経済学部経済学科 Feed

2019-01-23

「ランキング」考 ― 石坂 昌弘 教授

 東洋経済新報社が全国の都市を対象に「住みよさランキング」を毎年公表しています。東洋経済新報社によると、日本全国の市区について、公的な統計を基に、「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」の5つのカテゴリーに分類しランク付けしています。16の統計指標を基に、指標ごとに平均値を50として偏差値を算出し、部門別評価及び総合評価を行っています。昨年の6月に公表された「住みよさランキング2018」の結果によると、2018.6.14現在の全国814都市(東京23区を含む)の総合評価1位は7年連続の千葉県印西市、2位は愛知県長久手市、3位は宮城県名取市でした。印西市は千葉ニュータウンの中核地区がある新興都市で成田空港から近いなど、快適度や利便度が高く総合1位となりました。因みに群馬県の総合上位をみると、太田市の89位が最高で、2番目が高崎市の170位、3番目が前橋市の218位でした。カテゴリー別にみると、3市とも住居水準充実度、安心度及び利便度が低い一方、富裕度及び快適度に高い傾向が見られました。

 住みよさを考えるに当たっては、何を重視するかによって個人個人の評価が違うのは当然ですが、今回は太田市が富裕度群馬県最高順位(全国63位)だったこともあり、「富裕度」に着目してみました。まず、富裕度トップは東京都の千代田区でした。皇居を始め、永田町・霞が関、丸の内・大手町、神田・秋葉原など様々な顔を持つ千代田区は、東京だけでなく日本の政治経済の中心であることの反映ではないかと思われます。トップ30の内、11位まで全て東京都、またトップ30の内、何と19が東京都でした。まるで一極集中を象徴しているかのようです。次に多いのは愛知県の7、後は千葉県1、神奈川県1、埼玉県1、兵庫県1でした。すなわち、東京都と愛知県の2都県でほぼトップ30を独占しているといっていいと思われます。

 ところで、「住みよさランキング」の「豊かさ」に用いた指標は次の3つです。①財政力指数②地方税収入額(人口当たり)③課税対象所得(納税義務者1人当たり)です。それぞれ総務省が全国の市区を個別に調査したもので、公的機関のデータであることから、信ぴょう性は髙いと考えられます。その一方、わずか3つの指標で評価できるのだろうか、個人的には若干疑問が残るところです。財政力指数は地方公共団体の財政力を表す指数で、数値が高いほど財源に余裕があるということになります。東京23区には大企業の本社が集中していることなどから、税収や所得も多いことが推測されます。

 さて、同じ総務省から同じ時期に、「小売物価統計調査2017年(平成29年)結果」が公表されました。この調査では都道府県や県庁所在地の物価水準が分ります。
 この調査によると、物価水準が最も高いのは東京都、最も低いのは群馬県で、東京都の物価水準は、群馬県と較べて8.5%高い結果となりました。都市で最も高いのは川崎市、最も低いのは前橋市でした。東京都や川崎市は住居費が高く、物価が高くなるのは何となく想像がつきますが、群馬県(前橋市)の物価が全国一低いというのは意外ではないでしょうか。いくら収入が多くても、物価が高ければその分は相殺されます。

 世の中では様々なランキングが公表されています。ランキングの種類・目的は様々ですが、根拠となる情報やデータはどうしても限られてくるので、実態を正確に表しているかどうか考えてみる必要があります。今回の富裕度にしても、物価のほか世帯の貯蓄額や負債額などを指標に入れたらランキングが変わるかもしれません。かといって、今回の調査を軽視すべきものでもありません。指標の取り方によって変動があるにしても、実態を反映していることには違いがないからです。いずれにしても、調査結果を鵜吞みせずまずは疑ってみる、そして調査方法や指標等よく確認した上で評価する、これが大切です。

以上

2018-12-03

高速バスによる貨客混載で、新たな農産物の物流がはじまる! ― 中村 正明 教授

 貨客混載とは、貨物と旅客の輸送、運行を一緒に行う形態のことで、現在、鉄道・路線バス・タクシー・飛行機・フェリー等で行われている。

 2017年9月1日より、国土交通省は過疎地などで、貨物自動車に旅客をのせる事例等の解禁や、従来存在したあいのりバス(路線バス)による貨物輸送の重量制限を撤廃する規制緩和を実施している。この背景には、ドライバーの人手不足の解決と、公共交通機能が低下している過疎地域の公共交通に新たな事業展開の道を開き、路線を維持できるようにすることを大きな目標に掲げている。

 それに伴い、今話題となっているのが、全国農業協同組合中央会、農林中央金庫、三菱地所、大丸有環境共生型まちづくり推進協会の4者が、旅客用高速バスを利用した貨客混載の制度を活用し、生産量が少なく県外へ出荷できていない特色ある農産物を丸の内向けに定期配送する実証実験をスタートさせたことである。

 サービス内容は、貨客混載の制度を使って複数のバス会社と連携し、地方部から東京への旅客用高速バスのトランクスペースに、地方の新鮮な農産物を積み込み、東京都市部で乗客を降車させた後、丸の内エリアに納品するものである。 従来生産量が少なく配送ルートの確保がネックとなって県外へ出荷できていない希少野菜や伝統野菜、朝採れ野菜など、特色ある農産物を、食に対する感度が高い都市生活者のニーズに応えながら、各地の農産物の継続的な消費・購買につなげることを目指している。

 このサービスは、4者が2017年3月から取り組む「大丸有フードイノベーション」の一環として実施するもので、丸の内エリア(大手町・丸の内・有楽町地区)に納品される農産物を約4300の事業所、約28万人の就業者を抱える丸の内エリアの飲食店や企業の社員食堂、イベントなど、多様な販路を介して販売されており、都市の消費者のニーズを捉えながら地域の生産者とつながる新たな仕組みづくりに期待したい。

2018-11-14

消費税率引き上げ × キャッシュレス化促進 = ポイント還元 ?! どうしてそうなる ― 長谷川 雄哉 講師

 政府は消費税率を10%に引き上げるにあたり、消費が落ち込むことが予想されることをうけて、キャッシュレス決済の利用者にポイント還元という制度を検討しているようだ(2018年10月18日付日経新聞等)。この施策で主に想定される手段はクレジットカードで、これを利用して決済したものについて2%のポイント還元を政府が支援、つまり政府が支出してあげることで、消費者のキャッシュレス決済の利用も進み、消費税増税分の2%がこれで相殺されることになるので「消費活動にも影響を与えないでしょう?」というプランである。
 とうぜんながらカード会社や金融機関としてはこの施策は歓迎で、これまでさまざまな障壁により進んでいなかったクレジットカード決済が普及するということもあって積極的な姿勢を見せている。なによりポイント分は政府が拠出してくれるので自らの懐を痛めることなく、それでいて従来はカード等の利用が積極的でない顧客がカードを利用する可能性が生まれ、さらには顧客のカード決済需要の高まりを受ければ、現金主義だった店舗も態度を改めざるをえなくなるため、カードの利用が促進されることで、手数料や金利収入を得る機会が増えることになる。
 もしこのような施策が正式に採用されれば、ポイント獲得を目論んだ顧客を対象にカード会社は積極的な顧客開拓に乗り出すことになり、与信情報の審査もホドホドに、本来であればカードを持てないような層にまでクレジットカードが乱発されることになり、別な意味での混乱を生むことになると考えられるが(そしてお金の管理のずさんな消費者はリボルビング払い地獄に落ちることになるだろうが)、これは危惧すべき問題であるが今回のニュース解説において対象とする話題ではない。

 そもそも還元という手法はスマートではない。なぜなら決済を行った後にその利用状況に応じて処理をする必要があり、その処理の手間が増えるものである。どんなに電子化したところで、どんなにコンピュータで自動的に処理をするとしたところで、その処理の結果を確認するプロセスは必要であり、またプログラムについても検証を行わなければならず、おいそれと簡単に手間ゼロでできるものではない。またクレジットカードの利用ができない者には商品券を出してはどうかなどという議論も並行して行われているが、これも手間を増やす手法である。商品券を配る対象を決める作業、券を作成する作業、実際に使われた商品券を現金と交換する作業、さらには真贋のチェックやその管理など、とにかく手間のコストが馬鹿にならないやり方である。
 消費税増税とセットで議論されることがそもそも筋違いではあるが、キャッシュレス化という「手間を減らす手法」の導入を議論している時になぜそのような「手間を増やす手法」が堂々と登場して、しかも平気な顔をしているのか。この局面においては「ポイントがもらえて嬉しいネ・商品券がもらえて嬉しいネ」ではなく、そのことを問題であると感じるセンスが求められるのである。
 今回のポイント還元の原資は政府からの支出によって賄われることが計画されている。つまり元をただせば国民の税金であり、あるいは国債という国民へのツケである。キャッシュレス決済をすることで、または商品券の給付を受けることで、自分の払ったものが還ってくる形となり、その税負担に対して軽減を受けたと感じるかもしれないが、それを還すために多くの手間がかかり、その手間賃が税金から消尽されることになることに気づかなければいけない。その手間(コスト・費用)を掛けるぐらいであれば、よりシンプルなシステムを構築することで取引にかかる費用の圧縮に努めるべきであり、その費用の圧縮から生まれた余剰の還元を得ることを目指すべきであるといえる。

 キャッシュレス化を阻む最大の障壁は、クレジットカードの議論をすると必ずといっていいほど登場する「利用手数料」の問題である。「店舗はクレジットカードを使われるたびに損をする」ということが注目され、事実クレジットカードによる決済は契約により異なるが、月額の基本利用料金とカード利用の売上の数パーセントをカード会社に対して利用手数料として徴収されることになり、店舗経営者から見ればこれは売り上げに対する損失であると言える。カード会社は現金決済とカード利用を区別しないよう通知をしているが、少額のカード利用を不可としていたり、カード手数料分を上乗せして価格決定をしていたりという慣行は未だなくならず、それどころかカードの利用を自粛するように求める風潮すらあるように見える。幸いにしてこの国は現金の質の信頼性が高く、また消費者の支払いにおいても誠実な性向が強いため、手数料負担と引き換えにカード会社から売掛金を必ず回収できる仕組みの魅力を感じず、それがカード利用の否定につながっているとも考えられる。特に小規模な個人商店であればその傾向は強く、それがキャッシュレス化に対する否定的な見解の源泉になっているとも言えるだろう。
 その障壁を解決しうるものは商店などの事業者と、消費者の、双方に対して、キャッシュレス決済を利用することのメリットがあるということを気付かせ、その決済手段の優位性を理解させる施策が求められると考えられるが、「なぜあえてキャッシュレス化に取り組む必要があるのか(現金主義で誰も困ってはいない)」とする意見が多くあり、メリットのアピールが釣り合っていないのが事実だ。そこに「消費税増税による消費冷え込み対策」といういささか強引な手法を持ち込んでこようとしているわけだが、根本的な「利用手数料」の問題は解決していないので、小規模な個人商店であれば、カード端末の導入のコストと併せて、納得できるものではないところが大きいのではないかと考えられる。

 またこのポイント還元という制度は一見すると消費者にとって「良い」施策に見えるが、その実態は著しく公平性を欠くものであることにも気づかなければいけない。単純な話であるが「たくさん消費をした人ほど多くの還元を受けることができる」仕組みであるので、そのたくさんの消費ができるほどのお金を持っているほど、また期間を区切るのであればその期間の中においてたくさん消費ができる人ほど、多くの還元を受けることができる。以前に「プレミアム商品券」という施策が実施されたときのケースを覚えているだろうか、筆者は手持ち資金に余裕のあるお年寄りが朝から販売書に行列をつくっているのを、ただ横目に見ているばかりであった。
 そのような施策を実行することで一時的に消費に与えるインパクトは確かに大きいかもしれないが、そのための費用は広くすべての国民が分担することになるので、再分配の原則(持てる者から持たざる者へ)に反して、持たざる者から持てる者への再分配を発生させることになるものである。
 なお消費増税によって消費が落ち込むことについては有名な論文があり、その中で「一時的に消費は冷え込むかもしれないが、長期的に見れば何も差は生まれない」ということがヨーロッパでの増税をリアルデータとして用いて分析されていることを、経済学部生であれば知っておきたいところである。

 さて、それらの情報を踏まえたうえで、この施策に対する皆さんの賛否はどうだろうか。

2018-07-19

群馬県の廃棄物はなぜ多いのか? ― 金 承華 講師

 本内容は環境経済学の講義で、廃棄物問題について説明する際に、履修者の約半分の出身地である群馬県が、日本ではどのような位置にあるのかを見たときに気付いた内容である。以下のように整理してみた。

 グロバールな視点から見ると、経済成長による一人当たりの所得の増加と発展途上国を中心とする人口増加は、生活上必要な商品の消費増加をもたらした。その結果、廃棄物排出量の増加とその廃棄物の質の多様化が生じている。「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の第1章第2条によれば、廃棄物とは、「ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であって、固形状又は液状のもの(ただし、放射性物質及びこれによって汚染された物を除く)」であると定められている。さらに、廃棄物は、産業廃棄物(事業活動に伴って生じた廃棄物のうち、燃え殻、汚泥、廃油、廃酸、廃アルカリ、廃プラスチック類その他政令で定める廃棄物、輸入された廃棄物など)と一般廃棄物(産業廃棄物以外のゴミ)に分けられる。

 戦後日本の廃棄物排出量の推移は、戦後期(1945年代-1950年代)、高度成長期(1960年代-1970年代)、高度成長期以降からバブル崩壊時期(1980年代-1990年代前半)、ならびに、バブル崩壊以降(1990年代後半-)に分けられる。2000年前後までは増加する傾向にあった (具体的には「日本の廃棄物処理の歴史と現状」を参照)。(図1)

図1 日本のごみ排出量の推移(万トン)

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 出所:環境省(環境統計集)と「日本の廃棄物処理の歴史と現状」による。『環境白書』(平成21年版)の定義によると、一般廃棄物はごみとし尿に分類され、さらに、ごみは、生活系ごみ(家庭から発生する家庭ごみ)、事業系ごみ(オフィスや飲食店から発生する事業系ごみ)に分類される。また、生活系ごみと事業系ごみは平成6年度から公開されている。

 その一方で、各期に起こった様々な環境問題について、戦後の1954年「清掃法」をはじめ法律・法規(図2)が実行された。その結果、2000年代に入ると、一般廃棄物をはじめ産業廃棄物の減少と伴って、当然なことでもあるが、総廃棄物が減少する傾向に転じた。

図2 日本における廃棄物政策の変遷

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出所:「日本の廃棄物処理の歴史と現状」による。
  環境省 (https://www.env.go.jp/recycle/circul/venous_industry/ja/history.pdf)

 日本全体の総廃棄物について、1日1人当たり排出量の推移をみると、平成19年の1089gから平成28年には925gまで減少した。表1に関して、またこれを、平成28年度の各都道府県でのランキングをみると、群馬県が日本の平均より高い1005gで、43位になっている。これを市町村レベルでみると、甘楽町のように600g程度の自治体がある反面、片品村や嬬恋村のように1.3-1.4kg、あるいは草津町のように草津町のように2kgをこえる自治体もあり、自治体ごとに大きく異なっていることがわかる(表1)。

表1 平成28年度都道府県別1人1日あたり排出量の状況(g)

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出所:http://www.pref.gunma.jp/contents/100061628.pdf

 特に、平成28年度の1人1日当たりの生活系ごみのうち、収集可燃ゴミ排出量の状況をみると全国平均が415gである。都道府県のランキングでみると群馬県が567gで最下位の47位である。群馬県の1人1日当たり生活系収集可燃ゴミ排出量を市町村のレベルでみても(表2)、自治体ごとに大きく異なっている。表1で見たように、たとえば、草津町については、ごみ排出量は約2.3kgであったが、可燃ごみについては約630gである。この差は、何によるものかを調べてみよう。

表2 平成28年度市町村別1人1日あたり生活系収集可燃ごみ排出量の状況(g)

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出所:http://www.pref.gunma.jp/contents/100061628.pdf

 平成28年1月21日の廃棄物処理法基本方針では、平成32年度までに一般廃棄物の排出量を平成24年度に比べて約12%削減と産業廃棄物の排出量の増加を約3%に抑制にすることに加えて、1人1日当たりの生活系ごみ排出量を500gに削減することが目標とされている。

 以上のような現状と全国的な範囲での計画のもとで、国民の義務になっているごみの削減について、群馬県はどうすべきであるか。どのようにして、全国「最低ライン」という名前から脱出することができるのか。これに関しては、全国平均を超えている市町村について、各自治体のガバナンスを整理し、現地調査による分析が不可欠である。

2018-07-05

一角獣,現る!:日本のイノベーション・起業を阻むもの ― 國方 敬司 教授

 船戸結愛ちゃんの事件を覚えていますか。結愛ちゃんが,わたしの生まれ故郷である香川県の善通寺市に住んでいたということもあって,非常に悲しい思いもあり,ニュース解説に取り上げてみたいとも思ったのですが,ここでは,次の点を指摘するにとどめたいと思います。というのは,1980年代後半のイギリスでは幼児虐待死とかかわって,その事件を担当していたソーシャル・ワーカーの法的責任が追及されていたということです。30年ほど前のことであり,記憶も薄らいでいて詳細も忘れたのですが,家族の問題で担当者の責任が追求されるのだ,というので驚いた記憶がぼんやりながら残っています。

 さて,話は切り替わって,2018年6月20日(水)の新聞は,日本経済新聞はもちろん,山形新聞といった地方紙まで各紙「メルカリ」の上場を伝えています。そのこと自体は,ここでの主題ではありません。メルカリの上場とかかわって「ユニコーン」について言及している新聞も多くありました。たとえば,朝日新聞は,「『ユニコーン』続くか」という小見出しでつぎのような記事を掲載しています。

 「証券業界では,非上場ながら推定企業価値が10億ドル(約1100億円 )を超える企業を「ユニコーン」と呼ぶ。海外では多くの企業が上場してきたが,日本でのユニコーン企業の上場はメルカリが初めてだ。

 それだけに業界の期待は大きい。日本証券業協会の鈴木茂晴会長は「成長が著しく,個人になじみ深い企業の上場は,市場の活性化だけでなく,投資家層の拡大につながる」と話す。

 ただ,ユニコーン企業が数十~100社を超える米国や中国に比べて,日本は大きなベンチャーが少ない。あるベンチャー支援会社の担当者は「大企業による優秀な人材や顧客の囲い込みがその一因だ。挑戦や失敗を許容する風土や制度など,起業家が成功するための仕組みができていない」と指摘する。

 経済産業省は今月から,ベンチャー向けの支援事業を始めた。起業から間もない約1万社のうち,弁護士や業界の専門家らが推薦した92社を「特待生」として選び,資金繰りや海外展開を手助けするという。

 証券業界の関心は,次のユニコーン探しに移っている。7月10日には,企業価値が2千億円超とみられる美容機器メーカー「MTG」(名古屋市)のマザーズ上場が予定され,メルカリに続くと期待が集まる。ある投資会社の幹部は「米中の活力はベンチャーによるところが大きい。大企業依存の日本経済は限界を迎えつつある。裾野を広げないと世界から取り残される」と危慎する。(大和田武士)」

 わたしがこの記事で注目したいのは,起業家が成功するための仕組みができていないためにベンチャー企業が育っていないというくだりです。先日,福島大学大学院のイノベーション演習で話したことを基に,日本の問題点について解説を加えていきたいと思います。

 今年4月24日の日本経済新聞によると,アリババ集団が出資する中国新興の電気自動車(EV)メーカーの小鵬汽車が人工知能(AI)を駆使した市販車を発表した,という。小鵬汽車は2014年設立で,1月には台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業傘下の富士康科技集団(フォックスコン)が出資を表明しているほか,小米の最高経営責任者らも出資をしている。また,ライバルの新興EVメーカーである上海蔚来汽車(NEXT EV)には騰訊控股(テンセント)が出資しているというのですが,どちらの企業も,創業から短時日で開発・販売するという点では共通しています。それが可能になったのも,巨大資金が一気に注ぎ込まれているからにほかなりません。

 それに対して,わが国ではどうでしょうか。2月17日の朝日新聞フロントランナーで,空飛ぶクルマの開発を進めている人たちの話が取り上げられていました。そのなかで,つぎのような談話がのっていました。

 「私たちが空飛ぶクルマを構想した時は,世界でも突出したアイデアだったでしょう。その後,メリアカ,ドイツ,チェコなどで開発が急に盛んになりました。ベンチャー企業に投資ファンドが大型の投資を行い,エアバスのほか配車サービス大手のウーバーやグーグルの創業者も参画しています。日本はあっという間に出遅れた。正直悔しい。

 海外は,将来性があると分かれば,出資者に事欠かない。日本では先例がないと,思い切った決断はしない。開発風土の違いなので,文句を言っても始まりません。」

 先に述べた中国のEV開発とは雲泥の差があるといえないでしょうか。わたし自身は,日本でイノベーションを起こすアイデアが足りないとは考えていません。問題は,企業経営者のあり方であり,アイデアに対する銀行をはじめとする投資主体のあり方であると考えています。

 これはなにも,わたしだけが問題視していることではありません。オリックスのシニア・チェアマンである宮内義彦さんの著書から,ポイントとなる部分を引用しておきましょう。

 「…前略…資本主義経済下の経営者というものは「イノベーショをン起こす人」だと,私は定義しています。失敗を恐れず,世の中に新しいものを提供しつづけていこうという資質が,企業のトップに求められていると思うのです。

 そして,この資質はトップのみならず,会社の中のあらゆる部署のリーダーに必要なものであるとも言えます。各部署のリーダーたちが,それぞれ創造性を発揮して組織を率いていくことで,会社は大きく伸びるはずです。

 ところが日本では,なかなかそうした創造的な組織が成り立ちにくいのです。

 その理由としては,よく言われよるように,もともと日本の企業は年功序列を重んじる傾向にあり,目立った失策をしなければ自動的に組織の長になれるといった企業風土が根底にあることが挙げられるでしょう。

 さらに,バブル崩壊以降の「失われた十年」あるいは「失われた二十年」という括りでいえば,経済全体が停滞,縮小するなかで,企業の経営者が行ってきたのは消極的な対応ばかりで,それが日本の企業社会に通用するようになってしまったということも大きいと思います。

 その消極的対応の最たるものが「リストラ」です。 経営者としては会社の利益を確保しなければなりませんが,低成長下で売上を伸ばす術が見つからないため,皆こぞってリストラに舵を切ったのです。おかげで,「名経営者とはリストラがうまい人」といった思い違いが,経済界に蔓延することとなりました。

 リストラをすれば経費が下がり,その結果収益を確保できることになりますが,新しい価値を生み出すことにはなりません。確かに,効率の悪いものや不必要なものをリストラによって切ることで,社会に富をもたらしていると言えなくもないのですが,経済社会にとって分母も分子も減らしていくという流れは,全体としては縮小に向かうしかないのです。

 これが果たして,ノーマルな経営と言えるでしょうか。私の知るかぎり,リストラで伸びた会社などありません。

 やはり,企業経営者の責務というものは,ゼロから富を創造すること,新しい価値を社会にもたらすことです。そのためには,常に新しいものにチャレンジしていくという姿勢が必要なのです。これこそがイノベーションにほかなりません。

 イノベーションを巻き起こそうと思えば,何らかのリスクを取っていくことになります。リスクを恐れていては,何の改革もできないからです。

 しかし,やみくもにリスクを受け止めて,猪突猛進に突き進んでいけばいいかというと,それは違います。トップおよびトップを補佐する者は専門的な知識を持ったエキスパートであるべきで,そのチャレンジは緻密に計算されたものでなければならないのです。したがって,とるべきリスクは「バッドリスク」ではなく「グッドリスク」ということになります。

 とはいえ,リスクはリスクですから,不確定な要素は最後まで残ります。それでも難しい判断を引き受け,チャレンジを決め,実行に移すのがリーダーとしての役割と言えるでしょう。

 ところが,日本経済の停滞が長期に及んだことで,改革に消極的なスタンスは経営者たちの意識に染みついてしまい,「リストラ型経営」から「イノベーション型経営」へと転換を図るのはとても難しいことに思われてなりません。…後略…」<『グッドリスクをとりなさい!』プレジデント社,2014年,156-159ページ>

 イノベーションと関連して,近年,若い人たちに起業をすすめるキャンペーンが盛んになっています。文部科学省もかなり力を入れていて,「次世代アントレプレナー育成事業」などの大学での起業家精神養成だけでなく,「小・中学校等における起業体験推進事業」なるものも展開しているようです。もちろん,こうした試みを否定する気はありません。チャレンジ精神を養うことは重要です。

 しかしながら,精神論だけではどうにもなりません。先にも指摘したように,日本では,起業のための制度,投資のあり方が整っていないのです。ここでも,宮内さんに登場願いましょう。

 アメリカの経営者が,日本の経営者のように命がけでビジネスをするというのは考えにくいことです。企業経営は「生活の糧を得る=命を守るためにやる」わけですから,アメリカの経営者にとって「命懸けの経営」というのは理屈に合いません。

 私はよく「体を張って仕事をしろ,しかし命は懸けるな」と社員にいっています。どこが違うかというと,「体を張って仕事をする」ということは「一生懸命やる」ということです。それで「これ以上やったら体を壊す」と思ったら休めばいいのです。つまり,生活の糧を得るための仕事は,せいぜい体調を崩すところまでです。私自身も,ひとたび体調を崩したら,完治するまで徹底的に休むことにしています。

 本来が生活の糧を得るための企業経営なのに,それに「命を懸ける」というのは本末転倒です。

…中略…

 資本主義とは,資本というリスク・マネーを基礎として事業を起こすことです。なかでも株式会社は株式という出資形態をとり,出資者(=株主)の責任は出資金額(=株式)の範囲にとどまるのが特徴です。株式は,企業が使用する資金のなかで最も劣後する資金です。つまり,借入金などに比べて,返さなくてはいけない順位が最も低いのが株式なのです。もちろん,それほど資本を必要としない事業では,株式会社という形態は,あまりその長所を発揮しません。

 一方で,最初から多くの資本を必要とする場合や,事業拡大のために多くの資本が必要になった場合は,「出資者の責任が資本金の範囲内にとどまる」という株式会社制度の長所によって,多数の出資者を募ることが容易になります。その意味で,株式会社は最も発展した企業の形態だと考えられます。

 実際に経営する場合には,この資本金だけでは運転資金や設備資金をまかないきれないことが多いので,その不足分を借入金等によって補うことになります。金融機関などから借り入れをするには,自らリスクをとった資本金に比べて安全性を高めにしなくてはなりません。

 自ら事業を起こそうとして資本を出し,出資者はリスクをとる代わりに,その事業が成功した場合は,その収益がリスクに対する報酬として返ってくるわけです。しかし,事業が失敗すると,それは無に帰してしまう危険もあります。資本金はハイリスク・ハイリターンという性格です。

 これに対して,金融機関からの借入金あるいは資本市場から調達するCP(コマーシャル・ペーパー,短期資金調達のための約束手形)や社債は,資本金に優先して返済されることでリスクが低く設定されています。つまり借入金の返済は資本金よりも確実性が高いわけですが,金融機関はその確実性をより高めるために事業計画を精査したり,経営者を品定めするわけです。それに加えて日本では,先ほどの話のとおり,個人保証や担保を求めるわけです。

 そうすることで株式会社組織の特徴である有限責任が崩れ,個人保証はすはべての負債に責任をとることに転化し,担保などは借り入れの返済に充当することでいわば命懸けの事業に転化してしまうわけです。金融機関に対して行う個人保証や担保提供という行為は,このように株式会社の理念を変え,昔ながらの無限責任の個人事業にしてしまっています。

 この結果,日本では事業を起こすことのリスクが高まり,また廃業することをより困難にしています。

…中略…

 残念ながら,従来から日本の金融システムは間接金融すなわち銀行等の金融機関が主体でした。一方で,資本市場はかなり前進しつつありますが,まだ十分発達したとはいえません。そうしたなか,中小企業はもともと資本市場に頼れるほど経営基盤が十分でなく,金融機関からの借り入れに頼らざるを得ません。

 このため,株式会社の本来の考え方をゆがめる個人保証のような慣行はなかなか変わりにくいのが現状です。最近破綻した企業の事例では,大企業の経営者ですら金融機関に対して個人保証をしていた事実が明らかになっています。

 特に新たに起業する場合,リスク・マネーを嫌う社会の風潮のなか,そもそも資本金を十分に調達することも難しい場面があります。

 もちろん,新たな証券取引所の誕生や上場資格の弾力化など,近年,広い範囲の企業に資本市場からの資金調達の場を提供するようになったことは大きな進歩といえましょう。それとともにベンチャー・キャピタルも資本提供者として徐々に力をつけてきており,起業家にとってはよい環境が整いつつあります。証券市場だけでなくより多彩な資本市場がますます発展することが求められます。

 繰り返しになりますが,現実の大部分の中小企業オーナーや経営者は起業家にとっての環境が好転しているにもかかわらず,個人保証や担保などで実態として無限責任を負っているのです。ですから,事業を起こすにもやめるにも日本では相当の覚悟が必要です。

 これに対して,例えばアメリカでは日本に比べて気軽に開業し,そして気軽にやめています。日本では開業率も廃業率も年間3~4%くらいですが,アメリカではともに年間12~14%くらいということです。

 どうして気軽に開・廃業できるかというと,アメリカの企業は株式会社組織の一番基本的なことに忠実だからです。

 例えば,アメリカではまず,「私は100万円出す。A君にはあまり無理なお願いはできないけれど30万円出してください。Bさんには10万円だけお願い」というふうにして出資金を集めます。資本金のみで不足する場合は,事業計画書を持って金機融関に行きます。事業計画書とは,自分の会社のこれからの見通しや経営する人の経験あるいは製品の特徴などが書かれた書類です。そして,「こういう事業をやろうと思うので,運転資金を貸して欲しい」などと金融機関と交渉します。

 金融機関は,貸付金が返ってこないリスク(これを「与信リスク」とか「貸倒れリスク」といいます)を,事業計画や経営者の手腕を見極めつつ計算をします。そのリスクに応じた貸出金利で資金を貸し付けます。

 その結果として,「貸付額が少なすぎる」あるいは「金利が高すぎる」と経営者が考えた場合は,他の金融機関に事業計画書を持っていきます。ほとんどの場合,アメリカでは「個人保証をしてまで事業をする」という考えはないようです。

 もし会社が倒産しても,アメリカの経営者は株主に「残念だ。ごめんなさい」でおしまいです。アメリカでは,もし会社が倒産しても経営者の自宅や不動産はそのままです。経営者を含めた株主は,銀行から借りたおカネを返す義務はありません。アメリカの知人に「事業があまりうまく行かなかったらしいね」というと,あれで「何十万ドル損したよ。それはさておき,今度はこういう事業をやるので,君も出資しないか」と次のステップを考えています。

 事業を継続する意味がないと判断した時点で,アメリカの企業経営者は早々に廃業します。そのときに買ってくれる相手がいれば自分が作った会社を売却することに躊躇しません。そういう相手がいなければ,ただ単に会社を閉鎖します。そして次の事業の準備をします。

 つまり,アメリカの経営者は,新しいビジネスに移行するのが日本よりも早いのです。

 これまで見てきたように,貸し手である金融機関の融資姿勢にも違いがあると同時に,借り手のもつ「事業観」といったものにも大きな隔たりがあります。日本では事業に失敗することが許されないような社会風潮がありますが,アメリカでは失敗しそうな度合いに応じて融資がなされています。

 これは,日本とアメリカのどちらで起業家精神が旺盛な人が多いか少ないかいということだけで説明できるものではありません。」<『経営論』東洋経済新報社,2001年,63-69ページ>

 いささか長々と引用してきましたが,本当に大事な指摘がここには多々含まれています。それをここでいちいち指摘することはやめにして,起業との関係に絞っていえば,起業を精神論で語るのではなく,起業を円滑におこなえるための制度や社会基盤の整備が先決である,先決とまでいわないとして,同時並行的に進めなければ,いくら起業家精神を吹き込んでも尻すぼみになるのではないでしょうか。空飛ぶ自動車の箇所で引用した談話のように,突出したアイデアもそれに投資がなされなければ,いつの間にか周回遅れになってしまうのではないでしょうか。そうしてもう一点,この引用文が2001年のものであることに注目していただきたい。この20年近い歳月のあいだに,どれほどの進展があったのでしょうか。

 最後に,大学生のみなさんは,とにかく新聞や本を読んでください。特に,紙媒体の新聞は情報源として重要ですから,目を通すだけでいいので,手にとってください。

2018-06-27

働き方改革がなぜ必要か ― 岩本 千晴 准教授

 2018年1月22日の施政方針演説で働き方改革が重点項目として挙げられました。働き方改革とはどのような内容なのでしょうか。なぜこのような改革が必要なのでしょうか。この取り組みで何を目指しているのでしょうか。実施するには何が問題となるのでしょうか。今回のニュース解説では、このような点を整理してみましょう。

 働き方改革は1つの政策ではなく、いくつもの政策が含まれる政策パッケージになっています。大きくわけて3つのテーマに取り組んでいます。第1は、労働者の処遇改善、第2は、柔軟な働き方の推進、第3はキャリア構築です。第1のテーマで取り組む内容は、正規雇用と非正規雇用の格差是正です。この課題に取り組む政策として「同一労働同一賃金」が含まれているのです。第2のテーマに対する取り組みはワーク・ライフ・バランス(WLB)の確保です。子育てや介護、病気の治療のために離職することなく、時間や場所の制約を受けずに様々な働き方ができるように就労支援を行うことが目的です。第3のテーマで取り組む内容は、100年人生時代にむけてライフスタイルや人生の異なるステージの変化に合わせた環境整備を目的とするものです。この中には若年のキャリア構築支援や、高齢者の就労支援、リカレント教育など、個人の学び直しへの支援が含まれます。

 なぜこの改革が必要なのかを説明するために、データで見てみましょう。フルタイムで働く男性の給与を正規雇用と非正規雇用で比較すると、20~24歳では正規と非正規で賃金に大きな差はありませんが、40代以降は正規雇用が非正規雇用の賃金格差が拡大していきます。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によれば、大学・大学院卒業で大企業でフルタイムで働く40~45歳男性の平均給与は、2015年には正規雇用で約50万ですが、非正規雇用では約23万です。中小企業の場合は、40~44歳の正規雇用の平均給与は40万、非正規雇用は約20万となっています。正規雇用の場合には、基本給の他に昇給があり、賞与、各種手当の他に、福利厚生も含まれます。さらに正規雇用であれば教育訓練を受け昇進の機会が増えるため、年齢と共に正規と非正規の差が拡大する一因となっています。

 賃金格差は珍しい話題ではありませんが、実際には非正規雇用は2014年以降大幅に増加しています。労働者にとってはメリットが限られている非正規雇用ですが、企業は将来の景気の不透明さに対応するためには、非正規雇用を拡大した方が固定費を最小に抑えることができるためです。平成29年度経済財政白書によれば、2014年以降の就業者数増加は非正規雇用の増加によるものでした。特に法的規制がなければ、企業には非正規雇用を増やすインセンティブがあります。

 このような状況に法整備で対応しようという取り組みの1つが「同一労働同一賃金」です。政府が提案するガイドラインによれば、職務・能力・勤続年数の違いを認めた上で、業務上「実態に違いがなければ同一の、違いがあれば違いに応じた支給」を求めるものです。この中には、賞与・昇給・各種手当、経費の支給や教育訓練も含まれます。ただし、この同一労働同一賃金を法律化するには、別の法整備も必要です。企業の雇い止めが発生する可能性もあります。非正規雇用の処遇改善の法整備以外に、今後は非正規雇用の採用枠そのものを規制することも必要になるでしょう。

 第2のテーマである柔軟性のある働き方の推進はWLBに関係します。そのためには長時間労働の習慣を変える必要があります。平成29年度経済財政白書には、労働時間と生産性の国際比較で見ると、労働時間が長いほど生産性が低いというデータが示されています(2017: 114)。平成29年度厚生労働白書でも長時間労働(週60時間を超える労働)の弊害として生産性の低下を上げています。前出の経済財政白書では、1人当たりの労働時間が減少するにつれて、労働生産性が上がることが主要国のデータ示されています(2017:118)。

 柔軟性がある働き方推進のためには、WLBの確保の他に、労働制約の緩和が必要です。このため、働き方改革では、子育て・介護・病気の治療と仕事を両立させることができるように支援策を盛り込んでいます。育休の延長、介護のための短時間労働の推進など、離職によってキャリアを中断せずに済むような法整備の推進です。

 最後に、第3のテーマであるキャリアの構築です。長寿化にともなう100年人生時代、就業年数が長くなるほど、働いている間または定年後の学び直しが必要となります。また、家族を育ててから学び直しする女性も増えるでしょう。総務省の調べでは、65歳以上で働きたい高齢者は65.9%、社会人の学び直し希望は49.4%となっています。人生いつからでもどんな状況からでも再出発は可能です。働き方改革の第3のテーマはこのような学び直しを支援する取り組みです。

 以上、新聞等でよく目にする働き方改革について説明しました。現在は政府のガイドラインについて政策として法整備する段階ですが、近い将来働き始める皆さんには非常に関連ある内容ですので、学生のみなさんも新聞等の記事を気を付けて読んでみてください。

2018-06-06

日本銀行の金融政策と日本経済* ― 王 ゼイ 講師

1 日本銀行の非伝統的金融政策

 1997 年から1998 年まで、バブル崩壊後の後遺症として、日本では、大手金融機関が相次いで倒産し、金融市場の不安が広がり、実体経済が大きく減速した当時の経済情勢を踏まえ、1999 年2 月から日銀は景気を刺激し、金融市場の不安を和らげるために、より潤沢な資金供給を行い、無担保コールレートをできるだけ低めに推移するよう促すという史上初のゼロ金利政策を打ち出した。具体的に、金融政策の方針は無担保コール・オーバーナイト物の誘導目標を引き下げ、当初0.15% 前後を目指し、その後市場の状況を踏まえながら、一層低下を促すという内容である*1。 後ほど、1999 年2 月から2001 年2 月まで続いたこの政策方針がゼロ金利政策と呼ばれるようになり、それは当時日銀の政策金利であるコールレートが0% 付近で維持されて、銀行間市場の取引において手数料を考慮すると、コール市場における資金運営の収益がほとんど見込まれず、短期政策金利が事実上0% になったからである。それ以後、図1 から確認できるように、コールレートがほぼ0% 前後を維持しており、日銀はその政策が未だに短期政策金利を操作目標とする伝統的な金融政策のレジームに復帰できず、量的緩和、インフレターゲット、マイナス金利、イルードカーブコントロールなど、様々な非伝統的な政策手段を打ち出しながら、今日に至っている。

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図1: 日本銀行の政策金利(コールレート)

 2001 年3 月から、さらなる緩和効果を追求するため、日本銀行は初めて金融政策の操作目標を変えて、これまでの操作目標としての政策金利の調整を放棄し、新たに貨幣供給量のコントロールを操作目標として導入して、史上初の量的緩和の領域に踏み切った*2。その主な政策方針を以下の要点にまとめることができる。

  1. 金融市場調節の操作目標の変更:金融市場調節に当たり、主たる操作目標をこれまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)から日本銀行当座預金残高に変更する。この結果、無担保コールレート(オーバーナイト物)の変動は日本銀行による潤沢な資金供給と補完貸付制度による金利上限のもとで、市場に委ねられることになる。
  2. 実施期間の目処として消費者物価を採用:新しい金融市場調節方式は消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ% 以上となるまで、継続することとする。
  3. 日本銀行当座預金残高の増額と市場金利の一段の低下:当面、日本銀行当座預金残高を5 兆円程度に増額する(最近の残高4 兆円強から1 兆円程度積み増し)。この結果、無担保コールレート(オーバーナイト物)はこれまでの誘導目標である0.15% からさらに大きく低下し、通常はゼロ%近辺で推移するものと予想される。
  4. 長期国債の買入れ増額:日本銀行当座預金を円滑に供給するうえで必要と判断される場合には現在、月4 千億円ペースで行っている長期国債の買入れを増額する。ただし、日本銀行が保有する長期国債の残高は、銀行券発行残高を上限とする。

*本稿は日本銀行が1999 年以来実施しきた非伝統的金融政策金融政策を一通り紹介したうえで、2013 年から日本銀行が実施してきた「量的・質的金融緩和政策」とそれによる日本経済への影響を分かりやすく説明するために作成されたものである。本稿にあるミスはすべて作者に帰すべきであり、所属機関と無関係であることを断る。

*11999 年2 月12 日「当面の金融政策運営について」。詳細についてはhttp://www.boj.or.jp/announcements/release_1999/k990212c.htm/ を参照されたい。

*22001 年3 月19 日「金融市場調節方式の変更と一段の金融緩和措置について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2001/k010319a.htm/ を参照されたい


2001 年3 月19 日に公表された日銀の政策決定会合の要旨を見ると、(1)明確な操作目標の変更、(2)政策の実施期間に対するオーペンエンド型のコミットメント*3、(3)政策実施の経過、(4)政策の具体的な実行手段などがはっきりと分かる。とくに、「新しい金融市場調節方式は、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ% 以上となるまで、継続することとする」という明確なコミットメントはフォワードガイダンス*4と見なすことができるため、インフレに対する市場の期待形成への働きが2001 年3 月からの量的緩和の枠組みにおいて、狙いの一つであると考えられる。2006 年3 月、日銀は「消費者物価上昇率が0% より上回った」との認識を示し、2001年3 月から続いてきた量的緩和政策を解除した。2008 年12 月から2013 年1 月まで、国際金融危機に影響され、日本経済の成長スピードが落ちつつあったのみならず,国内の物価水準の下落も続いていた。当時の金融経済情勢を受けて、日銀は再び量的緩和政策を発動し、「包括的な金融緩和政策」を実施した。「包括的な金融緩和政策」*5の要点は以下の三つである。

  1. 金利誘導目標の変更:無担保コールレート(オーバーナイト物)を0~0.1% 程度で推移するよう促す。
  2. 「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化:日本銀行は、「中長期的な物価安定の理解」に基づき、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続していく。ただし、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、問題が生じていないことを条件とする。
  3. 資産買入れ等の基金の創設:国債、CP、社債、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(J-REIT)など多様な金融資産の買入れと固定金利方式・共通担保資金供給オペレーションを行うため、臨時の措置として、バランスシート上に基金を創設することを検討する。

ここで「中長期的な物価安定の理解」とは2006 年3 月8 日、9 日に開催された金融政策決定会合において導入された見解*6であり、金融政策運営に当たり、中長期的に見て物価が安定していると理解する物価上昇率を意味する。そのほかに、2012 年2 から2013 年2 月まで、日銀は相次いで「中長期的な物価安定の目途」*7の導入、「貸出支援基金」*8の創設、2% の物価目標と「期限を定めない資産買入れ方式」*9の導入などを発表し、緩和的な金融政策スタンスを維 持してきた。日銀は様々な政策を通して、市場に流動性を供給し,金融危機からマイナス影響を克服しようとした。

 さらに、2013 年4 月4 日の金融政策決定会合で、「量的・質的金融緩和」*10の導入が決定された。同政策には主に 三つの内容が含まれている。

  1. 日本銀行は消費者物価の前年比上昇率2% の「物価安定の目標」を、2 年程度の期間を念頭に置き、できるだけ早期に実現する。このため,マネタリーベース及び長期国債・EFT の保有額を2 年間で2 倍に拡大し,長期国債買入れの平均残存期間を2 倍以上に延長するなど,量・質ともに最高レベルの金融緩和を行う。
  2. 量的な金融緩和を推進する観点から、金融市場調節の操作目標を、無担保コールレート(オーバーナイト物)からマネタリーベースに変更し、マネタリーベースが年間約60~70 兆円に相当するペースで増加するよう金融市場調節を行う。
  3. イールドカーブ全体の金利低下を促す観点から,長期国債の保有残高が年間約50 兆円に相当するペースで増加するよう買入れを行う。長期国債の買入れ対象を40 年債発行残高の平均並みの7 年度に延長する。

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図2: コア消費者物価指数から計算された対前期インフレ率

その後、日銀は2014 年10 月31 日に「「量的・質的金融緩和」の拡大」*11を、2015 年12 月18 日に「当面の金融政策運営について」*12などの政策声明を発表して、様々な政策強化策や補完措置を打ち出しながら、緩和の度合いをさらに強めてきた。しかし、原油安などの影響もあり、図2 から見て取れるように、消費税増税による一時的影響を除いて、日銀が当初掲げていた2 年程度の期間のうちに物価上昇率を2% まで引き上げるという目標が達成できなかった。そのため、2016 年1 月29 日に、これまでの政策と比べ、緩和度がもっとも高い「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」*13の導入が決まった。これまでの政策と共通の内容を持ちながらも、日銀は「量」・「質」・「金利」の3つの次元で、2% の「物価安定の目標」を目指し、それが実現できるように、金融政策を運営していくと予想される。本節は1999 年以後、日銀の金融政策を一通り振り返ってみた。次節では、日銀の政策は日本経済に対して、どのように働きかけるかについて、理論分析を行い、さらに、理論分析からの結論と実際のデータで示される経済現象を比較し、実証分析で日銀の政策効果を確かめる。


*3 コミットメントとは予め政策の内容を説明し、それを約束することで政策の透明性や効果を保証することである。ここでいうオーペンエンドとは。政策の持続期間を固定せずに、政策目標が達成できるまで政策を続けていくことを意味する。

*4フォワードガイダンスとは政策の先行きを事前に市場に説明することで政策の不確実性を軽減して、政策効果を高めることを指す。

*52010 年10 月5 日「「包括的な金融緩和政策」の実施について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2010/k101005.pdfを参照されたい。

*62006 年3 月8、9 日の金融政策決定会合の要旨についてはhttps://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/minu_2006/g060309.htm/を参照されたい。

*7 2012 年2 月14 日「「中長期的な物価安定の目途」について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2012/k120214b.pdfを参照されたい。

*8 2012 年10 月30 日「金融緩和の強化について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2012/k121030a.pdf を参照されたい。

*92013 年1 月22 日「「物価安定の目標」と「期限を定めない資産買入れ方式」の導入について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2013/k130122a.pdf を参照されたい。

*102013 年4 月4 日「「量的・質的金融緩和」の導入について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2013/k130404a.pdfを参照されたい。

*112014 年10 月31 日「「量的・質的金融緩和」の拡大」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2014/k141031a.pdf を参照されたい。

*122015 年12 月18 日「当面の金融政策運営について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2015/k151218a.pdf を参照されたい。

*13 http://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160129a.pdf を参照されたい。


2 非伝統的金融政策と日本経済

 従来の伝統的金融政策の運営において、短期政策金利が主な役割を果たしているが、ゼロ金利環境において、短期政策金利がそれ以上下げられる余地を持たないため、中央銀行が大量に長期国債を買入れてバランスシートのサイズを増やすことで貨幣供給量を増加し、間接的に資産価格に影響を及ぼし、長期金利の低下、株価と為替レート*14の上昇を通じて、金融市場に対する緩和効果、実体経済に対する刺激効果を図る。本節では、資産市場の一般均衡モデル を使って、そのメカニズムを簡単に説明する*15。まずは、貨幣、国債、株式からなる資産市場の一般均衡モデルを考える。一般的に、資産の収益率が高まれば、その資産に対する需要が高まることから、各資産の需要関数はその自身の収益率の増加関数であると仮定できる。また、資産の収益率が上昇すれば、その資産の価格が下落するため*16、資産への需要は資産価格の減少関数である。ここでは、国債への需要をBD、株式への需要をKD、貨幣への需要をMDと表記する。さらに、各資産の間に代替関係*1717(substitution)が存在するため、各資産への需要はほかの資産の収益率の減少関数となる。短期金利がゼロに張り付いてるゼロ金利環境において、貨幣を保有する収益はほとんど見込めないため、貨幣の収益率は事実上ゼロと等しく、つまり、銀行にお金を預けても利息が生まれないということである。国債の収益率(国債金利)をRB、株式の価格(株価)をPKとすると、資産価格と収益率の関係から、国債の価格と株式の収益率がそれぞれ決まるため、以上の仮定に基いて、貨幣、国債、株式からなる資産市場では、三種類の資産が需要、収益率、価格が決まり、以下の関係が成り立つ。

123

よって、この資産市場が一般均衡を達成する場合、以下の関係が成立する。

456

ここでは、Zi, i ∈(M, B, K) はそれぞれの資産の超過需要関数を表し、資産市場が一般均衡を達成する場合、各資産への需要(MD、BD、KD)と供給(MS、BS、KS)が一致することになり、各資産の超過需要がゼロになる。一般均衡において、任意の二種類の資産に対する超過需要がゼロであれば、ワルラス法則によって、残りの一種類の資産に対する需要と供給も一致するため、ここでは、貨幣への超過需要と国債への超過需要がゼロになれば、RB とPKが決定される。(1) 式と(4) 式に従って、国債金利が下がると、国債への需要が減少し、現金の保有、つまり、貨幣への需要が高まり、貨幣に対する超過需要が発生することになる。貨幣の需給一致が回復するためには、株価が下がることが必要である。同様に、国債金利が上昇すると、国債への需要が高まり、超過需要が発生すれば、株価が下がる必要がある。国債の超過需要曲線ZBは貨幣の超過需要曲線ZMと比べて、その傾きがより緩やかであると仮定される。それは国債需要が国債金利に対する感応度がもっとも高く、貨幣需要や株式需要の国債金利に対する感応度より高いからである。

3_4

図3: 資産市場一般均衡モデルにおける国債金利と株価の決定

 国債が中央銀行によって大量に買い取られる場合、市場への国債供給量BS が減少し、代わりに、中央銀行がその減少分、国債の保有量を増やすと、市場への貨幣供給量MS が増加する。国債の供給量BSが減ると、国債の超過需要が発生し、国債の需給均衡が回復するためには、国債金利RB が下がるか、株価PK が下がるか、あるいは、その両方が必要になる。また、国債の買入れに伴う貨幣供給量MS の増加は貨幣の超過供給を意味し、貨幣の需給一致が回復するためには、国債金利RB が下がるか、株価PK が上がるか、あるいは、その両方が必要になる。その結果、ZB が左下へと、ZM が右下へと、それぞれシフトすることになる。このメカニズムを以下のようにまとめることができる。

●BS↓⇒ ZB = BD-BS >0⇒ RB ↓, PK↓⇒ BD↓⇒ Z′B = 0

●MS↑⇒ ZM = MD-MS<0⇒ RB↓, PK↑⇒ MD↑⇒ Z′M = 0

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図4: 国債買入れによる資産価格に対する影響(国債、貨幣、株の資産市場の一般均衡モデル)

中央銀行が国債の買入れを実施した結果、資産市場で達成された新しい均衡において、政策実施以前の資産市場の均衡と比べて、国債金利が低下し、株価が上昇したことが分かる。以上の分析では、ゼロ金利環境が明示的に考慮されていないが、実際に、国債の買入れによる量的金融緩和という非伝統的金融政策が実施される場合、そもそも、金融政策当局は短期金利の調整ができないゼロ金利環境において、量的緩和という選択肢を選ぶわけであるため、以上の分析フレームワークにおいて、ゼロ金利を明示的に取り入れる必要がある。ゼロ金利環境において、国債と貨幣のいずれを保有しても、その収益が非常に低いが、国債と貨幣の代替関係が存続する。それは資産に対する需要がその収益率のみに依存せず、国債への投資需要がなくても、資産の配置、担保としての国債購入や海外投資家による日本国債の需要など、国債の収益が低くても需要され続けるわけである。

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図5: ゼロ金利環境における金利と貨幣量との関係

 図5 に示されるように、金利がゼロ、更にマイナス領域に近づくと、貨幣と国債の代替性が強まるため、金利の低下に対して、貨幣需要がより大きく増加する。国債についても、金利に対する感応度がさらに大きくなるため、図6のように、金利がマイナスになると、国債の超過需要曲線と貨幣の超過需要曲線の傾きがもっと緩やかになり、国債の買入れによる国債の供給減少と貨幣の供給増加は国債への超過需要と貨幣への超過供給をもたらし、最終的に株価の上昇と金利の低下を促すことになる。

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図6: ゼロ金利環境における資産市場の一般均衡モデル

 上記の分析フレームワークにおいて、株式を外国証券に置き換えると、国債の買入れによる為替レートへの影響も定性的に分析することができる。外国の証券B*に対する需要をBD*、その供給をBS*、その金利をR*B、円・外国の通貨の為替レートをe、外国証券が満期を迎える時点の為替レートをe′とそれぞれ表記し、外国証券に投資する場合のグロス収益率が1_11となることが分かる。
R*Bとe′が変わらないと仮定すると、円・外国の通貨の為替レートe が上昇*18すれば、外国証券への投資に対する収益率が下がれば、それに対する需要が減少して、前記のフレームワークにおいて仮定された資産の代替関係がこの場合においても成り立つため、資産市場が均衡するように、資産への需要が貨幣や国債へシフトして、貨幣と国債に対する需要が高まることになる。上記の分析にある株価PKを為替レートe に、株Kを外国証券B*に置き換えれば、以下の関係が成り立つ。

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同様に、(4)、(5)、(6)式を以下ように書き換えることができる。

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上記の国債、貨幣、株からなる三資産モデルと同じロジックで為替レートe と国債金利RB について、中央銀行による国債購入の政策効果を定性的に分析できる。

●BS↓⇒ Z B = BD -BS>0⇒ RB↓,e↓⇒ BD↓⇒ Z'= 0

●MS↑⇒ Z= MD-MS<0⇒ RB ↓, e↑⇒ MD↑⇒ Z′M  = 0

図7 に示される通り、国債、貨幣、外国証券からなる資産市場の一般均衡モデルにおいて、中央銀行が国債を大量に市中から買入れて国債供給が減少し、貨幣供給量が増加した結果、最終的に達成された資産市場の新しい均衡において、政策実施以前の均衡と比べて、国債金利RB が下落し、為替レートe が上昇することが分かる。なお、ゼロ金利環境においても、上記のメカニズムが働く。以上をまとめてみれば、資産市場の一般均衡モデルを使い、量的緩和が国債金利の低下、株価の上昇、為替レートの減価をもたらすという理論的な結果を導き出すことができる。

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図7: 国債買入れによる資産価格に対する影響(国債、貨幣、外国証券の資産市場の一般均衡モデル)

 さらに、為替レートの変動は国際貿易や資本流動などのチャンネルを経由して外国の金融市場や実体経済へ、その波及効果が伝わる。しかし、この場合、以上のように、その波及効果を簡単なモデルを用いて定性的に分析することが難しく、本稿では、それ以上の展開を避ける。資産市場の一般均衡モデルによる理論分析から、中央銀行が量的緩和の実施により、国債の供給量を減らし、貨幣の供給量を増やした結果、国債金利の低下、株価の上昇と為替レートの上昇(通貨の減価)という理論上の結果を参考に、日本国内の経済状況を考える。

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図8: 日本銀行のバランスシート(日銀の国債保有量とマネタリーベース)

 図8 から見て取れるように、2013 年から、日銀が大量な国債購入しはじめたため、バランスシートが一気に増えてきた。2001 年から2006 年まで続いていた初回の量的緩和策やその後の包括的緩和政策も国債購入によるマネタリーベースの増大という形で行われたが、2013 年からの量的緩和はこれまでの政策の規模を遥かに超えていることが分かる。

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図9: 日本の長期金利、株価と為替レート

 2013 年からの緩和政策は「量的」にかつての政策を上回るだけではなく、全期間の国債購入や保有期間の長期化という「質的」な特徴もある。そういう質的な特徴による政策効果の一つは長期金利を含み、イルードカーブの全体的なシフトダウンである。図9 から分かるように、10 年間日本国債の金利が2013 年から下がる一方で、2016 年からさらに下がってマイナスの領域に入っている。

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図10: 日本円の為替レートと日銀の国債保有量

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図11: 日本の株価と日銀の国債保有量

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図12: 国債保有量の増加に対する株価と為替レートの反応

図10 と図11 から読み取れるように、日銀の国債保有量の増加に伴って、80~100 円台で推移していた円の為替レートは2013 年以後、100~120 円台まで上昇した。株価についても、20000 円台以上に値上がりして、トレンド的な上昇が観察される。もちろん、株価や為替レートは様々な要因を受けて変動するし、単なる金融経済の影響だけを受けるわけではない。日銀の国債保有量、つまり、量的緩和がどれぐらい円安と株高に寄与しているか、その動学的関係を確かめるために、2010 年1 月から2017 年11 月までの月次データを使って、これらの変数からなる三変数2期ラグSVAR モデル*19を推計し、モデルの推計において、三変数を対数変換した。図12 から見て取れるように、国債保有量ショックが国債の保有量の持続的な上昇を引き起こし、日本の為替レートと日本の株価が国債保有量ショックに対して、有意なポジティブな反応を示している、つまり、日銀が国債を買入れ、その国債保有量が増加して、量的緩和が発生する場合、有意に円安と株高を引き起こしていることが分かる。以上の分析をもって、日銀の量的緩和が資産価格の変動を引き起こし、有意に円安と株高に寄与していると結論付けることができると考えられる。

 以上のように、マクロ経済理論から導き出された結論が実際の経済現象に一致して、経済理論が経済現象をうまく説明することができて、さらに、経済理論による説明が妥当であるかどうかを統計的な手法を用いて検証するという一連のプロセスは経済学の研究である。本稿を通じて、より多くの方にマクロ経済学や金融政策の話に興味を持っていただければ幸いである。


*112014 年10 月31 日「「量的・質的金融緩和」の拡大」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2014/k141031a.pdf を参照されたい。

*122015 年12 月18 日「当面の金融政策運営について」。http://www.boj.or.jp/announcements/release_2015/k151218a.pdf を参照されたい。

*13 http://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160129a.pdf を参照されたい。 *14 円・ドルの為替レートで考えると、1 ドルを購入するために必要となる円が増える、つまり、円安を意味する。

*15本節の説明は主に、本多(2014)、宮尾(2016)を参考にしている。
*16*16 例えば、ある資産の価格をPt、収益率をrt、毎期の配当をDtとすると。資産の収益は以下のように定義される。

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簡単化のため、ここでは、その収益率と配当が時間とともに変化しないと仮定して、それぞれr とD と表記すると、資産価格は以下のように書き換えられる。

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r>0 である限り、無限期先において、 になる。配当D が一定であれば、r が上昇すると、資産価格Pt が下がることになる。

*18ここでは、円・ドルの為替レートで考えると、e が上昇するというのは1 ドルを購入するため必要となる円が増えて、ドル高、円安を意味する。

*19VAR モデルとはStructural Vector Autoregression の略称であり、構造ベクトル自己回帰モデルという時系列計量経済モデルのことである。マクロ経済学の分野では、マクロ経済理論に基づいて、このモデルを使ってマクロ変数の相互的影響を統計的な手法で推計して、経済政策の影響を実証的に評価する。

2018-05-29

日本の観光の行方について ― 竹村 奉文 教授

●「インバウンド」の変遷

「インバウンド」という言葉をよく耳にするようになった。意味は、外国人が訪れてくる旅行のことである。日本への「インバウンド」を訪日外国人旅行または訪日旅行という。これに対して、自国から外国へ出掛ける旅行を「アウトバウンド」または海外旅行という。(観光用語集/JTB総合研究所より引用)

この言葉がよく使われるようになったのは15年ほど前からで、日本の国際観光に対する取り組みと関係する。それを紐解いてみよう。

日本の観光政策が大きく変わり始めたのは、平成15年に当時の小泉純一郎 総理が「ビジット・ジャパン事業(日本の観光資源を様々なシーンで世界に紹介するプロモーション活動事業、日本カッコイイという表現で「クールジャパン」という言葉も生まれる)」をスタートさせてからである。それまでと異なり観光産業を消費産業として本気で見始めたような気がする。日本の観光資源の多さから見れば、当時の外国人観光客数の受け入れ数は決して多いとは言えない現状であった。事実、2016年に訪日外国人観光客は2,000万人を超え2,404万人(観光庁調)になったが、これでも世界で16位、アジアでも5位である。そして、2020年のオリンピック・パラリンピックイアーに向けて4,000万人、さらには2030年には6,000万人を目指すとしている。パリのテロ発生前までにパリを訪れる外国人観光客が1億人以上訪れていたのと比べても、観光資源の多い我が国の伸び代はまだまだあると思っている。

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そうした中、国際観光産業が消費産業として極めて有効だと捉えたのは、その構造が外貨を国内に流入し、その外貨が国内を流動化すれば全国全体に好影響が出ると考えたからではないか。

その理由は、当時、「格差社会」という言葉が社会的問題として捉え始めていた。戦後、池田勇人内閣が打ち出した「所得倍増計画」により、太平洋ベルトに製造業を位置付け積極的に企業誘致を行なった結果、膨大なエネルギーが必要となってきた。そこで裏日本の豊富な水資源に目をつけ水力発電という大型の社会インフラ整備を展開していったのである。その結果、まず表日本の労働者の所得が向上し、季節雇用者として表日本に働きに来ていた裏日本の労働者は地元で仕事ができるようになり、それに合わせて所得も増加していったのである。このことにより、国民の所得は平均的に向上し、国民の中に「総中流意識」が生まれた。しかし雇用面からみると、ベルリンの壁が崩壊して以降、東側の低賃金の労働力が西側諸国に大量に流入したことで価格競争が国際間で激化し、低コスト化に追い込まれた製造業は工場内を自動化し、海外へ製造拠点を移行し始めた。そのことにより製造業には、もはやこの国の雇用を支える力はなくなってきたのが現実である。そして、それに取って代わるものが消費を基本に置いたサービス産業なのだが、20年という長きにわたって続いたデフレ不況は国内消費を低迷させたため、カンフル剤が必要になってきていた。そういう意味では、インバウンド政策は外貨を国内に流入させ、国内で消費(流動化)させるわかりやすいモデルだったに違いない。

そして平成18年12月に国は、観光立国推進基本法を制定。さらに翌年6月に観光立国推進基本計画を閣議決定し、平成20年10月に観光庁が誕生した。
これによりインバウンドへの取り組みが名実ともにスタートするのである。

●受け皿となる宿泊業界の事情

私は、全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会(略称「全旅連」)のアドバイザーを仰せつかっている。同組織は、もともとは厚生労働省の衛生管理を目的に生活衛生関連団体(16組合)の一つとして誕生した。(今年4月からは国から「観光立国の振興に関すること」の一文を定款の中に盛り込むことを認められ名実ともに観光団体トップとして位置付けられることになり、観光庁とも連携できるようになった。)

この生活衛生関連16団体でさらに生活衛生同業組合連合会を組織し、その代表団体として位置付けられている。活動内容としては食中毒から感染症、最近ではHACCP(「Hazard(危害)」「Analysis(分析)」「Critical(重要)」「Control(管理)」「Point(点)」という言葉の略語で、食品を製造する際に安全を確保するための管理手法のことを言う。 日本語ではそのまま「危害分析重要管理点」と訳される。)」まで、国の生活衛生に関するほぼ全領域を代表幹事団体として取りまとめている。その団体には、美容理容業界や飲食業界も含まれており、その領域は広く、末端の組合員数にすると恐らく十万組合員を超える規模になる。全旅連だけみても加入組合員は業界の三分の一程度だがそれでも15,000組合員を超える。施設数にすると複数旅館ホテルを経営している組合員もいれば、ホテルチェーンも加入しているので恐らく5万施設は超える規模である。

こうした中、宿泊業も順風満帆ではない。この二十数年続いたデフレ不況は宿泊業界を直撃し、経営危機に追い込まれ、少し改善傾向にはあるがその時の負の資産に喘いでいるのが現状ではないかと思う。

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そして、経営悪化は事業承継問題へと発展し、廃業する旅館ホテルは増加傾向にある。また、旅行形態も大きく変化してきている。団体旅行は激減し、個人旅行へとシフトしてきている。それによって施設が団体旅行仕様となっているので切り替える必要が出てきている。当然、老朽化だけでなく耐震改修問題やバリアフリー整備など重い負担がのしかかり、そこに、民泊問題である。まさに宿泊業界は国際観光というプラス面だけでなく、それに伴って国際サービスへと大きく舵を切らなくてはいかなくなってきている。

●宿泊業界の課題

今、宿泊業界が抱えている課題を整理すると次のようなものであろうか。

  • 民泊の進出による小規模事業者の経営悪化
  • 違法民泊事業者の追放活動
  • 労働力不足による人手不足の蔓延化
  • 事業承継問題
  • 大震災等の自然災害時の有効なサポート体制の充実 等

簡単に思いつくものだけでも、このくらいはある。幸いにも私のアドバイザーという仕事は、国が進める観光政策についていち早く情報が入ってくる立場でもあるので、関係団体としてどのように受け入れて、どのように普及させるかといったシナリオ作成、また具体的なアクションプランや組織全体の事業計画案までの作成支援を行う。そのため、幹部会からブロック会議、都道府県会議、全国大会まで招聘され意見を求められる。最近では北海道支部のように支部のアドバイザーとしての要請もある。これ以外にも場合によってはロビスト活動のサポートいわゆる政治顧問的な仕事もお手伝いする。一言で言えば何でも屋ではあるが、この国の観光政策のベクトルがいち早く見えるし、国の担当者の話を直接伺えるので素晴らしいチャンスをいただいたと思っている。

●民泊問題の根っこ

住宅宿泊事業法(いわゆる民泊新法」)が平成29年6月16日に施行され、来月15日から本格的にスタートする。この法律が制定される背景には、急増する外国人観光客に対して宿泊施設が足りないということがそもそも論ではあるが、実態は長らく続いた不動産不況がその裏にある。つまり、不動産業界がだぶついているアパートやマンションの有効活用に「民泊」を利用しようとしたことはあまり知られていない。つまり、住宅宿泊事業法は外国の民泊施設仲介サイトがきっかけにはなっているが、本当の仕掛け人は不動産業界であった。そのことに気づいた時には、宿泊業界にとっては時遅し状態だった。つまり不動産業界に押し切られ、この法律が一気に制定されたのである。そこで、どうにか策はないかということになり、この新法が基本法的位置付けなので地域ごとに条例を制定する流れになっていることに目をつけて、いち早く全旅連としてのシナリオ書きを手伝った。そのためには組合員の意識を変える必要があった。最初にお願いしたのは個々の利益追及は捨てて欲しいということをお願いした。そして、新法が動き始め外国人観光客が増えた時の治安や事件について見える化し、地域住民の生命の安全安心を守ろうという活動に転換した。結果、半分以上の都道府県で営業日数や営業エリアを法よりも厳しくする動きに変わり、民泊ビジネスを営業としてみた時には魅力のない、いわゆる骨抜きにしてしまった。つまり、本来の国際親善、国際交流というところに引き戻す結果となった。そして、現段階では民泊申請よりも簡易宿泊所の届出の方が多い現状である。

以上、私の実体験に基づく雑感を書かせていただいた。
宿泊業は恐らくこの国の基幹産業の一つに必ず位置付けされる。その最前線を経験させていただいているということは幸運であり、ここでも掲げた過大一つ一つを取り上げても、このNews解説が書けると思っているので、次の機会があればご紹介させていただきます。

2018-04-26

株価の動きを理屈で説明できる・・・といいですね ― 林 仁史 教授

 株式の市場価格は省略されて株価と呼ばれます。毎日のように新聞やテレビなどで株価の水準や動きが報道されています。株価というものは、さまざまなものから影響を受けて常に変動しています。金融面から見た影響例として、株価は金利から影響を受けると考えられています。理屈はこうです。長期貸出金利の下落によって資金借り入れコストが減少するので企業業績が改善し、株価が上昇する、というものです。具体的に、銀行が企業に対して1年以上にわたる長期の資金貸出をする場合を考えましょう。そして、資金の貸し出しに際して設定される利子率を長期貸出金利と呼びましょう。何らかの理由で長期貸出金利が下落傾向にあり、例えば5%から3%になったとします。大ざっぱに考えてみます。例えば、企業が銀行から100万円を1年間借りたとすると、5%の貸出金利のもとでは1年後に借入元金100万円と利子5万円の合計105万円を返済しなればなりません。企業側から見ればこの利子5万円は資金借り入れのコストとなります。ところが、3%の貸出金利のもとでは1年後に借入元金100万円と利子3万円の合計103万円を返済すればよくなります。資金借り入れのコストはいまや3万円となり、5%の貸出金利のときに比べて2万円も減ったことになります。他の条件が一定のもとで、資金借り入れコストの減少によって企業の業績は改善します。投資家たちは長期貸出金利の下落が企業業績の改善につながることを容易に予想できます。したがって、業績の改善が予想される企業の株式を投資家たちは購入しようとするでしょう。もちろん、株式の売買取引が成立している間は株式の買い手はもとより売り手も市場に参加していることでしょう。しかしながら、業績改善が予想される長期貸出金利下落局面においては、現行の株価で売りたいと思っている株式数よりも現行の株価で買いたいと思っている株式数の方がはるかに多いと予想されます。つまり、株式市場で株式の供給不足が生じるわけです。この結果、立場の弱い株式の買い手の一人がこう言います。「割増料金を払いますから自分だけ優先的に株式を売ってください。」他の買い手も買いそびれてしまうのを避けたいと考えているので、我先に「割増料金を払いますから自分だけ優先的に株式を売ってください。」と言うでしょう。こうして株価は上昇していくのです。

 ここで、長期貸出金利が下落したことに直面した銀行側の気持ちになって考えてみましょう。銀行が企業に貸し出すときの資金は預金者からの預金を集めたものです。銀行は預金者に預金利子を支払わなくてはなりません。預金利子の支払いのための資金は、企業への貸出から得られた貸出利子の一部をあてることになります。「一部」と書いたのには理由があります。通常は、貸出金利の方が預金金利よりも高く設定されます。仮に、銀行から企業へ貸し出しをする場合に設定される貸出金利を5%とし、預金者への預金利子支払いの際に設定される預金金利を3%としましょう。もう一度、大ざっぱに考えましょう。預金者から預金金利3%で1年間だけ100万円預金をしてもらい、この100万円を企業へ貸出金利5%で1年間だけ貸し出すことにします。1年後に銀行は融資先企業から105万円の元利合計の支払いを受けますが、この105万円から預金者に103万円の元利合計の支払いをします。残った2万円が銀行のもうけとなります。言い換えると、貸出利子5万円の一部である3万円が預金利子支払いに使われます。残りの2万円は「利鞘(りざや)」と呼ばれ、銀行のもうけとなります。先述のように何らかの理由で長期貸出金利が下落傾向にあり、例えば5%から3%になったとします。銀行が企業に1年間100万円を貸しても3%の貸出金利のもとでは1年後の貸出利子は3万円にしかなりません。もし、預金金利が相変わらず3%であったら、1年後には貸出利子3万円を融資先企業から受け取って、預金者に預金利子3万円を支払ったら銀行のもうけはゼロです。これでは銀行は近い将来立ち行かなくなるでしょう。銀行としてはもうけが欲しいところです。仮に金利低下以前と同じ2万円の利鞘を確保したいと考えるならば、銀行は預金金利を1%に引き下げるでしょう。つまり、1年後に銀行が預金者に支払わなければならない預金利子は1万円です。そうすれば、1年後に融資先企業から受け取った貸出利子3万円のうち、預金者に預金利子1万円を支払って、残りの2万円を銀行は利鞘として確保できるのです。こうして、長期貸出金利の下落は預金金利の下落を誘発しました。

 さて、次に預金者の気持ちになって考えて見ましょう。預金者としては、預金金利の下落は銀行預金をしたときの利子収入の減少を意味しますから、銀行預金という金融商品の魅力が後退すると同時に株式など他の金融商品への投資意欲を湧き立てる可能性があります。例えば、1年間だけ100万円分の株式を保有すると1年後に受け取ることができる収益は2万円であり、預金利子率1%のときの利子収入である1万円を上回るとしたら、100万円の銀行預金をやめて100万円分の株式の購入をする人も増えるでしょう。この銀行預金から株式投資への投資先の変更によって、すなわち、株式市場での需要増加によって株価が上昇する可能性があります。

 これまでは、金融面から金利下落が株価に与える影響を見てきましたが、つぎに金利下落が実物面への影響を経由して株価に与える影響を考えてみましょう1。影響の波及経路は例えば以下のように考えることができます。長期貸出金利の低下によって、企業の設備投資需要が増加し、機械・鉄鋼・コンクリート・木材等に代表される建設資材等の設備投資関連財への需要を拡大させることを発端として景気拡大を牽引し、全体として企業業績が改善し、株価が上昇する、という波及経路です。また、長期貸出金利の低下に連動して住宅ローン金利が下落することで、新規住宅投資需要が増加し、やはり木材・コンクリート・家具・電化製品等に代表される住宅投資関連財への需要を拡大させ、全体として企業業績が改善し、株価が上昇する、という波及経路も考えられます。これらの需要拡大は所得の増加をもたらすので、消費支出の増加によって企業業績がさらに改善し、さらに株価が上昇するという波及経路も考えられます。これが、教科書的な一般論と言えるでしょう。

 さて、ここまでの内容に対して批判的に考えるときが来ました。現実の長期貸出金利の動きが現実の株価の動きに与える影響を説明する際に、上記の教科書的な議論を無批判に採用しても大丈夫でしょうか? そもそも上記の議論で株価って何を指しているのでしょうか? 個別企業の株式の価格でしょうか? それとも日経平均株価2でしょうか? 東証株価指数(TOPIX)3でしょうか? また、「他の条件が一定のもとで」とありますが、現実的にそんな状況はあり得るのでしょうか?4 株式市場で株式の供給不足が生じたとき、すぐにでも株価が上昇して供給不足を解消できるような書き方をしていますが本当でしょうか? 株式市場で、投資家の提示した買い注文価格に対して売り手からの売り注文が入らないか、または少ないため、株価が制限値幅の上限(ストップ高)まで切り上げたが値はつかず、売買が成立せずに「買い気配」のまま終わることも現実的にはあり得ます。

 預金者は、預金金利の下落に対して銀行預金から株式投資に切り替えるという議論も眉唾物です。日本の預金金利が異常に低い状態が続いているにもかかわらず日本の資産運用先として銀行預金の占める割合は依然として高いし5、運用資産を銀行預金から切り替えるにしても国債購入に振り向けるという安全資産から別の安全資産への切り替えもありうるので、必ずしも株式投資への需要は高まらない可能性があります。

 実物面の議論においても、長期貸出金利の低下が設備投資や住宅投資への需要を喚起するという主張は必ずしも現実的ではないかもしれません。それは、金利低下に対する設備投資や住宅投資の反応度6に依存するものであって、反応度が小さければ、長期貸出金利の低下が設備投資や住宅投資の需要を拡大し、各投資の関連財需要を増加させ、景気の拡大によって株価が上昇するという議論は破綻します。このようにまだまだ突っ込みどころがたくさんある議論ですが、枚挙に暇がないのでこのくらいにしておきましょう。

 その代わりにひとつ思考実験をやってみましょう。例えば、「他の条件が一定のもとで」をはずして、株価を自分が保有している企業Aの株式の価格であるとしてみましょう。このとき、長期貸出金利が下落したのにもかかわらず、A社株の株価が下落することはあり得るのでしょうか?

 株価に影響を与えるものとして金利のほかに為替レートの変動を挙げることができます。ここで、長期貸出金利の低下以外の他の条件が一定ではないケースとして、長期貸出金利の低下と同時に円建て為替レートが円安・ドル高方向に大幅に変動したとしましょう7。例として、1ドル=100円から1ドル=120円になったとします。A社は日本の自動車メーカーで生産された自動車の多くはアメリカ合衆国に輸出されるものとします。A社は1台4万ドルの自社の自動車をアメリカ人に売って、代金をドルで受け取ります。もちろん、自動車1台の輸出代金は4万ドルです。為替レートが1ドル=100円のときは4万ドル=400万円の売上額となります。ところが、為替レートが1ドル=120円になると4万ドル=480万円の売上額となります。したがって、日本の自動車メーカーの業績は円安・ドル高になると国際競争力が増し、円建ての売上額が増加し、業績が改善するので株価上昇圧力がかかります。自動車メーカーだけでなく精密機械メーカー・機械メーカー・電機メーカーといった輸出産業についても同様です。よって、長期貸出金利の低下と同時に円建て為替レートが円安・ドル高方向に大幅に変動した場合、A社が輸出産業であるならば、長期貸出金利の低下に伴う株価上昇と為替レートが円安・ドル高方向へ変動することに伴う株価上昇圧力によって、実際にも株価が上昇する可能性が高いと言えるでしょう。

 しかし、A社が電力・ガス・小売・建設・不動産・薬品・鉄道などの内需関連産業であると話が違ってきます。内需関連産業は原材料として、原油・建設資材・鉄鋼・鉱物資源等の輸入が多いでしょう。例えば、A社は日本の建設会社であり、建設されたビル・道路・橋梁のほとんどは日本国内で需要されるものとします。簡単化のため、A社は建設資材の製材をアメリカから輸入しているとしましょう。具体的にはA社は1単位あたり5億ドルの製材を1単位だけアメリカの製剤メーカーから買って、代金をドルで支払います。もちろん、製材1単位の輸入代金は5億ドルです。為替レートが1ドル=100円のときは5億ドル=500億円の支払額となります。ところが、為替レートが1ドル=120円になると5億ドル=600億円の支払額となります。したがって、日本の建設会社のA社は、円安・ドル高になるとアメリカからの輸入原材料調達コストが増加するため、業績が悪化するので株価下落圧力がかかります。日本の建設会社だけでなく電力・ガス・小売・不動産・薬品・鉄道などの内需関連産業についても同様です。よって、A社が内需関連産業であるならば、長期貸出金利の低下と同時に円建て為替レートが円安・ドル高方向に大幅に変動した場合、長期貸出金利の低下に伴う株価上昇と為替レートが円安・ドル高方向へ変動することに伴う株価下落圧力という相反する圧力によって株価が上昇するのか変動しないのか下落するのか明らかではなくなるのです。A社が内需関連産業であり、長期貸出金利の低下に伴う株価上昇圧力よりも円安・ドル高方向へ変動することに伴う株価下落圧力の方が大きければ、長期貸出金利が低下したにもかかわらず、他の条件が一定でないため、手持ちのA社株の株価が下落する可能性は否定できません。

 これは思考実験のひとつであり、特定の株式の価格の動きに対して金利や為替レートがどのように影響を与えるのかを明言するためには、統計データの地道な収集と分析が必要になるかもしれません。あいまいな言い方をするのは、どれだけ豊富なデータをそろえてもどれだけ長い期間にわたるデータをそろえても特定の株式の価格の動きに対して金利や為替レートがどのように影響を与えるのか明言できないかもしれないからです。長期的なデータをそろえて金利や為替レートが株価に与える影響を説明できたと思った矢先に第三の要因によって常に株価の動きが攪乱される可能性があるからです。「他の条件が一定のもとで」という前提が成り立たない現実において、株価の値動きがどんな要因からどのような影響を受けるのか明確に判断するのはなかなか難しいことですね。


1金利下落が実物面を経由して株価へ影響を与える可能性を考える際は、金融面の理屈を展開した場合より長い期間を想定しなければなりません。金融面に影響が出るスピードに比べて実物面に影響が出るのは緩慢だからです。

2株主は株券を保有している企業から配当や新株がタダでもらえる株式分割・割り当てられた新株を手に入れるには一定の払込金が必要となる有償増資を受け取る権利があります。なお、株式分割とは、株式1株を1.2株などと細分化することです。ある決められた期日を過ぎるとこれらの権利は消失します。これを権利落ちといいます。権利落ちには、増資新株の新株落ちと配当金の配当落ちがあります。割当日の4日前が権利落ち日となり、その後に前の株主の名前が消されて新しい株主の名前が株主名簿に記載され、株主としての権利が保障されます。増資の例として株式分割を考えましょう。例えばA社が1株600円の株式を1:1.2で株式分割をすることで増資をしたとします。権利落ちの前後で資産価値は変化しないとすると、理論株価はいくらに下落するでしょうか?答えは、1:1.2=x:600より、x=500、すなわち、理論株価は1株500円に下落するわけです。日経平均株価は、算出対象銘柄を225種とし、増資による権利落ち(株価下落)が引き起こす株価の不連続な下方ジャンプを調整して連続性を保つために、単純平均のように225種の株価の合計を225で割るのではなく、除数に修正を施して平均株価を算出しています。増資による権利落ちという株価の下落があっても株式数が増加するので全体の発行株式の価値は変化しないという考え方を採用しています。つまり、日経平均株価は、「当初、日経平均株価の算出対象銘柄を一株ずつ持っていた人の株式保有額」が株の値上がりと増資による株式数の増加によって現在いくらになっているのかを表しています。

3東証株価指数(TOPIX)は、大ざっぱに言えば、銘柄ごとに株価に東証一部上場の株式数をかけて合計した上場株式時価総額を1968年1月を100として指数化したものです。

4経済大国の大統領・首相・中央銀行のトップの発言や自然災害の発生や戦争の勃発で他の条件が一定のもとでという前提はすぐに成り立たなくなるものです。筆者が学部学生のとき、大学祭に当時の日銀総裁がゲストで来ました。学生からの国際金融についての質問に対して、その日銀総裁はうっかり本音で発言してしまいました。もちろん、マスコミも大学祭に取材に来ていました。直後の外国為替市場では為替レートが大きく変動しましたが、原因はそのときの発言であるとされました。「他の条件が一定のもとで」ある説明変数が被説明変数に与える影響を考えるというのは、経済学のお話しでよく顔を出しますが、例えば、数学における偏微分も同じような分析方法だと思います。

5日本銀行調査統計局(2017)『資金循環の日米欧比較2017』p.2、図表2によると、2017年3月末における家計の金融資産1,809兆円のうち、51.5%は現金・預金、28.8%は保険・年金・定型保証、10.0%が株式等という形態で保有されています。

6伝統的なマクロ経済学では、この反応度のことを「投資の利子弾力性」と呼びます。

7長い間、さまざまな原因によって一般的に米国金利は日本の金利より高い状態が続いています。日本の長期貸出金利が低下すれば米国の金利が以前より相対的により高くなるので、為替レートが安定しているなど他の条件が一定のもとでは、日本で投資するより米国で投資することが相対的により有利になる可能性があります。もしそうだとすれば、大ざっぱに言って、投資家は手持ちの円建て債券を売却して日本円を入手し、その日本円を外国為替市場に持ち込んでUSドルと交換したうえでドル建て債券を購入しようとするでしょう。この動きが活発化すれば、外国為替市場において日本円が過剰になると同時にUSドルが不足するため為替レートは円安・ドル高方向に変動する可能性があります。この日本の金利低下に対する為替レートの調整は瞬時に行われます。日本の長期貸出金利が低下することと為替レートが円安・ドル高方向に変動することが同時に起こることの理屈としてはこれ以外もありますが、今回は割愛します。

2018-01-24

太陽光発電と電柱 ― 石坂 昌弘 教授

 最近、至る所で太陽光発電施設を見かけるようになりました。屋根の上にソーラーパネルを乗せた住宅や平地に設置された大規模な太陽光発電施設も見慣れた風景になってきました。どうして急速に普及してきたのでしょうか。それは、施設を設置することにメリットがあるからです。
 太陽光発電については、当初、国は住宅用太陽光発電システムの導入について補助金を支給(平成26年度廃止)するとともに、住宅用(小規模)は余剰電力を、事業用(大規模)は全量を、予め決定した価格(固定価格)で、それも投資に十分見合う価格で10年又は20年という長期間にわたって買い取るという制度を導入したことが大きな要因です。何故、国はこうした制度を導入したのでしょうか。それは我が国のエネルギー政策と密接にかかわっています。日本のエネルギー源の主なものは、火力発電(石炭・石油・LNG)、原子力発電、水力発電です。中でも火力発電が圧倒的に多いのですが、火力発電の大きな欠点は膨大な二酸化炭素(CO2)を排出するため環境への負荷が大きく、世界的な課題となっている地球温暖化の大きな原因とも言われ、その削減が急務となっているのです。

 では、二酸化炭素を排出することのない原子力発電はというと、ご承知の通り、東日本大震災に伴う原発事故によりその危険性が広く認識されるようになり、現在日本のほとんどの原子力発電所は休止しているなど、脱原子力が世界的な潮流です。「環境」や「安全性」というキーワードからみると、そういったリスクの少ない水力発電や自然エネルギー(再生可能エネルギー)は資源の少ない日本にとってより有用ということもあり、近年太陽光発電に代表される自然エネルギーが一躍注目を浴びることになりました。自然エネルギーには、太陽光発電のほか、風力発電、地熱発電、バイオマス発電など様々な種類があります。中でも、太陽光発電はこれらの中では、施設の寿命が長く故障が少ないことや先述した国の制度もあり急速に普及してきたという訳です。自然エネルギーは資源の枯渇の心配がないなどメリットが大きいのですが、安定した電力を得られないなどのデメリットもあります。

 さて、太陽光発電は、太陽の光さえあれば世界中いつでもどこでも発電可能です。ではどこでも発電量が同じかというとそうではありません。緯度の関係もありますが、日照時間の多い場所は発電量が多く、少ない場所は発電量が少なくなります。狭い日本ですが場所によって日照時間は随分違います。総務省統計局の「統計でみる都道府県の姿2015」によると、2013年度の47都道府県庁所在地の年間日照時間は、1位山梨県2462時間、2位宮崎県2411時間、3位高知県2373時間・・・45位北海道1648時間、46位青森県1516時間、47位秋田県1469時間となっています。1位山梨県と47位秋田県の差は何と993時間、秋田県は山梨県の59.7%に過ぎません。その一方、都道府県によって設置費用の差がそれほどあるとは思えません。また、固定価格は全国一律であることから、日照時間が多い場所が断然有利ということになります。

 ここで群馬県を調べてみると、何と2366時間4位です。関東地方は比較的日照時間が多いのですが、中でも群馬県は抜きんでています。月別にみると、夏場(6月から9月)に全国平均を若干下回るものの、冬場(11月から3月)は圧倒的に多いのです。県境の山岳地帯と冬型の気圧配置(西高東低)が群馬県の平野部に晴天をもたらしているからです。
 「空っ風」というとネガティブなイメージがありますが、「太陽光発電」という視点に立つと群馬県は優等生だと言えます。

 ところで、電気の最大の欠点はというと、大容量の電気を溜めることができないことと言われています。つまり今使っている電気は今発電しているものです。火力発電所などから個人住宅などへ電気を運んでいるのは電線です。従って電線が不可欠ということになります。
 山々を越えていく巨大な鉄塔や道路上の電柱に電線を這わせて送電しているので、日本全国電柱(電線)だらけなのです。皆さんはこれをどう思いますか。ヨーロッパの街並みをテレビなどで見るとありませんよね。とてもすっきりとしています。
 何故なのか、それは地中に這わしているからです。道路上の電柱(電線)は、無電柱化(電線地中化)と較べて安上がりですが、景観を損ねたり、交通の邪魔になるなどデメリットも多いのです。

 海外から沢山の選手団や観光客が来るであろう「2020東京オリンピック・パラリンピック」を念頭に東京都は電線地中化を加速しようとしています。蓄電技術が進歩し、家庭で発電、蓄電し必要な時に使えるようになれば、電気を自給することができるようになります。そうすれば、電柱(電線)が不要になり、すっきりとした空間が実現すると思います。
 無電柱化(電線地中化)も蓄電技術も一朝一夕にはできません。時間をかけて一歩一歩進めざるを得ません。日本国内の電柱の数は約3300万本だそうです。近い将来、電柱の撤去が一大産業として脚光を浴びる時代がやってくるかもしれませんね。

以上