普天間基地移設問題と八ツ場ダム問題――NIMBYが問いかけるもの
経済学部 松林 秀樹 講師
普天間基地の移設問題と八ツ場ダムの問題。
一見すると、昨年の後半から話題になっているということ、および民主党政権の今後の対応に注目されるということ以外に、特に共通点はない問題のように思えるかもしれない。しかし、この2つの問題には、共通して考えるべきテーマが隠されている。
まずは、それぞれの経緯を簡単に見ておこう。
普天間基地は、太平洋戦争における沖縄戦のさなかに、アメリカ軍によって占領された現在の宜野湾市に飛行場が建設されたことに端を発する。その飛行場は終戦後も維持され、1950年代以降、アメリカ陸軍(現在は海兵隊)の基地として整備されていった。その後、1995年にアメリカ兵が日本人女性に対する暴行事件を起こし、沖縄全体で基地反対・返還運動が起こったこと、および2004年に普天間基地のヘリコプターが近隣に墜落する事故があったことなどをきっかけとして、辺野古崎沿岸部への移設が日米間で合意された。しかし現在の民主党政権は、日米合意の再検討を示唆し、今年の5月まで結論は先送りされたままになっている。
八ツ場ダムは、1947年のカスリーン台風による大きな被害を教訓として、利根川の上流にダムを築いて下流域の洪水被害の軽減を図るために1949年に計画されたダムである。計画当初はそうした治水面のほか、人口の増加が予想される首都圏の水源(利水)としての役割も期待された。その後、支流から強酸性の水が流れ込んでいることから計画は一時中断されたが、水質改善策が功を奏したことにより、1967年に現在の場所にダムを作る計画が決定された。その直後から水没する地域を中心としたダム建設反対運動が起こり、行政と住民の対立が続いていたが、その転機となったのが、1973年に制定された「水源地域対策特別措置法」および1980年に行政より提出された「生活再建計画」であった。これらに基づき、行政と地元住民の話し合いが行われ、1992年に「八ツ場ダム建設事業に係る基本協定書」および「用地補償調査に関する協定書」が締結されたことにより、ダム建設が前進することになった。しかし、近年の公共事業の見直し論や、昨年夏の衆議院選挙によって政権党となった民主党がマニフェストのなかで八ツ場ダム建設中止をうたっていたことから、予算規模も含めてダム建設の是非が問われるようになっている。
この2つの「問題」から、はたして何が見えてくるのか。
ここで、サブタイトルに挙げた“NIMBY”という概念が登場してくる。NIMBYとは“Not In My Back Yard”という言葉の頭文字をとったもので、直訳すれば「裏庭はやめてくれ」ということになる。その意味するところは「(基地やダムなどの)施設が必要で、どこかになければならない、というのは分かる。でも、作るとしても自分のところはやめてくれ」という考え方である。
NIMBYという概念は、原子力発電所、産業廃棄物の処理場、火葬場など、一般的には「迷惑施設」と呼ばれるものが建設されようとする場合に登場してくる。上記の通り、そういった施設がなければいろいろと問題が発生することは分かるが、だからといって何も自分のところでなくてもいいだろう、という考え方のことだ。一般的にはダムを迷惑施設に分類することはないが、「なぜ他の地域の生活・産業のために自分のところが水没しなければならない?」という疑問は、NIMBYとして分類することができるだろう。こうした考え方は、「総論賛成、各論反対」という言葉でも表現される。
アメリカ軍の基地は、(良いか悪いか、およびその存廃をめぐる議論はひとまずおいて)戦後日本の安全保障体制を支えてきたものであり、(現状では)どこかになければならない。ダムにしても、電力供給という側面も含めて、まったくいらないというものではない。つまり、どこかで誰かが不利益を被る必要が出てくるのである。
実は、こうした状況はこの2つの事例に限った話ではない。極端にいえば、戦後日本のありとあらゆる地域で起こり、戦後日本の政治・政策・公共事業の「問題」を通底している。以前は、NIMBYのような考え方は「地域エゴ」といわれることもあった。つまり、迷惑施設の建設反対運動をしている地域住民に対して、「それ(施設)がなかったら、多くの人が困ることが分かるのに反対するのか?」という目で(他の地域から)見られることがあった。
しかし、政治・政策・公共事業というものはすべての人に「幸福」をもたらすために行われている、という理念的な前提に立てば、「多数の幸福のために少数を犠牲する」ことは許されることではないだろう。はたして、こうした政治・政策・公共事業の問題は、どうすれば「最善」の策を見出すことができるのか。どうすれば不幸な人を生み出さずに「社会の要求」を満たすことができるのか。
もちろん、基地やダムというのはどこにでもあるものではない。迷惑施設にしても、頻繁に建設されるものではないし、さほどの数を必要とするものでもない。普天間基地や八ツ場ダムの問題は、多くの人にとって無関係・無関心なものとなっているだろう。しかし、その現場にいる人にとっては“My Back Yard”に現れた、抜き差しならない問題となっている。そして、現在は無関係・無関心である人でも、ある日突然、同じような状況に置かれる可能性は十分にある。
普天間基地と八ツ場ダム。この2つが提起する「古くて新しい問題」を、ぜひとも多くの人に考えてもらいたいと思う。
