoo」は、仲間が何を感じているのか常に確認することができる絶好のコンテンツであるし、「rigureto」は、キャラ演出のために本音を仲間に語ることのできない若者が、自らのことを全くあかさずに「へこみ」を打ち明けられるコンテンツである。

土井は、若者にとっての携帯電話の役割を、「自らの周囲に張り巡らされた複数の他者からのメッセージを受信し、それらを三角測量することによって仲間うちでの自分の位置を割り出すことを可能にしてくれる」「社会的GPS」であると述べる。若者にとって携帯電話とは、人間関係をより円滑に保つために、なくてはならない道具になっているのであろう。

 最後に、低年齢の者でも容易に参入できるような携帯電話に対応しているコンテンツの登場である。文部科学省が行った同調査の中、「子どものインターネットの利用目的」をみると、主に携帯電話で「自分のプロフを公開する」や「自分のブログを公開する」について小学校、中学校と比べて高校の割合が突出して高い。このことは、自ら情報を発信するためには、それなりの主張や知識が求められている結果であると考えられよう。

 しかしながら、例えば先にあげた「Decoo」や「rigureto」の場合、一般的なブログと異なり、参入するのに必要なのは知識でも主張でも、面白いネタでもない。必要なのは、その時々に感じる気持ちのみである。

 このような、感情共有型ともいえるようなコンテンツの登場により、低年齢の者のネット世界への参入がより容易になることが考えられるだろう。

上記で述べてきたように、1.携帯電話を持っている者による同調圧力、2.ケータイによるネットのコンテンツと若者文化・仲間意識の相性の良さ、3.低年齢の者でも参入できるようなコンテンツの登場、の3つの理由により、筆者は、携帯電話は今後どんどん児童生徒に受け入れられるようになるのではないかと考える。このような状況の中で、児童生徒が携帯電話を「持たない」ことを自主的に選択するのはかなり難しいのではないだろうか。


 続いて第2、「持たせない」ことによって、子どもをネット犯罪から守ることができるのだろうか。この点について筆者は、守ることができないと考える。理由は、先から上げている調査による。「携帯電話やパソコン利用によるトラブル(携帯電話有無別)」からは、携帯電話を持っていなくても児童生徒がネット犯罪の被害にあっている様子がわかる。(本速報では、ネットに接続できる環境があり、携帯電話を持っていないものも、携帯電話無しグループにふくまれている。)

 例えば中学校では、「インターネットの掲示板やメールで悪口を書かれた」割合は、持っている者の6.0%、持っていない者の2.2%である。また、「携帯電話のカメラで撮られた写真が悪用された」割合は、持っている者の0.8%、持っていない者の0.2%である。さらに、「ネットで知り合った人と実際に会った(または会いそうになった)」割合は、持っている者の2.3%、持っていない者の1.0%である。これらのことから、自らが携帯電話を持っている、いないに関わらず、ネット犯罪の被害者になる可能性が十分にあることがわかる。

 以上のことから筆者は、現在では、子どもが携帯電話を持ちたがるのを抑えることはとても難しく、また、それが達成できたとしても、子どもをネット犯罪から守りきれるわけではないと考える。ネットのモラルを教える方がより重要であろう。

また、現在の若者文化を踏まえれば、携帯電話とどう関わって行くのが良いのか、そんな携帯電話との距離感を学ぶことも大切であろう。一般的に心理学の実験結果では、人と人がコミュニケーションを行うとき、言葉以外、例えば顔の表情や話し方等から得ている情報は85%~95%にのぼるといわれている。しかし携帯電話は、その情報の多くを損なうコミュニケーションの手段である。例えば、「今、怒っている!」と書いている人が本当に怒っているかどうかは、文字をみているだけでは判断できない。

携帯電話を介して得られた文字情報について、自分の中でどれほど適切に重みをつけられるのか。一度考えてみるのもよいだろう。