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2009年10月 7日 (水)

雇用対策に関する視点

雇用対策に関する視点

経済学部 講師 俵 典和

<時間が無い場合は、最後の段落だけでも読んでください>

 雇用に関する問題は現在ホットである。大学の授業でも、採用、失業、雇用に感する話をすると、学生の顔つきが変わることがよくある。今回、紹介したいデータは、マンキュー(ハーヴァード大学経済学部教授)の入門経済学第5 版の「失業」の章のコラムで紹介されている各国の失業給付金に関する比較である。数字は、離職前の賃金に対する比率(リプレイスメント比率と呼ばれる)である。[なお、これらは制度上の数字ではなく、現実の比率を、異なる属性間(例えば、失業前賃金、失業期間、家族の形態など)で平均したものである。出所は、OECDの報告書である。]

日本 8%

米国 14

ドイツ 29

フィンランド 36

フランス 39

デンマーク 50

オランダ 53

 欧州諸国の高い失業給付水準に対しては、「これでは真面目に失業者は求職活動をしなくなる、だからこそ大陸諸国では高失業なのではないか」という意見は頻繁に聞かれる。しかしながら、よくデータを見てみると、大陸諸国(フランス、ドイツなど)の失業は高水準であるが、北欧諸国(デンマークなど)の失業率は、1990 年代前半の金融危機の時期を除けば決して高くはない。雇用者一人当たりの生産性を比較してみると、欧州諸国は、米国と比較し大きいことは、頻繁に指摘されることでもある。わが国の低い失業給付水準の妥当性は、きちんと学術的に検討してみる必要はあるかと思う。実は、失業給付の経済への影響や、その最適な水準や制度設計のついては、古くは、ベイリーによる失業保険の最適性の検証方法に関する論文があり、近年でも、ワーニング、シャイマー、チェティら、超スーパースター経済学者による研究が生まれている。

 それでは、失業給付を増やすことには、どのような影響があるのだろうか?言うまでもなく、まず、求職者に悪いインセンティブを与えてしまうことである。つまり安心して真面目に求職活動をしなくなるから、失業期間が長期化してしまう可能性があることである。しかし、これは、失業保険の唯一の論点ではない。そもそもの目的は、失業時の所得保障という通常の保険機能による厚生の改善であろう。しかもこの保険機能による厚生改善は、雇用が安定している正規社員よりも、不安定な非正規社員の方がはるかに大きいと考えられるので、全ての労働者に失業保険(わが国では制度上は雇用保険と呼ばれる)を適用させる民主党の政策は妥当である可能性が高い。主に正規社員が失業保険でカバーされている状態を前提とした議論の再考は必要であろう。非正規社員にまで失業保険制度を拡充すれば、これまで以上に、失業保険の保険機能を重視して、失業給付のリプレイスメント比率水準を考える必要があるかもしれない。

 他にも重要な論点が存在する。まず、失業給付の、労働生産性改善効果そして、新卒市場以外の労働市場がより厚みを持ってくることである。失業給付が増えたから、安心して失業の危険を冒してまでも転職しよう、という労働者が増えて、仕事と労働者とのマッチの改善にともなう生産性の改善が理論的には期待される。しかしながら、わが国の雇用慣行、価値観を前提とすれば、仮に失業給付金が増額されたとしても、失業によるコスト(雇用機会の大幅な削減)はあまりにも甚大であれば、こうした期待は非現実的な可能性もあるので、注意が必要であろう。

 それから、失業給付が求職者に与えるマイナスのインセンティブに関してだが、これは工夫することにより、対応ができる可能性がある。理論的には、毎月の失業給付額を、失業期間にどのように依存させるか、という制度設計(メカニズム・デザイン)の研究が盛んである。直感的には、失業期間が長いほど、失業給付額を減少させるという風にすれば、ある程度インセンティブの問題を和らげることが出来るのではと考えられる。ホッペンハインとニコリニによる有名な研究では、そうした性質を最適失業保険が有することが指摘されている。

 最後に、しばしば引用されるモフィットやマイヤーによる研究では、失業給付額の増額は、失業期間を増やすことが知られている。伝統的な解釈は、失業者が真面目に求職活動をしなくなるというモラル・ハザードの存在である。しかしながら、よく考えてみれば、これは唯一可能な解釈ではない。そもそも求職活動にはおカネがかかる。十分な流動資産(現金や預金)が無ければ、有効な求職活動はできない。極端な表現だが、ホームレスの状態で、食事も入浴もせずに、真面目に求職活動をしたところで、面接すら受けられないであろう。流動資産が底をつけば、求職活動は停止せざるを得ない。あまりにも当たり前の事実であるが、先ほどの失業給付水準と失業期間とのプラスの関係は、このような流動性制約の問題として解釈することも可能であることに着目したのが、最近カリフォルニア大学バークレー校からハーヴァード大学に引き抜かれたチェティによる重要な研究である。モラル・ハザードなのか流動性制約なのか、という2つの異なる解釈のどちらがどの程度妥当しているかの検証は、極めて重要である。もしモラル・ハザードが重要であるならば、現在の失業給付水準は過大であり、流動性の問題が重要であるならば、失業給付水準は増やすのが望ましい、ということになる。チェティは、これを検証する非常に簡便な方法を考案した。彼によると、米国における望ましい失業給付の失業前賃金に対する比率(リプレイスメント比率)は50%程度だという。つまり、現在の水準は、あまりにも過少だと示唆している。同じ問題意識で、異なった方法を考案したシャイマーとワーニングの最近の研究では、最適リプレイスメント比率は、50%よりはかなり小さいそうだ。

 最後に最近の学生の就職活動について一言申し上げたい。私のゼミでも、就職の決まった4 年生と、まだ活動中の4 年生が若干いる。内定をもらった学生の中には、「もう何もやる気しないな」と気の抜けた感じの学生もいる一方で、必死に今でも活動を続ける学生も少数ではあるけどいる。是非、多くの方々に、齋藤孝氏の「<貧乏>のススメ」という本を読んでいただきたい。私は、内定をもらって気が抜けてしまっている学生の将来は、案外危険であるような感じもする。別に10 年、20 年の雇用の絶対的な保証をもらった訳ではない。どんな人にでも、失業するリスクはある。整理解雇とは限らない。病気、冤罪、いろいろリスクはある。困難にぶつかったとき、生きていけるのだろうか。それよりも、今必死に就職活動を頑張り続けている4 年生は、哀れむ人々もいらっしゃるだろうが、実は意外に将来は明るいのではないだろうか。私にはそんな感じがする。同じように思う社会人は、私だけではないと思う。