ヤンキー・カム・ホーム
経済学部 駒田 純久准教授
消費社会や消費文化研究の中で、「ヤンキー」の台頭が目立ってきました。今年に入り、難波功士の『ヤンキー進化論』(光文社新書)や五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)など、意欲的な論考が出版されています。もちろん、これまでにも不良・ツッパリ・暴走族といった社会のアウトサイダーを取り上げた研究は少なからず存在していました。しかし、今回のヤンキー論は、不良文化だけに規定されない、日本の地方社会に根を張った「ヤンキー性」(故ナンシー関のいう「血中ヤンキー度」)に注目した点に新しさがあります。
したがって、映画やドラマでヒットした『ルーキーズ』、『ドロップ』、『クローズZERO』、『ごくせん』といった分かりやすいヤンキー物のみならず、セカンドバッグ、光り物へのこだわり、よさこいソーラン、相田みつを風の日本語のメッセージが(ラーメン屋のメニュー風に)書かれたTシャツ、ニセモノのヴィトンなども研究の射程に入ってきます。そこで、問題となるのは、ヤンキー性なるもの、「かっこいい」と感じるヤンキー的美意識です。
長い間、日本社会における若者文化は、海外>都会>地方というように、明確なヒエラルキーがあり、審美的に東京もしくは海外の優位性はゆるぎないものでした。そのため消費文化の先端を意識すれば、自然と研究者の目は東京やNYに向けられました。実は、90年代後半から注目されたオタク論研究も、その文化の聖地としてのアキハバラという東京の都市を基点とするために、このヒエラルキーを脱したものではありませんでした。また、ロハスや北欧スタイルといった海外移入文化もその担い手は都会に住む人たちでした。
しかし、ヤンキー論で取り上げるヤンキー性、ヤンキー的美意識は、地方で育まれてきたものです。なぜなら、地元を愛し、地元で働き、若く結婚し、たくさんの子どもをもつことがヤンキー的美意識における「かっこよさ」であり、地域共同体の紐帯から抜け出すことは、ヤンキー性の喪失につながるからです。(だから、東京で生まれ東京で育った人には、ほとんどこのヤンキー性がありません)
当然、潜在的にヤンキー性を帯びた人(地方生まれの人)は、かなりの数にのぼり、日本社会のサイレント・マジョリティを形成していると推測できます。ナンシー関の、「日本で流行るためには、ある種のヤンキー性を帯びていなければいけない」という洞察はきわめて的を得ていると考えられます。
脱「東京」、脱「海外」の消費文化に注目が集まることは、今流行りの「地方分権」のキーワードにも結びつきます。さらに、漢字を好むヤンキーの「和」のテイストは、海外文化の流入を遮断して開花した「国風文化」時代の兆しかもしれません。
