駅弁と発表 ―東 倫広准教授
プレゼンテーションZenの作者であるガー・レイノルズさんはある日東京での仕事を終えて東海道新幹線で大阪へ行く途中、隣席の日本人ビジネスマンの発表用スライドを眺めて駅弁を食べながら心の中に次の疑問を感じた:「目の前にある日本の弁当はすばらしく効率的で、献立は十分練られており、無駄なものは一切ない。それに比べて、通路越しに見えるPowerPointのスライドは、まとまりがなく、とても分かりやすいとはいえない。なぜ日本の駅で売られているシンプルな駅弁の精神を、ビジネスに関するプレゼンテーションに取り入れることができないのだろうか?」
確かに今まで日本で聞いた発表はギッシリ内容を詰め込んだスライドを聞き手の目を合わせずに読み上げていくことが多かった。外国人の目線から見ればそれは「発表する」より「示す」という意味が強いであろう。なぜ漫才や笑い芸人のパフォーマンスは簡単で分かりやすくて誰でも心から笑えるが、発表だけは苦手なのか。
物事をはっきり言わなくても日本人同士の間に理解できるので、発表という行為はただの儀式に過ぎないかもしれない。そしてPowerPointは発表用の道具ではなくデータを示すためのノートパットである。発表の必要性を感じない日本人は自然に発表内容や順番を聞きやすいように工夫しようとしないのであろう。ビジネスの世界では花より団子、華やかな発表儀式よりサービスや製品の中身がよほど重要だと考えられているため、発表は常に重要視されていない。
もう一つ考えられる理由は、場を大事にする日本人は例え発表者のプレゼンはまずくても我慢して最後まで聞く。なぜかというと、一生懸命発表資料を用意してプレゼンしてくれる人に対して不満を表すことは、発表テーマを理解しようとしている「皆の場」を邪魔することになる。同じように電車中の迷惑行為を誰も止めないのは、同じ電車にいる乗客の場を破壊したくないからである。そのために発表者は永遠に自分のプレゼンがまずいという実感がなく改善しようとしないのであろう。
「世界一分かりやすい授業」という番組をよく見る。短い時間の中に講師は番組が用意したセリフを読み上げたり、授業に関連する実験をやったり、司会者の冗談を混ぜたりして、確かに分かりやすかった。しかし今まで視聴した「授業」はどのぐらい印象に残ったのかを自分に問った。分かりやすいだから忘れやすいなのかもしれない。駅弁や漫才などその場で喜びを感じた後さっぱり忘れることが大丈夫のであれば、発表を短い時間に理解できるように工夫する必要がある。しかし教育現場で教員のプレゼンである講義をわざと少し聞きにくくして、学生に知識の塊を組立ててもらうことは教育効果を向上させられるかもしれない。
