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2010-06-30

公訴時効の廃止について思うこと ― 藤原 重紀教授

 2010年4月27日、殺人の公訴時効廃止などを柱とする改正刑事訴訟法と改正刑法が衆議院本会議で与党、自民、公明党など賛成多数で可決、成立し同日施行された。政府が同法案の可決・施行を急いだのは、翌日(28日)午前0時に時効が迫っている事件があったからと報道された。

 この事件は、1995年4月28日未明に岡山県倉敷市で発生した殺人・現住建造物等放火事件で、70歳と66歳の老夫婦が刺殺体で発見され、住宅など4棟が全焼した事件である。
 公訴時効の廃止を巡っては、犯罪被害者がこれまでも「逃げ得を許してもいいのか。」という声をあげていたものの、法改正には結びつくことはなかったが、本年1月10日、葛飾の上智大学生殺人事件の被害者遺族が時効制度の撤廃を求めて会合を開き、これに多くの犯罪被害者の遺族が参加したと報道され、この会合後、マスコミ各社において「刑事事件の時効制には合理的な理由がないのではないか。」という主張みられ、このことも世論を動かした大きな一因とみられる。

  改正法による時効見直しの対象となるのは「人を死亡させた罪」で、殺人や強盗殺人など、法定刑に死刑を含む12の罪については現行の25年が時効廃止となった。また、強姦致死など刑の上限が無期懲役刑の罪は時効の期間が現行15年のものが30年に、傷害致死や危険運転致死罪など上限が20年の罪は同じく10年から20年に、自動車運転過失致死や業務上過失致死などその他の懲役・禁固刑は同じく5年が10年になるなど、現行の時効の期間がそれぞれ2倍と延長された。

  そして、改正法は、施行された時点で時効が完成していない事件についても適用された。

  ところで、時効には民事の時効と刑事の時効があり、刑事の時効には「刑の時効」と「公訴の時効」がある。今回改正されたのは「公訴時効」である。つまり、一定期間経過することにより、犯罪の真犯人を見つけても起訴することができなくなるという国家刑罰権を排除する制度である。このような制度は世界各国にあり、我が国の母法となったドイツ法、アメリカにも存在するが、アメリカの場合、殺人については公訴時効を置かず、いつまでも起訴が可能という状況に置いている。

 我が国で、これまで時効制度をとっていた理由について、それぞれの分野で意見があるが、その一つとしては長期間にわたって追及されなかったという継続した状況・状態を尊重しようという考え方、二つめは被害感情や社会的応報感情が希薄化してきていること、三つ目は社会的影響が弱くなっていること、四つ目は刑罰の価値が低減していること、五つ目は証拠が散逸して検察・弁護双方に不利なことなどが主張されている。

  この法改正について、マスコミ各社は
・ 公訴時効制度の見直しは、期間を延長した2005年の改正以来5年ぶり。公訴時効が  廃止されるのは刑事訴訟法の前身である治罪法制定(1880年)以来初めてで、刑事政策の転換となる(毎日新聞)。
・  捜査実務にも影響する刑事司法の大転換が、約4週間という異例に短い国会審議を経て実現した(朝日新聞)。
・ 成立した法律は、現に時効が進行中の事件について時効の廃止と延長を求めるもので、憲法に違反する強い疑いがある。との日本弁護士連合会の意見(MSN産経)
等と、国による刑事政策の転換を大きく報道した。

 刑事政策について、その概念は依然として曖昧であるが、例えば安平政吉「刑事政策概論」によれば、「犯罪の鎮圧防止ということ並びに犯人の処置ということを、主として刑罰手段またはこれに類似した手段乃至これと密接不可分の関係にあるものをもってした場合の問題」、あるいは「犯罪防止をめざす国家または地方自治体の活動」(守山正「ビギナーズ刑事政策」)と定義している。また、最近の刑事政策学では「私人の活動」や「被害者の救済」も視野に入れてきている(藤本哲也「刑事政策概論」)。

 いずれにしても、最終的には犯罪の防止、すなわち社会の平穏を維持することに収斂されてくると考えることができるが、社会の平穏の維持は国家ないし社会の原始的機能で、その手段として刑罰が必要不可欠なものとなっている。

 犯罪を防止するには、刑罰のほかに犯罪者の矯正・改善をはじめとする犯罪者処遇、あるいは犯罪が発生する前の段階で何らかの措置を講じる犯罪予防対策、さらには被害原因を研究する被害者学や被害者の救済などの多くの学派が誕生し、実行されてきた。

 しかしながら、今日に至っても犯罪を根絶する妙薬は発見されていない。近年になって、犯罪の増加とともに考えられてきた犯罪予防の妙薬は環境犯罪学の実践である。この理論はマーカス・フェルソンやロナルド・クラークによって唱えられたものであるが、要するに犯罪者の視点に立って犯行が行われる要素を排除(例えば監視されている環境を作り出す方策、被害額をなくすため自動販売機の現金をこまめに回収する手法等)しようとするものである。

 こうした中で、公訴時効の廃止は刑事政策の古典的な法執行モデルへの回帰であるともれるが、社会の応報感情の高まりやDNA型鑑定の高度化から時効制度が合理的という可能性は少ないと思われる。しかし、その一方で国家刑罰権の強化・肥大化は、人権侵害の危険を大きくする、と考える人たちもいる。また、罪刑法定主義の一つの重要な内容である刑罰法規の不遡及原則にかんがみ、前回の改正では法施行後の犯罪から適用するとしていたのを今回は法施行前の犯罪にも遡って適用している。

  学生の皆さんは、公訴時効の廃止についてどんな感想をもちましたか?