経済学部経済学科

2010年6月30日 (水)

公訴時効の廃止について思うこと ― 藤原 重紀教授

 2010年4月27日、殺人の公訴時効廃止などを柱とする改正刑事訴訟法と改正刑法が衆議院本会議で与党、自民、公明党など賛成多数で可決、成立し同日施行された。政府が同法案の可決・施行を急いだのは、翌日(28日)午前0時に時効が迫っている事件があったからと報道された。

 この事件は、1995年4月28日未明に岡山県倉敷市で発生した殺人・現住建造物等放火事件で、70歳と66歳の老夫婦が刺殺体で発見され、住宅など4棟が全焼した事件である。
 公訴時効の廃止を巡っては、犯罪被害者がこれまでも「逃げ得を許してもいいのか。」という声をあげていたものの、法改正には結びつくことはなかったが、本年1月10日、葛飾の上智大学生殺人事件の被害者遺族が時効制度の撤廃を求めて会合を開き、これに多くの犯罪被害者の遺族が参加したと報道され、この会合後、マスコミ各社において「刑事事件の時効制には合理的な理由がないのではないか。」という主張みられ、このことも世論を動かした大きな一因とみられる。

  改正法による時効見直しの対象となるのは「人を死亡させた罪」で、殺人や強盗殺人など、法定刑に死刑を含む12の罪については現行の25年が時効廃止となった。また、強姦致死など刑の上限が無期懲役刑の罪は時効の期間が現行15年のものが30年に、傷害致死や危険運転致死罪など上限が20年の罪は同じく10年から20年に、自動車運転過失致死や業務上過失致死などその他の懲役・禁固刑は同じく5年が10年になるなど、現行の時効の期間がそれぞれ2倍と延長された。

  そして、改正法は、施行された時点で時効が完成していない事件についても適用された。

  ところで、時効には民事の時効と刑事の時効があり、刑事の時効には「刑の時効」と「公訴の時効」がある。今回改正されたのは「公訴時効」である。つまり、一定期間経過することにより、犯罪の真犯人を見つけても起訴することができなくなるという国家刑罰権を排除する制度である。このような制度は世界各国にあり、我が国の母法となったドイツ法、アメリカにも存在するが、アメリカの場合、殺人については公訴時効を置かず、いつまでも起訴が可能という状況に置いている。

 我が国で、これまで時効制度をとっていた理由について、それぞれの分野で意見があるが、その一つとしては長期間にわたって追及されなかったという継続した状況・状態を尊重しようという考え方、二つめは被害感情や社会的応報感情が希薄化してきていること、三つ目は社会的影響が弱くなっていること、四つ目は刑罰の価値が低減していること、五つ目は証拠が散逸して検察・弁護双方に不利なことなどが主張されている。

  この法改正について、マスコミ各社は
・ 公訴時効制度の見直しは、期間を延長した2005年の改正以来5年ぶり。公訴時効が  廃止されるのは刑事訴訟法の前身である治罪法制定(1880年)以来初めてで、刑事政策の転換となる(毎日新聞)。
・  捜査実務にも影響する刑事司法の大転換が、約4週間という異例に短い国会審議を経て実現した(朝日新聞)。
・ 成立した法律は、現に時効が進行中の事件について時効の廃止と延長を求めるもので、憲法に違反する強い疑いがある。との日本弁護士連合会の意見(MSN産経)
等と、国による刑事政策の転換を大きく報道した。

 刑事政策について、その概念は依然として曖昧であるが、例えば安平政吉「刑事政策概論」によれば、「犯罪の鎮圧防止ということ並びに犯人の処置ということを、主として刑罰手段またはこれに類似した手段乃至これと密接不可分の関係にあるものをもってした場合の問題」、あるいは「犯罪防止をめざす国家または地方自治体の活動」(守山正「ビギナーズ刑事政策」)と定義している。また、最近の刑事政策学では「私人の活動」や「被害者の救済」も視野に入れてきている(藤本哲也「刑事政策概論」)。

 いずれにしても、最終的には犯罪の防止、すなわち社会の平穏を維持することに収斂されてくると考えることができるが、社会の平穏の維持は国家ないし社会の原始的機能で、その手段として刑罰が必要不可欠なものとなっている。

 犯罪を防止するには、刑罰のほかに犯罪者の矯正・改善をはじめとする犯罪者処遇、あるいは犯罪が発生する前の段階で何らかの措置を講じる犯罪予防対策、さらには被害原因を研究する被害者学や被害者の救済などの多くの学派が誕生し、実行されてきた。

 しかしながら、今日に至っても犯罪を根絶する妙薬は発見されていない。近年になって、犯罪の増加とともに考えられてきた犯罪予防の妙薬は環境犯罪学の実践である。この理論はマーカス・フェルソンやロナルド・クラークによって唱えられたものであるが、要するに犯罪者の視点に立って犯行が行われる要素を排除(例えば監視されている環境を作り出す方策、被害額をなくすため自動販売機の現金をこまめに回収する手法等)しようとするものである。

 こうした中で、公訴時効の廃止は刑事政策の古典的な法執行モデルへの回帰であるともれるが、社会の応報感情の高まりやDNA型鑑定の高度化から時効制度が合理的という可能性は少ないと思われる。しかし、その一方で国家刑罰権の強化・肥大化は、人権侵害の危険を大きくする、と考える人たちもいる。また、罪刑法定主義の一つの重要な内容である刑罰法規の不遡及原則にかんがみ、前回の改正では法施行後の犯罪から適用するとしていたのを今回は法施行前の犯罪にも遡って適用している。

  学生の皆さんは、公訴時効の廃止についてどんな感想をもちましたか?

2010年6月24日 (木)

カーボン・リーケージ(炭素の漏れ)とは? ― 武田 史郎准教授

□ はじめに

民主党政権は「CO2 (あるいは,温室効果ガス) を2020年までに90年比25%削減する」という非常に高い削減目標を掲げ,自民党政権よりも積極的に温暖化対策に取り組む姿勢を示しています.しかし,その意欲的な温暖化対策は現時点ではまだ国民の幅広い支持を受けているとは言えないと思います.特に,産業界からは民主党の掲げる温暖化対策に激しく反対する意見も出されています.

□「温暖化対策に反対する理由」

温暖化対策に反対する論拠は多岐に渡りますが,その一つとして,「アメリカ」や「中国」
といった CO2 の大量排出国が積極的に温暖化対策 (CO2の削減) に取り組んでいない状況で日本のみが突出した形で温暖化対策をすることは望ましくないという主張があります.
なぜ日本だけが積極的に温暖化対策をするのが望ましくないのでしょうか?これには「カーボン・リーケージ」という問題が関係してきます.

□「カーボン・リーケージ」

「カーボン・リーケージ」とは,日本だけが積極的にCO2削減に取り組むことで,日本以外の地域では逆にCO2排出量が増加してしまう現象のことを指します.カーボン (carbon) は「炭素」,リーケージ (leakage)は「漏れ」という意味ですから,日本語で「炭素の漏れ」とも呼ばれます.

□ カーボン・リーケージの問題点

地球温暖化の原因が日本の排出するCO2だけならば,日本のみがCO2を削減することで温暖化を防ぐことができます.しかし,温暖化の原因は世界全体でのCO2排出量です.日本でいくらCO2排出量を減らしたとしても,他の地域でCO2排出量が増加してしまうのなら世界全体でのCO2排出量は減少するとは限りません.もし,カーボン・リーケージが強く働くとすると,日本でCO2排出量を減らすことがかえって世界全体での CO2 排出量を増加させることにもつながりかねません.

□ カーボン・リーケージの原因

なぜ日本でCO2排出量を削減することで,海外のCO2排出量が増加してしまうのでしょうか?その理由としては次の2つがあります.
1. 生産活動の海外への移転を通じた効果
2. エネルギー価格の低下を通じた効果

【生産活動の海外への移転を通じた効果】

例えば,日本でCO2排出量の削減をおこなうとします. CO2の排出源は化石燃料 (石油,石炭,ガス) ですので,これは結局化石燃料の利用に制限をかけるということになります.化石燃料の利用に制限をかけることで,エネルギー集約産業 (化石燃料を大量に利用して生産活動をおこなっている産業),例えば鉄鋼産業,化学産業等は生産コストの上昇に直面することになります.この生産コストは価格の上昇につながります.
日本の企業は日本国内,及び海外において外国の企業と激しい競争をしています.そのような状況で,価格を引き上げたとすると,日本のエネルギー集約産業は競争力を失ってしまいます.日本企業の製品は売れなくなり,その代わりに海外の企業の製品が売れるようになります.その結果,海外での生産活動が増加し,海外でのCO2排出量が増加することになります.

【エネルギー価格の低下を通じた効果】

日本でCO2を削減すると日本の化石燃料への需要が減少します.これは需要と供給の関係から化石燃料の国際価格を低下させる効果を持ちます.化石燃料価格が低下すれば,日本以外の国では化石燃料の利用量を増やそうとします (安いものをたくさん利用するほうがいいので).これにより日本以外の国でのCO2排出量が増加することになります.

□カーボン・リーケージの大きさ?

問題なのはカーボン・リーケージの大きさです.カーボン・リーケージが小さい,つまり日本がCO2を削減しても他の地域ではそれほど増加しないというのなら問題ありませんが,カーボン・リーケージが大きいのなら日本のみが積極的にCO2を削減することは望ましくありません.
実際はどうなのでしょうか? これについては多くのシミュレーション分析がおこなわれています.中にはかなり大きいリーケージが生じるという結果を導いているシミュレーションもありますが,多くの研究ではリーケージはそれほど大きくないという結果が出ています.
これはあくまでシミュレーションであって現実にそうなるとは限りません.実際にどうなるかは日本がCO2の排出規制をおこなってみないとわかりませんが,このカーボン・リーケージは温暖化対策を考える際の一つの重要な論点ですので覚えておいてください.

2010年5月12日 (水)

アメリカ連邦最高裁判所判事の指名 ― 並河 仁准教授

 オバマ大統領が10日、連邦最高裁判事にSolicitor General(連邦最高裁判所における訴訟などでの政府代理人)であるElena Kaganを指名した。日本では最高裁判事の任命が注目されることは少ないが、アメリカでは、連邦最高裁判事の任命はとても大きな意味を持つ。連邦最高裁判所のあり方が日本とは大きく異なっていることが理由である。

 第一に、連邦最高裁判事は政治的任命職である。日本の最高裁判事も内閣が任命することになっているが(長官は内閣が指名し天皇が任命する)、実際には、最高裁事務総局を中心に法曹関係者によって決定され、時の政治指導者の影響はほとんど受けていないとされる。対して連邦最高裁判事は、大統領が自由に任命することができるため、党派的任命がなされる。大統領の個人的な友人が任命されることすらある。80年代以降は、イデオロギー的立場が大統領に近い人物を任命する傾向が強くなっている。

 第二に、日本の最高裁判事は内閣が任命すればそのまま判事に就任することになるが、アメリカの場合は上院の同意が必要であり、公開の場で審査を受けることになる。そもそもが党派的任命であるため、政治状況や任命された人物の立ち位置次第では、審査の場で過去の言動を掘り返されるなど、政治闘争の場になることもある。形骸化していると言われて久しい日本の国民審査とはかなり趣を異にする。

 第三に、日本では70歳定年制であるが、アメリカの連邦最高裁判事は終身である。党派的任命でありかつ終身職であるため、任命した大統領が最大2期8年で大統領府を去った後も、長く連邦最高裁判事として党派的な影響力を行使することになる。更に、退任の次期を自分で選ぶことが出来るため、自分を任命した党派が大統領職を占めたときに退任することで、後任ポストを同じ党派が占めるように配慮することも珍しくない。しかし、終身であるがゆえに任命者の期待を裏切ることも可能であり、保守的立場を期待されて任命された判事がリベラルな立場にシフトすることも珍しくない。

 第四に、日本の違憲立法審査権は具体的係争に限定され、成立したばかりの法の是非そのものを問うことはできない。いわゆる司法消極主義である。アメリカの司法制度は、上記のような強い政治的=民主的バックボーンを持つために司法積極主義をとっており、政治に与える影響が大きい存在となっている。アメリカのリベラル化を後押ししたウォーレンコート(連邦最高裁は、長官の名称を付けて呼称することが一般的である。ウォーレンコートとはWarren判事が長官を務めた時代の連邦最高裁を指す)など、アメリカ政治をひもといたときに連邦裁判所の活動がキーになっていることは珍しくない。

 このような背景があるため、アメリカでは、連邦最高裁判事の任命は大きな注目を集めることになる。

 さて、今回のElana Kagan氏はオバマ政権では二人目の最高裁判事任命になる。一人目はDavid H. Souter判事の後任でSonia Sotomayor判事である。Souter判事は1990年にブッシュ政権(パパブッシュ)によって任命されたが、保守派の期待に反しリベラル派にシフトした判事である。Sotomayor判事は初のヒスパニック系判事であり、女性であることもあわせ、オバマ政権のリベラルにアピールする姿勢が反映しているといえよう。55歳での就任であり、長く判事職を勤めることが予想される。今回指名されたKagan氏はユダヤ系女性であり、リベラル派として知られている。前任者のJohn Paul Stevens判事はフォード大統領によって1975年に任命され35年の長きにわたって判事を務めた。任命された当初は中立的立場であったが、後年リベラル派にシフトしており、Kagan氏の指名はSotomayor判事同様、リベラル派判事からリベラル派判事への引き継ぎとなる。Kagan氏は50歳であり、Stevens判事同様、長くリベラル派判事として務めることが予想されるだけに、上院での審査の動向が注目される。無論、Stevens判事同様、就任後に立場をシフトさせる可能性がないわけではない。

 ちなみに、Stevens判事の前任者William O. Douglas判事が任命されたのは1939年、なんと第二次世界大戦前であり、こちらも36年の長きにわたり判事を務めている。任命者はF.ルーズベルト大統領。Douglas判事の前任者はLouis D.Brandeis判事であり、この人に至っては第一次世界大戦中の1916年の任命である。

 同じように「最高裁判所」「最高裁判事」といっても、これほどの違いあるのだから、面白いものである。

 ついでに言っておくと、「連邦最高裁」とわざわざ「連邦」を付けているのにもちゃんと理由がある。アメリカでは州ごとに最高裁判所が存在し、州法のみに関することは原則として州の最高裁判所が管轄権を持つことになっている。これもまた日本では考えられないことであると同時に、国の成り立ちの違いがよく分かる話でもある。

2009年11月12日 (木)

フロスト VS ニクソン

経済学部 伊藤 栄晃教授

今年もまたディベート大会のシーズンがやってきました。柴田学長時代に学長の強いリーダーシップの下で開始されたこの大会も、今では秋の関東学園のイヴェントとしてすっかり定着しました。論題のレヴェルも当初と比べると格段に上がりました。これは大会の成果が着実に蓄積されていることを意味し喜ばしいことですが、全学的な盛り上がりのためにはさらに一工夫が必要かも知れません。

丁度よいタイミングでトーク・バトルの醍醐味を十分に堪能させてくれるDVDを視聴しましたので、紹介します。2008年アメリカ映画「フロストVSニクソン」です。既にご覧になった人もいるでしょうが、まだの人には試聴をお勧めします。

これは1977年に行われたイギリスの司会者デヴィッド・フロストによる前米大統領リチャード・ニクソンへのインタヴュー番組を題材にした映画です。ニクソンは、1972年のウォーターゲート事件で直接盗聴を命じたスキャンダルにまみれて、1974年に失脚していました。そこで汚名をそそぎ、再起を図る機会を狙っていたのです。一方フロストはテレビの人気司会者だったが、メディアの世界で決定的な成功を収めたかったのです。この二人の非常に際立ったキャラクターの持ち主が、互いの野望実現のためにプライドをかけてぶつかりあったのが、この番組だったといえます

映画ではすさまじいトーク・バトルの(一部の)復元だけでなく、この二人の人物とくにニクソンの人間くささを掘り下げており、それなりに興味深かったのですが、個人的にはバトルの内容をより詳細に取り上げてもらいたかったと思いました。バトルの結果は・・・未だ見ていない人のためにそれは伏せておきましょう。ただトークの世界で当時超一流の人々がどのように戦うものか、それは色々と勉強になります。ディベートの役に立ちそうな教訓を少したれてみますか。

まずディベートは着席したときから既に始まっています。そこで相手チームや司会者との雑談で、その場の空気全体を和ませながら支配し、さりげなくとてつもなく重いプレッシャーを敵にかけることも、大事なポイントになります。

また開始早々いきなり相手の弱点の核心に先制攻撃をかけるのは、成功した場合には大きな効果を得られ、時には一発で相手をしとめることもできるが、はずされた場合のこちらのダメージは計り知れません。そしてその後で、戦線の建て直しに大変な労力を必要とするのです。

逆に相手にこちらの弱点を衝かれた場合には、当面戦線の建て直しのため時間稼ぎするためには、一般論に逃げ込み、はぐらかすのもひとつの手ではありましょう。しかし周りの視聴者には負けているイメージを与えてしまうので、この手段にはあまり頼りきりになるのはいけません。それよりも前もってこちらの主張の弱点を適切に把握し、防衛線を準備しておくことが大事です。防衛線として最も頼りになるのは、主題について相手が知らない情報や知識を仕入れておくことです。

相手の主張をよく聴くことがすべてです。そこには相手の弱点のすべてが、たいていの場合相手自身も気づかずに、露呈されてます。すべての主張には、多かれ少なかれ弱点があります。攻撃は最大の防御とはよく言われますが、トークにおいては、攻撃は自分の墓穴も掘ることでもあります。しかし打って出ない限り、相手をしとめることもできません。

決して感情的になってはいけません。そうなったほうが負けです。ディベートはゲームであって、果し合いではありません。相手は敵ではありますが、ゲームをともに楽しむプレイヤー仲間です。

乗り越えるべき相手は、さしつかえなければ対戦相手ではなく審査員といえましょう。丁度フロストとニクソンにとって、テレビの前の視聴者がそうであったように。彼らはともに番組を盛り上げるという点では、ある種の戦友であったとさえいえます。大会に参加される皆さん全員が、十分に楽しんでいただけますように。そして今年は伊藤ゼミからもか弱いチームが参加します。対戦する皆さん、覚悟してろよ!

2009年10月 7日 (水)

雇用対策に関する視点

雇用対策に関する視点

経済学部 講師 俵 典和

<時間が無い場合は、最後の段落だけでも読んでください>

 雇用に関する問題は現在ホットである。大学の授業でも、採用、失業、雇用に感する話をすると、学生の顔つきが変わることがよくある。今回、紹介したいデータは、マンキュー(ハーヴァード大学経済学部教授)の入門経済学第5 版の「失業」の章のコラムで紹介されている各国の失業給付金に関する比較である。数字は、離職前の賃金に対する比率(リプレイスメント比率と呼ばれる)である。[なお、これらは制度上の数字ではなく、現実の比率を、異なる属性間(例えば、失業前賃金、失業期間、家族の形態など)で平均したものである。出所は、OECDの報告書である。]

日本 8%

米国 14

ドイツ 29

フィンランド 36

フランス 39

デンマーク 50

オランダ 53

 欧州諸国の高い失業給付水準に対しては、「これでは真面目に失業者は求職活動をしなくなる、だからこそ大陸諸国では高失業なのではないか」という意見は頻繁に聞かれる。しかしながら、よくデータを見てみると、大陸諸国(フランス、ドイツなど)の失業は高水準であるが、北欧諸国(デンマークなど)の失業率は、1990 年代前半の金融危機の時期を除けば決して高くはない。雇用者一人当たりの生産性を比較してみると、欧州諸国は、米国と比較し大きいことは、頻繁に指摘されることでもある。わが国の低い失業給付水準の妥当性は、きちんと学術的に検討してみる必要はあるかと思う。実は、失業給付の経済への影響や、その最適な水準や制度設計のついては、古くは、ベイリーによる失業保険の最適性の検証方法に関する論文があり、近年でも、ワーニング、シャイマー、チェティら、超スーパースター経済学者による研究が生まれている。

 それでは、失業給付を増やすことには、どのような影響があるのだろうか?言うまでもなく、まず、求職者に悪いインセンティブを与えてしまうことである。つまり安心して真面目に求職活動をしなくなるから、失業期間が長期化してしまう可能性があることである。しかし、これは、失業保険の唯一の論点ではない。そもそもの目的は、失業時の所得保障という通常の保険機能による厚生の改善であろう。しかもこの保険機能による厚生改善は、雇用が安定している正規社員よりも、不安定な非正規社員の方がはるかに大きいと考えられるので、全ての労働者に失業保険(わが国では制度上は雇用保険と呼ばれる)を適用させる民主党の政策は妥当である可能性が高い。主に正規社員が失業保険でカバーされている状態を前提とした議論の再考は必要であろう。非正規社員にまで失業保険制度を拡充すれば、これまで以上に、失業保険の保険機能を重視して、失業給付のリプレイスメント比率水準を考える必要があるかもしれない。

 他にも重要な論点が存在する。まず、失業給付の、労働生産性改善効果そして、新卒市場以外の労働市場がより厚みを持ってくることである。失業給付が増えたから、安心して失業の危険を冒してまでも転職しよう、という労働者が増えて、仕事と労働者とのマッチの改善にともなう生産性の改善が理論的には期待される。しかしながら、わが国の雇用慣行、価値観を前提とすれば、仮に失業給付金が増額されたとしても、失業によるコスト(雇用機会の大幅な削減)はあまりにも甚大であれば、こうした期待は非現実的な可能性もあるので、注意が必要であろう。

 それから、失業給付が求職者に与えるマイナスのインセンティブに関してだが、これは工夫することにより、対応ができる可能性がある。理論的には、毎月の失業給付額を、失業期間にどのように依存させるか、という制度設計(メカニズム・デザイン)の研究が盛んである。直感的には、失業期間が長いほど、失業給付額を減少させるという風にすれば、ある程度インセンティブの問題を和らげることが出来るのではと考えられる。ホッペンハインとニコリニによる有名な研究では、そうした性質を最適失業保険が有することが指摘されている。

 最後に、しばしば引用されるモフィットやマイヤーによる研究では、失業給付額の増額は、失業期間を増やすことが知られている。伝統的な解釈は、失業者が真面目に求職活動をしなくなるというモラル・ハザードの存在である。しかしながら、よく考えてみれば、これは唯一可能な解釈ではない。そもそも求職活動にはおカネがかかる。十分な流動資産(現金や預金)が無ければ、有効な求職活動はできない。極端な表現だが、ホームレスの状態で、食事も入浴もせずに、真面目に求職活動をしたところで、面接すら受けられないであろう。流動資産が底をつけば、求職活動は停止せざるを得ない。あまりにも当たり前の事実であるが、先ほどの失業給付水準と失業期間とのプラスの関係は、このような流動性制約の問題として解釈することも可能であることに着目したのが、最近カリフォルニア大学バークレー校からハーヴァード大学に引き抜かれたチェティによる重要な研究である。モラル・ハザードなのか流動性制約なのか、という2つの異なる解釈のどちらがどの程度妥当しているかの検証は、極めて重要である。もしモラル・ハザードが重要であるならば、現在の失業給付水準は過大であり、流動性の問題が重要であるならば、失業給付水準は増やすのが望ましい、ということになる。チェティは、これを検証する非常に簡便な方法を考案した。彼によると、米国における望ましい失業給付の失業前賃金に対する比率(リプレイスメント比率)は50%程度だという。つまり、現在の水準は、あまりにも過少だと示唆している。同じ問題意識で、異なった方法を考案したシャイマーとワーニングの最近の研究では、最適リプレイスメント比率は、50%よりはかなり小さいそうだ。

 最後に最近の学生の就職活動について一言申し上げたい。私のゼミでも、就職の決まった4 年生と、まだ活動中の4 年生が若干いる。内定をもらった学生の中には、「もう何もやる気しないな」と気の抜けた感じの学生もいる一方で、必死に今でも活動を続ける学生も少数ではあるけどいる。是非、多くの方々に、齋藤孝氏の「<貧乏>のススメ」という本を読んでいただきたい。私は、内定をもらって気が抜けてしまっている学生の将来は、案外危険であるような感じもする。別に10 年、20 年の雇用の絶対的な保証をもらった訳ではない。どんな人にでも、失業するリスクはある。整理解雇とは限らない。病気、冤罪、いろいろリスクはある。困難にぶつかったとき、生きていけるのだろうか。それよりも、今必死に就職活動を頑張り続けている4 年生は、哀れむ人々もいらっしゃるだろうが、実は意外に将来は明るいのではないだろうか。私にはそんな感じがする。同じように思う社会人は、私だけではないと思う。

2009年7月 8日 (水)

『世界銀行 経済成長レポート』の翻訳出版

経済学部教授 田村 勝省

 掲題書を本年2月に訳了し4月に出版したので、宣伝活動の一環として紹介させていただきたい。というより、この訳書の内容説明会を6月下旬に世界銀行東京事務所で行った。ここではその一部を紹介したい。とはいえ、内容をすっかり忘れてしまっていて、読み返す時間もなかったので、期待だけを抱かせる冷や汗物の説明になったのを覚えている。

 世界には約200カ国もの国々が存在するが、第2次世界大戦後に持続的な高成長を遂げた国は13カ国と極めて少ない。すなわち、年率7%以上で25年間以上にわたり高成長を維持した(している)国は、ボツワナ、ブラジル、中国、香港、インドネシア、日本。韓国、マレーシア、マルタ、オマーン、シンガポール、台湾、タイの13カ国にとどまる。さらに、持続的な高成長が終った時点で、1人当たり所得が「高所得国」の域に達した国となると、香港、日本、韓国、シンガポール、台湾というアジアの6カ国だけだ。

 このような事例から持続的高成長の条件を探り出して他国に適用すれば、発展途上国の成長や開発と貧困削減に大いに役立つはずだ、というのが本研究・レポートの狙いだ。ここでは「13の成功物語」には5つの共通点があったとの指摘を紹介するにとどめたい。

 第1にグローバル経済をフルに活用した。第2にマクロ経済が安定していた。第3に貯蓄と投資の水準が高かった。第4に市場メカニズムを活用した。第5に有能な指導者と官僚組織が存在した。以上の詳細を含め興味が湧けば、どうか1冊お買い求め下さい。

 最後に、この「ニュース解説」の読者の方々に、訳者から2つの簡単な数式をプレゼントさせていただきたい。いずれも、「継続は力なり」という格言を意味するもで、十分味わっていただければ幸いです。

 ①(1.0710 ≒ 2.0   7%成長を10年間続けるとGDP2倍になる。

 ②(1.1025 ≒ 10.0 : 1人当たり所得でみて中国は日本の10分の1であり、10%成長を続けても日本に追い付くには25年間かかる。

2009年6月15日 (月)

2020年に向けた日本の温暖化対策

経済学部 武田史郎 准教授

はじめに

ニュースで報道されていましたので,既に御存知の人も多いと思いますが,610日に麻生総理大臣が今後の日本の温暖化対策の方針を発表しました.「2020年までに日本の温室効果ガスの排出量を2005年比で15%削減」というような見出しになっていたかと思います.今回はこのニュースについて話したいと思います.

現在の状況

現在,日本は「京都議定書」の履行をせまられています.京都議定書とは温暖化対策のために世界各国が参加している取り決めです.具体的には,先進国を中心とした国々に対し,地球温暖化の原因とされている「温室効果ガス(二酸化炭素等)」の排出量を削減する義務を負わせるというものです.この削減義務を実行しなければいけない期間が2008年-2012年であり,日本は90年の排出量比で6%の削減をおこなわなければならないという義務を負っています.

90年比で6%の削減」とは,1990年の温室効果ガス排出量の94%の値まで削減しなければならないということを意味しています.例えば,1990年の排出量が100トンなら,2008年-2012年の間に94トンまで減らすということです.

この京都議定書の削減目標をどのように達成するかが現在の日本の課題の一つとなっているのですが,さらに新たな課題が浮び上ってきています.それは,京都議定書以後,つまり2013年以降の温暖化対策をどうするかという問題です.

京都議定書以後

今年の12月に開催されるCOP15という国際会議で,この京都議定書以後の世界の温暖化対策について議論がおこなわれる予定ですが,それに先駆けて日本政府は,日本の温暖化対策の方針を決定しておくということになりました.具体的には,日本の温室効果ガスの排出量を2020年までにどれだけ減らすか目標を決定するというものです.2020年までという中期的な目標であるため,「温室効果ガス削減の中期目標」と呼ばれています.この中期目標決定のために昨年末に「中期目標検討委員会」というものが政府の下に設立され,様々な検討がおこなわれてきました.

中期目標検討委員会

中期目標検討委員会で議論されたことの一つに「温室効果ガス削減の経済・社会への影響」というテーマがあります.なぜ,「経済・社会への影響」ということが関わってくるのでしょうか?それは以下のような理由です.

温暖化は温室効果ガスの排出量の増加に原因があるとされていますが,その温室効果ガスの代表的なものは二酸化炭素 (CO2) です.そのCO2がどこから排出されているかというと、その大部分は「化石燃料の利用」からです.つまり,石油,石炭,ガス等の化石燃料の利用が温暖化の主な原因ということになります.

日本が温暖化対策をとろうと思ったとします.温暖化の原因は化石燃料の利用にありますから,温暖化対策とは結局化石燃料の利用を抑制・減少させるということになります.実際,化石燃料の利用を減らそうとしたら何が起こるでしょう?これは化石燃料が何に利用されているか考えたらすぐわかると思います.

化石燃料は例えば発電に利用されています.鉄の生産にも利用されています.化学製品や紙などの生産,旅客,運輸等の輸送サービスにも利用されています.さらに,生産活動だけではなく,家庭での消費活動でも利用されています.自家用車,湯沸し器,厨房,暖房器具等です.

化石燃料の利用を削減するとは,結局以上のような生産・消費活動を抑制するということに他なりません.ここで,温暖化問題に詳しい人なら,生産・消費活動を抑制しなくても,エネルギー利用を減らせるのではないかと考える人がいるかもしれません.例えば,多くの人が車をプリウスやインサイトのようなハイブリッドカーに買い替えれば,これまでと同じように車を利用しつつ (消費活動をしつつ) ガソリンの利用を減らせるのではないかということです.しかし,ハイブリッドカーはまだ普通のガソリン車と比べると値段は高いですよね.値段が高いものを買うのなら,他の消費を減らさないといけません.結局はどこかで消費や生産が減らざるを得ません.

以上のような理由から,温暖化対策は経済活動に対しマイナスの (景気を悪くする) 効果を持つと考えられています.そこで,中期目標決定にあたり中期目標検討委員会では,温室効果ガスをどれだけ減らすとどれだけ経済に影響が出るかを様々なシミュレーションによって分析しました.

このシミュレーションの結果の一部を紹介しますと,まず,「2005年比14%の削減」という,それほど削減幅の大きくないシナリオでは,経済への影響は

GDP 2020年時点で 0.6% の減少

・失業率は 0.2% の悪化,

・家計の可処分所得は4万円の減少

となるという結果が出ました.

一方,「2005年比30%の削減」という削減量が大きい (つまり,もっと積極的に温暖化対策をおこなう) シナリオでは

GDP 2020年時点で 3.2% の減少

・失業率は 1.3% の悪化,

・家計の可処分所得は22万円の減少

と経済への影響はかなり大きくなります.

この結果をどう捉えるかは人それぞれだと思います.例えば,所得の4万円の減少を非常に重い負担と考える人もいるでしょうし,逆に 22万円の減少でも積極的な温暖化対策のためなら負担してもよいと考える人もいるでしょう (みなさんはどちらでしょう?)

政府がこの結果をもとに国民にアンケート調査をおこなったところ,「2005年比14%の削減」というシナリオがよいという人が全体の45%で一番多いという結果となりました.ちなみに,二番目のシナリオがよいという人はたった 4.9% でした.

このアンケートの結果等も考慮し,麻生総理大臣が最終的に決定した方針が,今回のニュースで報じられた「2005年比で15%という目標」です.

今後の課題

国民のアンケートで一番支持が多かった選択肢と同じものが選らばれたということで (ただし,麻生総理は1%上乗せしていますが),国民の意向に添った決定だったと言えるかもしれません.しかし,温暖化対策として不十分だという主張をおこなう人も数多くいます.実際,温暖化から被害を受けるとすればそれは将来の世代ですから,現在の国民が賛成したからといって,それが将来の世代も考慮した意味で公平な政策とは限りません.特に,現在の世代に自分のことばかりを考える人が多いとしたら,現在の世代が賛成する政策が将来の世代に著しく不利な政策ともなりかねません.

当面の日本の温暖化対策の大きな方針は決まりましたが,温暖化問題は今後も重要な政策課題の一つとなると思います.今年末のCOP15でどのような決定がされるか注目していてください.

2009年5月18日 (月)

統計に対する認識 

経済学部 小沼 博義 教授

経済学や経営学では,講義や利用テキストの中に,必ず統計(一般にはデータと言われる)が引用されることは,皆さん経験されていることでしょう。統計とは,社会の出来事を数字で表したものです。私たちは,数字で表されたものは正確であると思い勝ちですが,経済学や経営学の分野を含む社会の出来事を表す統計は,正確さよりも分かりやすさに重点がおかれているのです。

例えば,皆さんが健康診断を受けるとき,身長や体重の測定も行われます。そして,身長は173.4cm,体重は67.8kgといった結果を知らされます。この結果は,あなたの日常生活の中で役立つことがあるでしょうか。洋服を買う場合に,身長が173.4cm,体重は67.8kgの体に合ったものを指定して買う人はいません。LMSといったサイズを目安にしたり,Y体,A対,AB対という表示から好みの服を選んだりするはずです。洋服のメーカーにとっても,細かい身長や体重などに合わせて生産することになれば,大量生産して良い品を安く提供することはできなくなってしまいます。つまり,おおよその体のサイズが分かれば十分なのです。

他人に自分の身長や体重を正確に伝えるときも,小数点以下の数字を言っても,相手はすぐ忘れてしまいますから,175cm弱で約70kgと言ったほうが,相手もわかりやすいはずです。その他のどのような機会にも,身長の173.4cmと体重の67.8kgという小数点がついた数字を活用できる場はないのです。経済や経営に関しては,金額表示の統計が使われますが,金額も額が大きくなると,一円単位までの細かな数字よりも,億単位や兆単位にした額のほうがわかりやすいため,利用されることも,身長や体重と同様な説明ができます。

さらに,統計には,時間や場所に制約されるという性質があります。身長や体重について,日本人男性あるいは女性の1950年の統計は,1950年という時の日本の社会環境の中で生活していた人々の数字であり,2009年の統計は,2009年という時の日本の社会環境の中で生活している人々の数字です。両年の社会環境は著しく異なっているはずです。それなのに,単純に両者を比較して,その差を強調することに,どれほどの意義があるでしょうか。また日本という場所に住む人々の身長や体重といっても,1950年の統計には沖縄が含まれないのに対して,2009年には含まれているとしたら,やはり単純な比較ができないことは明白です。経済や経営の規模などの統計を,異なる年で比較するときも,同様な注意が必要となるのです。

経済学や経営学の分野では,緻密な数式モデルを展開することが行われますが,モデルの推計に使われる統計には,上で述べたような特性があることを十分に認識しなければなりません。自然科学の分野で法則と呼ばれる中で展開されるモデルのように,正確に時間と場所を超越して成り立つモデルを,経済学や経営学の分野で作ることは不可能なのです。時間と場所に限定されたモデルから,社会で起きていた経済や経営の事実を見つけ,もしそれが有意義なことであれば,統計は使命を十分果たしたことになるのです。