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2018-07-05

一角獣,現る!:日本のイノベーション・起業を阻むもの ― 國方 敬司 教授

 船戸結愛ちゃんの事件を覚えていますか。結愛ちゃんが,わたしの生まれ故郷である香川県の善通寺市に住んでいたということもあって,非常に悲しい思いもあり,ニュース解説に取り上げてみたいとも思ったのですが,ここでは,次の点を指摘するにとどめたいと思います。というのは,1980年代後半のイギリスでは幼児虐待死とかかわって,その事件を担当していたソーシャル・ワーカーの法的責任が追及されていたということです。30年ほど前のことであり,記憶も薄らいでいて詳細も忘れたのですが,家族の問題で担当者の責任が追求されるのだ,というので驚いた記憶がぼんやりながら残っています。

 さて,話は切り替わって,2018年6月20日(水)の新聞は,日本経済新聞はもちろん,山形新聞といった地方紙まで各紙「メルカリ」の上場を伝えています。そのこと自体は,ここでの主題ではありません。メルカリの上場とかかわって「ユニコーン」について言及している新聞も多くありました。たとえば,朝日新聞は,「『ユニコーン』続くか」という小見出しでつぎのような記事を掲載しています。

 「証券業界では,非上場ながら推定企業価値が10億ドル(約1100億円 )を超える企業を「ユニコーン」と呼ぶ。海外では多くの企業が上場してきたが,日本でのユニコーン企業の上場はメルカリが初めてだ。

 それだけに業界の期待は大きい。日本証券業協会の鈴木茂晴会長は「成長が著しく,個人になじみ深い企業の上場は,市場の活性化だけでなく,投資家層の拡大につながる」と話す。

 ただ,ユニコーン企業が数十~100社を超える米国や中国に比べて,日本は大きなベンチャーが少ない。あるベンチャー支援会社の担当者は「大企業による優秀な人材や顧客の囲い込みがその一因だ。挑戦や失敗を許容する風土や制度など,起業家が成功するための仕組みができていない」と指摘する。

 経済産業省は今月から,ベンチャー向けの支援事業を始めた。起業から間もない約1万社のうち,弁護士や業界の専門家らが推薦した92社を「特待生」として選び,資金繰りや海外展開を手助けするという。

 証券業界の関心は,次のユニコーン探しに移っている。7月10日には,企業価値が2千億円超とみられる美容機器メーカー「MTG」(名古屋市)のマザーズ上場が予定され,メルカリに続くと期待が集まる。ある投資会社の幹部は「米中の活力はベンチャーによるところが大きい。大企業依存の日本経済は限界を迎えつつある。裾野を広げないと世界から取り残される」と危慎する。(大和田武士)」

 わたしがこの記事で注目したいのは,起業家が成功するための仕組みができていないためにベンチャー企業が育っていないというくだりです。先日,福島大学大学院のイノベーション演習で話したことを基に,日本の問題点について解説を加えていきたいと思います。

 今年4月24日の日本経済新聞によると,アリババ集団が出資する中国新興の電気自動車(EV)メーカーの小鵬汽車が人工知能(AI)を駆使した市販車を発表した,という。小鵬汽車は2014年設立で,1月には台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業傘下の富士康科技集団(フォックスコン)が出資を表明しているほか,小米の最高経営責任者らも出資をしている。また,ライバルの新興EVメーカーである上海蔚来汽車(NEXT EV)には騰訊控股(テンセント)が出資しているというのですが,どちらの企業も,創業から短時日で開発・販売するという点では共通しています。それが可能になったのも,巨大資金が一気に注ぎ込まれているからにほかなりません。

 それに対して,わが国ではどうでしょうか。2月17日の朝日新聞フロントランナーで,空飛ぶクルマの開発を進めている人たちの話が取り上げられていました。そのなかで,つぎのような談話がのっていました。

 「私たちが空飛ぶクルマを構想した時は,世界でも突出したアイデアだったでしょう。その後,メリアカ,ドイツ,チェコなどで開発が急に盛んになりました。ベンチャー企業に投資ファンドが大型の投資を行い,エアバスのほか配車サービス大手のウーバーやグーグルの創業者も参画しています。日本はあっという間に出遅れた。正直悔しい。

 海外は,将来性があると分かれば,出資者に事欠かない。日本では先例がないと,思い切った決断はしない。開発風土の違いなので,文句を言っても始まりません。」

 先に述べた中国のEV開発とは雲泥の差があるといえないでしょうか。わたし自身は,日本でイノベーションを起こすアイデアが足りないとは考えていません。問題は,企業経営者のあり方であり,アイデアに対する銀行をはじめとする投資主体のあり方であると考えています。

 これはなにも,わたしだけが問題視していることではありません。オリックスのシニア・チェアマンである宮内義彦さんの著書から,ポイントとなる部分を引用しておきましょう。

 「…前略…資本主義経済下の経営者というものは「イノベーショをン起こす人」だと,私は定義しています。失敗を恐れず,世の中に新しいものを提供しつづけていこうという資質が,企業のトップに求められていると思うのです。

 そして,この資質はトップのみならず,会社の中のあらゆる部署のリーダーに必要なものであるとも言えます。各部署のリーダーたちが,それぞれ創造性を発揮して組織を率いていくことで,会社は大きく伸びるはずです。

 ところが日本では,なかなかそうした創造的な組織が成り立ちにくいのです。

 その理由としては,よく言われよるように,もともと日本の企業は年功序列を重んじる傾向にあり,目立った失策をしなければ自動的に組織の長になれるといった企業風土が根底にあることが挙げられるでしょう。

 さらに,バブル崩壊以降の「失われた十年」あるいは「失われた二十年」という括りでいえば,経済全体が停滞,縮小するなかで,企業の経営者が行ってきたのは消極的な対応ばかりで,それが日本の企業社会に通用するようになってしまったということも大きいと思います。

 その消極的対応の最たるものが「リストラ」です。 経営者としては会社の利益を確保しなければなりませんが,低成長下で売上を伸ばす術が見つからないため,皆こぞってリストラに舵を切ったのです。おかげで,「名経営者とはリストラがうまい人」といった思い違いが,経済界に蔓延することとなりました。

 リストラをすれば経費が下がり,その結果収益を確保できることになりますが,新しい価値を生み出すことにはなりません。確かに,効率の悪いものや不必要なものをリストラによって切ることで,社会に富をもたらしていると言えなくもないのですが,経済社会にとって分母も分子も減らしていくという流れは,全体としては縮小に向かうしかないのです。

 これが果たして,ノーマルな経営と言えるでしょうか。私の知るかぎり,リストラで伸びた会社などありません。

 やはり,企業経営者の責務というものは,ゼロから富を創造すること,新しい価値を社会にもたらすことです。そのためには,常に新しいものにチャレンジしていくという姿勢が必要なのです。これこそがイノベーションにほかなりません。

 イノベーションを巻き起こそうと思えば,何らかのリスクを取っていくことになります。リスクを恐れていては,何の改革もできないからです。

 しかし,やみくもにリスクを受け止めて,猪突猛進に突き進んでいけばいいかというと,それは違います。トップおよびトップを補佐する者は専門的な知識を持ったエキスパートであるべきで,そのチャレンジは緻密に計算されたものでなければならないのです。したがって,とるべきリスクは「バッドリスク」ではなく「グッドリスク」ということになります。

 とはいえ,リスクはリスクですから,不確定な要素は最後まで残ります。それでも難しい判断を引き受け,チャレンジを決め,実行に移すのがリーダーとしての役割と言えるでしょう。

 ところが,日本経済の停滞が長期に及んだことで,改革に消極的なスタンスは経営者たちの意識に染みついてしまい,「リストラ型経営」から「イノベーション型経営」へと転換を図るのはとても難しいことに思われてなりません。…後略…」<『グッドリスクをとりなさい!』プレジデント社,2014年,156-159ページ>

 イノベーションと関連して,近年,若い人たちに起業をすすめるキャンペーンが盛んになっています。文部科学省もかなり力を入れていて,「次世代アントレプレナー育成事業」などの大学での起業家精神養成だけでなく,「小・中学校等における起業体験推進事業」なるものも展開しているようです。もちろん,こうした試みを否定する気はありません。チャレンジ精神を養うことは重要です。

 しかしながら,精神論だけではどうにもなりません。先にも指摘したように,日本では,起業のための制度,投資のあり方が整っていないのです。ここでも,宮内さんに登場願いましょう。

 アメリカの経営者が,日本の経営者のように命がけでビジネスをするというのは考えにくいことです。企業経営は「生活の糧を得る=命を守るためにやる」わけですから,アメリカの経営者にとって「命懸けの経営」というのは理屈に合いません。

 私はよく「体を張って仕事をしろ,しかし命は懸けるな」と社員にいっています。どこが違うかというと,「体を張って仕事をする」ということは「一生懸命やる」ということです。それで「これ以上やったら体を壊す」と思ったら休めばいいのです。つまり,生活の糧を得るための仕事は,せいぜい体調を崩すところまでです。私自身も,ひとたび体調を崩したら,完治するまで徹底的に休むことにしています。

 本来が生活の糧を得るための企業経営なのに,それに「命を懸ける」というのは本末転倒です。

…中略…

 資本主義とは,資本というリスク・マネーを基礎として事業を起こすことです。なかでも株式会社は株式という出資形態をとり,出資者(=株主)の責任は出資金額(=株式)の範囲にとどまるのが特徴です。株式は,企業が使用する資金のなかで最も劣後する資金です。つまり,借入金などに比べて,返さなくてはいけない順位が最も低いのが株式なのです。もちろん,それほど資本を必要としない事業では,株式会社という形態は,あまりその長所を発揮しません。

 一方で,最初から多くの資本を必要とする場合や,事業拡大のために多くの資本が必要になった場合は,「出資者の責任が資本金の範囲内にとどまる」という株式会社制度の長所によって,多数の出資者を募ることが容易になります。その意味で,株式会社は最も発展した企業の形態だと考えられます。

 実際に経営する場合には,この資本金だけでは運転資金や設備資金をまかないきれないことが多いので,その不足分を借入金等によって補うことになります。金融機関などから借り入れをするには,自らリスクをとった資本金に比べて安全性を高めにしなくてはなりません。

 自ら事業を起こそうとして資本を出し,出資者はリスクをとる代わりに,その事業が成功した場合は,その収益がリスクに対する報酬として返ってくるわけです。しかし,事業が失敗すると,それは無に帰してしまう危険もあります。資本金はハイリスク・ハイリターンという性格です。

 これに対して,金融機関からの借入金あるいは資本市場から調達するCP(コマーシャル・ペーパー,短期資金調達のための約束手形)や社債は,資本金に優先して返済されることでリスクが低く設定されています。つまり借入金の返済は資本金よりも確実性が高いわけですが,金融機関はその確実性をより高めるために事業計画を精査したり,経営者を品定めするわけです。それに加えて日本では,先ほどの話のとおり,個人保証や担保を求めるわけです。

 そうすることで株式会社組織の特徴である有限責任が崩れ,個人保証はすはべての負債に責任をとることに転化し,担保などは借り入れの返済に充当することでいわば命懸けの事業に転化してしまうわけです。金融機関に対して行う個人保証や担保提供という行為は,このように株式会社の理念を変え,昔ながらの無限責任の個人事業にしてしまっています。

 この結果,日本では事業を起こすことのリスクが高まり,また廃業することをより困難にしています。

…中略…

 残念ながら,従来から日本の金融システムは間接金融すなわち銀行等の金融機関が主体でした。一方で,資本市場はかなり前進しつつありますが,まだ十分発達したとはいえません。そうしたなか,中小企業はもともと資本市場に頼れるほど経営基盤が十分でなく,金融機関からの借り入れに頼らざるを得ません。

 このため,株式会社の本来の考え方をゆがめる個人保証のような慣行はなかなか変わりにくいのが現状です。最近破綻した企業の事例では,大企業の経営者ですら金融機関に対して個人保証をしていた事実が明らかになっています。

 特に新たに起業する場合,リスク・マネーを嫌う社会の風潮のなか,そもそも資本金を十分に調達することも難しい場面があります。

 もちろん,新たな証券取引所の誕生や上場資格の弾力化など,近年,広い範囲の企業に資本市場からの資金調達の場を提供するようになったことは大きな進歩といえましょう。それとともにベンチャー・キャピタルも資本提供者として徐々に力をつけてきており,起業家にとってはよい環境が整いつつあります。証券市場だけでなくより多彩な資本市場がますます発展することが求められます。

 繰り返しになりますが,現実の大部分の中小企業オーナーや経営者は起業家にとっての環境が好転しているにもかかわらず,個人保証や担保などで実態として無限責任を負っているのです。ですから,事業を起こすにもやめるにも日本では相当の覚悟が必要です。

 これに対して,例えばアメリカでは日本に比べて気軽に開業し,そして気軽にやめています。日本では開業率も廃業率も年間3~4%くらいですが,アメリカではともに年間12~14%くらいということです。

 どうして気軽に開・廃業できるかというと,アメリカの企業は株式会社組織の一番基本的なことに忠実だからです。

 例えば,アメリカではまず,「私は100万円出す。A君にはあまり無理なお願いはできないけれど30万円出してください。Bさんには10万円だけお願い」というふうにして出資金を集めます。資本金のみで不足する場合は,事業計画書を持って金機融関に行きます。事業計画書とは,自分の会社のこれからの見通しや経営する人の経験あるいは製品の特徴などが書かれた書類です。そして,「こういう事業をやろうと思うので,運転資金を貸して欲しい」などと金融機関と交渉します。

 金融機関は,貸付金が返ってこないリスク(これを「与信リスク」とか「貸倒れリスク」といいます)を,事業計画や経営者の手腕を見極めつつ計算をします。そのリスクに応じた貸出金利で資金を貸し付けます。

 その結果として,「貸付額が少なすぎる」あるいは「金利が高すぎる」と経営者が考えた場合は,他の金融機関に事業計画書を持っていきます。ほとんどの場合,アメリカでは「個人保証をしてまで事業をする」という考えはないようです。

 もし会社が倒産しても,アメリカの経営者は株主に「残念だ。ごめんなさい」でおしまいです。アメリカでは,もし会社が倒産しても経営者の自宅や不動産はそのままです。経営者を含めた株主は,銀行から借りたおカネを返す義務はありません。アメリカの知人に「事業があまりうまく行かなかったらしいね」というと,あれで「何十万ドル損したよ。それはさておき,今度はこういう事業をやるので,君も出資しないか」と次のステップを考えています。

 事業を継続する意味がないと判断した時点で,アメリカの企業経営者は早々に廃業します。そのときに買ってくれる相手がいれば自分が作った会社を売却することに躊躇しません。そういう相手がいなければ,ただ単に会社を閉鎖します。そして次の事業の準備をします。

 つまり,アメリカの経営者は,新しいビジネスに移行するのが日本よりも早いのです。

 これまで見てきたように,貸し手である金融機関の融資姿勢にも違いがあると同時に,借り手のもつ「事業観」といったものにも大きな隔たりがあります。日本では事業に失敗することが許されないような社会風潮がありますが,アメリカでは失敗しそうな度合いに応じて融資がなされています。

 これは,日本とアメリカのどちらで起業家精神が旺盛な人が多いか少ないかいということだけで説明できるものではありません。」<『経営論』東洋経済新報社,2001年,63-69ページ>

 いささか長々と引用してきましたが,本当に大事な指摘がここには多々含まれています。それをここでいちいち指摘することはやめにして,起業との関係に絞っていえば,起業を精神論で語るのではなく,起業を円滑におこなえるための制度や社会基盤の整備が先決である,先決とまでいわないとして,同時並行的に進めなければ,いくら起業家精神を吹き込んでも尻すぼみになるのではないでしょうか。空飛ぶ自動車の箇所で引用した談話のように,突出したアイデアもそれに投資がなされなければ,いつの間にか周回遅れになってしまうのではないでしょうか。そうしてもう一点,この引用文が2001年のものであることに注目していただきたい。この20年近い歳月のあいだに,どれほどの進展があったのでしょうか。

 最後に,大学生のみなさんは,とにかく新聞や本を読んでください。特に,紙媒体の新聞は情報源として重要ですから,目を通すだけでいいので,手にとってください。