一般教育

2012年5月17日 (木)

山口県の国体問題から考える - 石坂 友司准教授

 2010年から、山口県をめぐる国民体育大会(以下、国体)の参加資格と開催をめぐる問題が世間で注目を集めている。大学生にとっても1つの目標となっている国体とはどのような大会で、何が問題とされているのだろうか。
 そもそも国体は、敗戦を経て焦土と化した日本において、娯楽を失った国民と青少年にスポーツの喜びを与え、国内にスポーツを普及させる目的で始められた。第1回大会は直接の戦禍を逃れた京都を主会場として1946年に開催された。1947年の第2回石川国体には非公式ながら天皇が出席し、全国を巡る、いわゆる文字通りの国民体育大会へと成長していった。国体が各都道府県を巡っていく中で、不足するスポーツ施設を建設するとともに、戦後民主主義の旗頭になっていたスポーツを国民に伝播していく役割が期待されていったのである。
 開催都道府県は1987年の第42回沖縄国体で1巡し、翌1988年の京都国体から2巡目がスタートを切った。戦後復興と各地域へのスポーツ普及を掲げて始まった国体であったが、その歴史的役割は十分達成されたとして、2巡目以降の開催には廃止論も浮上した。
 国体は都道府県対抗というかたちをとり、地方のスポーツ振興政策や競技・選手の強化策に多大な影響を与えている。しかしながら、スポーツ関係者にはなじみが深く、重要度が高い反面、開催地を除いて、それ以外の人びとにはあまり関心をもたれていない、というのは言い過ぎではないだろう。多様な競技の複合的祭典として認知されているオリンピックやFIFA・W杯、世界陸上といった競技ごとの世界大会に比べ華やかさがなく、なじみが薄いのも一因である。
 国内最大・最高の総合スポーツ大会とうたわれる国体であるが、近年その存在意義が問われ始めている。グローバル化の進展によって、各競技種目は国際競技団体のカレンダーに応じた試合、ポイント制度に組み込まれ、トップ選手は国内の大会に出場する余裕・動機がなくなっている。それにともない、メディアの報道も必然的に少なくなり、国体は徐々に盛り上がりを欠いていくのである。
 一方で、国体の報道が熱を帯びるのは参加資格にまつわるトラブルや開催県の優勝を巡る問題である。2010年の第65回千葉国体では、競技報道よりも、翌年の開催県である山口の選手による参加資格問題が新聞紙上を賑わせていた。山口県から出場した35名の選手が、現住所を山口に置きながらも、生活や勤務実態がないことが発覚し、該当選手の獲得得点を軽減されるという事態が発生した。その後設置された第三者委員会では、開催地が必ず優勝する、行きすぎた選手強化方策がこの問題を生んだとして、警鐘が鳴らされた。
 歴史を辿れば、今回話題になった山口における1回目の国体は時代の転換となった大会であった。1963年に開催された第18回大会で、開催県の山口は2位に終わったが、翌1964年の第19回新潟国体から、2002年の第57回高知国体を除いたすべての開催県が総合優勝を果たし、天皇杯を獲得している。すなわち、開催県が天皇杯(男女総合優勝)を獲得する流れは、山口大会より後に形成されたものである。
 どうしてこれほどまでに開催県が優勝を勝ち取ることができるのか、そこには開催県有利となる制度が存在する。国体は各ブロックの予選を勝ち抜いて初めて本大会出場がかなう。したがって、特にスポーツ強豪県が存在するブロックでは本戦出場自体が至難の業である。一方で、開催県は予選が免除されるため、強化次第ではすべての種目で得点することが可能となる仕組みだ。
 また、開催県は競技施設の建設やインフラ整備に多額の資金を費やすため、その対価として天皇杯の獲得が至上命題になっているという側面も否定できない。必然的に、開催に向けて徐々に選手強化策をはかっていくことになる。例えば、山口県の場合、開催の5年前には41位だったものが、4年前には39位、3年前には35位、2年前に28位と順位を上げ、前年には13位と躍進している。そして開催時には見事優勝を勝ち取っている。こうした開催県の絶対優勝という流れは、開催県の絶え間ない努力の結果ではあるが、数年前より有力選手を他県から補強し(いわゆる「渡り鳥選手」の存在)、体育教員枠を過度に拡充して競技選手を獲得するといった方策などがとられてきた。このことは国体のメリット以上に、負の側面としてクローズアップされ、国体の像をつくり出していった。
 2011年に実施された第66回山口国体は、35競技に24000人が参加し、熱戦が展開された。前年の競技資格問題で注目されたこの大会は、終了後も同様の視点で報道がなされ続けている。参加資格を取りざたされた県外出身選手30名のうち、半数近くが大会後活動拠点を県外・国外に移したことが明らかとされ、批判的論調で論じられている(『読売新聞』2011.11.11)。このように、もはや国体は関係者の期待をよそに、行きすぎとされる選手強化と開催県の結果のみに関心が行く大会になってしまっている。
 以上のような負の側面に焦点が集まる国体だが、スポーツの振興という面では大きな役割を担っている。第1に、場合によっては何十年も前に建設された体育館や競技場でやりくりする多くの自治体にとって、資金のかかる競技施設の建設は大義が立ちづらい。地方行政がますます困窮する昨今にあってはなおさらである。その意味で、国体はそれら競技施設を一括して整えなおす機会を提供する。高度経済成長以降、華美で、必ずしも身の丈に合っていない競技施設の建設が国体による無駄使いを象徴し、批判された時代は確かに存在したし、現在でも「国体基準」と呼ばれる不要な施設建設の悪弊がないとは言えない。しかしながら、競技施設の建設は今後数十年にわたって、開催県における各競技の拠点として成立することは事実である。
 第2に、各都道府県の国体に向けた取り組みは他県の順位を参考にしながら、スポーツ推進と選手強化の度合いを決定づける。特に国体開催に向けて、多くの競技で強化された競技種目は、それが地域密着というかたちをとり、継続的な活動として実を結ぶならば、地域スポーツ振興の主体として機能する。
 他にも国体開催の経済波及効果(山口国体では595億円が生み出されたと言われる)や、ジュニアの強化を含めた国際的競技大会に向けた足場固めとして、国体を再定位することが期待されている。
 しかしながら、以上のような国体を通じたスポーツ振興が、一部の競技者のためだけに終わっては十分ではない。国民体育大会(ネーミングは少し時代遅れの感が否めない)という名の下に実行される大会であるならば、実施されるスポーツがより多くの人びとに開かれていく必要があるだろう。そのことが、国体の価値を高め、人びとが注目する大会へ脱皮するきっかけとなるはずである。
 また、華美で不要な施設建設という批判を生まないために、大会終了後の施設の後利用を含めた計画と反省・評価は欠かすことができない。この視点を欠いてきたばかりに、国体は無駄遣いの批判を免れることができていない。
 これまで行われてきた国体改革は時代の対応に精一杯で、十分な効果をあげているとは必ずしも言えない。私たちの身近な大会として国体を位置づけることができたならば、スポーツと社会の関係性はますます密接なものになっていくだろう。国体の2巡目が終わりを迎えつつある今、もう一度国体の意義を議論していく必要があるだろう。そのことを山口国体は世に問うている。

参考文献:権学俊、2006、『国民体育大会の研究』青木書店。

2012年4月25日 (水)

平安時代の就職活動 - 磐下 徹講師

 4月ももうすぐ終わり、5月になろうとしています。
 大学4年の皆さんは、就職活動の真っ最中で、今が一番たいへんな時期だろうと思います。「就職超氷河期」(企業に就職したいのに、なかなか内定をもらえることができず、就職率もかろうじて90%台に届いている状態のこと)と言われるようになってもう久しく、現在の大学4年生(2013年春採用)からは、各企業の広報活動解禁日が例年より2か月遅く開始(昨年=2011年12月1日解禁)されるなど、様々な要因に左右されながら、地道に努力することを求められる就職活動は、本当に苦労の多いものだと思います。
 ですが、このような職を得るための活動の苦労は、今も昔も変わらない部分があるようです。そこで今日は、平安時代の中下級貴族たちの「就職活動」の様子を覗いてみることにしましょう。

 貴族とはいえ、一部の上級貴族を除けば、官職を得ることは決して容易なことではありませんでした。しかも、官職の種類によって、その評価や経済的な給付には大きな差があり、なかでも「受領」(ズリョウ)という地位は中下級貴族たちにとって垂涎の的でした。
 受領とは諸国の守(カミ)を指す言葉で、現代風に言えば都道府県知事のポストに相当します。つまり地方行政のトップの地位です。
 この受領は、4年の任期の間、自分の任国から徴収した税を中央政府に納める義務を負っていました。そのため、彼らには国内の徴税権が与えられていたのですが、中央へ納入する税額さえ満たしていれば、税率などについては全て受領の裁量に任されていました。ですので、うまくすれば受領を一期務めるだけでも、かなりの財産を築くことができました。
 そのような訳で、中下級貴族にとって、受領はたいへん魅力的な官職だったのです。
 
 平安時代の貴族たちの人事は、「除目」(ジモク)という儀式で決定されていました。除目には当時の最高権力者とされていた天皇も出席し、その前で時の筆頭大臣が中心となり、天皇の意思を確認しながら、欠員の生じた官職の後任者が決定されていきました。受領も当然、この除目の中で任命されるものでした。
 受領への任官を希望する者は、除目に先立ち「申文」(モウシブミ)をいう書類を天皇のもとに提出することになっていました。そこには自分の経歴や、希望する任国(どこの国の受領になりたいのか)、受領に任命された際の抱負などが書きつらねられていました。
 まさに今で言うところの「エントリーシート」や「履歴書」に相当するものです。
 この申文が人事の結果に与える影響は小さくなかったため、中下級貴族たちは、時には代筆を頼むまでして、できるだけ立派な文章と内容の申文を用意していました(ちなみに申文は漢文で書かれますから、かなりの教養と文才が必要とされました)。

 『朝野群載』(チョウヤグンサイ)という平安時代に成立した文例集には、藤原俊信(フジワラノトシノブ)という人が康和6年(1104)に受領任官を願って提出した申文が収録されています(巻22)。
 そこには、俊信の経歴や希望する任国が記された後、これまでに俊信と同じような経歴を歩んできた人が受領に任命された事例を具体的に列挙し、自らが受領になることの正当性が主張されています。そして最後に、もしも受領に任じられたなら、粉骨砕身国家や天皇のために奉仕するということを格調高い漢文で述べています。
 俊信という人は、当代一流の漢文学者が任じられる「文章博士」(モンジョウハカセ)という地位についていただけあって、この申文はなかなか立派な漢文ですし、論旨明快で説得力もあります。ですが、残念ながら俊信はこの時の除目では受領に任じられず、そのせいかどうかは分かりませんが、翌年「不食病」で亡くなってしまいます。
 このように、素晴らしい申文が書けたからといって、必ずしも受領になれたわけではなかったのです。今も昔も就職というものは、なかなかスムーズにはいかないものですね。
 しかし、何事も諦めずに継続する気持ちが大切です。そのことを示す例を次に挙げてみたいと思います。
 
 先ほどの俊信よりも約100年前に藤原為時(フジワラノタメトキ)という人がいました。彼も俊信同様、当代一流の学者・詩人として知られた人でした。また彼は『源氏物語』の作者である紫式部の父親でもあります。
 為時も除目に先立って申文を提出し、越前守(受領、現在でいうと福井県知事)への任官を望みました。しかし結果は微妙なもので、越前守ではなく淡路守(現在の淡路島を管轄する受領)に任命されました。これは為時にとっては不本意なもので(任国により受領としてのランクや経済的収入に大きな差があり、淡路守はほぼ最低ランクでした)、彼はたいへん落胆してしまいました。
 
 しかし為時は諦めません。得意の文才を生かし、次のような一節を含んだ書状を当時の一条天皇のもとに送ります。
  
  苦学寒夜 紅涙霑襟(苦学の寒夜 紅涙襟を霑(ウルオ)し)
  除目後朝 蒼天在眼(除目の後朝 蒼天眼(マナコ)に在り)
 
 意味としては、「苦しさに耐えながら一生懸命に学問を積んできた日々を思うと、今回の除目の結果はあまりに絶望的で、悲しさのあまり血の涙が私の着物の襟を濡らしております。今となっては蒼天(青々と晴れ渡った空=天皇の恩徳のこと)を仰ぎ、この結果が修正されることを願うばかりです」といったところです。
 苦しい思いをして学問を積んだところで、今の世の中では何の評価も得られないのか。悲しさと虚しさのあまり、血の涙が溢れ出る。何とか英明なる君主の恩徳で、この理不尽な世情が正されることを願うのみだ…。
 為時の切々たる思いは一条天皇の心を強く動かし、天皇は当時の筆頭大臣であった藤原道長(フジワラノミチナガ)に善処を命じます。そこで道長は、越前守に任じられていた藤原国盛(フジワラノクニモリ)と為時の任国を交換させ、為時を越前守に任命しました。
 この話は『今昔物語集』(コンジャクモノガタリシュウ)や『古事談』(コジダン)などといった説話集に登場するもので、史実をそのまま伝えているとは限りませんが、かなり正確に登場人物や時代の雰囲気を伝えていると考えられます。

 以上のように為時は、一度は望み通りの任官に失敗しましたが、諦めることなく再度天皇に自らの才能をアピールすることで、待望の越前守のポストを手にしたのです。
 「就職活動」において、諦めることなく何度もチャレンジする精神の大切さは、今も昔も変わらないのかもしれませんね。
 
 ちなみに一条天皇は後世、名君と称された天皇でした。この時代には、大きな混乱もなく国政がスムーズに執行され、才能豊かな貴族が数多く活躍し、文化も大いに隆盛しました。
 為時のように学問を積んだ者が、その学識を評価され、貴族社会の中でそれなりの地位を得ることは次第に難しい時代になっていましたが、一条天皇だったからこそ、為時の学識を正当に評価できたのでしょうし、彼の名君たるゆえんもそのあたりにあるのでしょう。
 いつの時代のいかなる組織であっても、そのトップに立つ人物の「見識」はこのようなところに表れるのかもしれません。

 話がそれましたが、今回紹介したように、今も昔も「就職活動」は苦労の多いものなのです。しかし、「就職活動」を成功させるには、努力を積み重ねて自分を磨き、そうして獲得した才能や自信をもとに、諦めることなく自己をアピールし続けることが大切なのです。そんなことを歴史上の人物たちは私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

 平安時代の中下級貴族の申文はかなり多く残されています。任官の叶ったもの・叶わなかったもの様々ありますが、そのどれからも、今も昔も変わらない人々の苦労と努力の痕跡を読み取ることができるのです。

2012年3月 8日 (木)

震災報道の受け止め方 - 田島 祥講師

 東日本大震災発生から、まもなく1年が経とうとしています。新聞やテレビ、雑誌などの多くのメディアで関連した特集が組まれていますが、当時の映像や被災地の方々のインタビューなどを見ていると、その時の自分自身の体験も思い出されます。幸い私がいたところではそれほど大きな揺れではありませんでしたが、いつもの地震とは違った揺れ方や時間の長さから、「これは普通の地震じゃない」と、底知れぬ恐怖を感じました。皆さんも、それぞれの形で震災を体験し、感じたことがあるはずです。2012年3月11日には、世界各地の様子を一般の人が撮影した動画を集めて1本の映画を作るプロジェクト(JAPAN IN A DAY http://www.fujitv.co.jp/japaninaday/)が実施されると知りました。映画という形で記録が残り、時代を超えて世界中の人に見てもらえるというのはすばらしいことです。当日は、テレビ等でも震災関連の特集が組まれることと思いますが、みなさんはどのように過ごし、どんなことを考えるのでしょうか。
 3月11日が近づいている今でこそ震災関連の番組や記事を目にする機会が増えていますが、その少し前のことを考えると、震災関連の情報に接する機会は、以前に比べてかなり減ってきていました。そうした中で、復興支援に対する意識の低下も懸念されています。こうした背景の1つとして、マスメディアの議題設定機能による影響を考えることができます。議題設定機能とは、「マスメディアである争点やトピックが強調されればされるほど、その争点やトピックに対する人々の重要性の認識も高まる(竹下, 2008)」というものです。これによると、原発の問題や瓦礫処理の問題などについて、報道の量が多かったり、トップニュースとして扱われたりすると、私たちはそれを重要な問題、解決すべき問題だと認識します。しかしその反対に、緊急性のあるニュースとして扱われなかったり、報道そのものがほとんど行われないと、それほど重要ではないのだと考えるのです。報道番組や新聞記事などは、放送時間や紙面の分量に限りがあることから、扱われる内容はどうしても選択されていきます。震災から時間が経てば経つほど、また、被災地から距離が離れていけばいくほど、その時々の、緊急で近接性の高いトピックに押され、震災関連トピックの優先順位が下がってしまうわけです。
 これには2つ問題があります。1つは、震災に起因する多くの問題は、未だ解決してはいないということ。もう1つは、優先順位を決め、トピックを選択しているのはマスメディアであり、自分ではないということです。議題設定機能は、「マスメディア側の価値観で判断されたトピックの重要度に人々の認識が影響される」という点で、場合によっては非常に怖い力を持つことになります。私たちは自分自身の価値観で、今、何が重要な問題なのかを判断していくことが大切です。しかし、報道番組や新聞は、制作者のフィルターがかかっているわけです。ではどうしたらいいのでしょうか。答えの一つはインターネットです。テレビや新聞は、受動的に限られた情報を受け取るしかできないのに対し、インターネットでは、能動的に情報を求めることができます。いろんな立場からの意見や、ときには誤った情報などもありますが、それらを自分で読み、自分なりの価値判断をもとに問題について考え、取り組んでいくことが必要です。それが、長期戦になるであろう震災復興への支援につながっていくのだと考えられます。

2012年1月20日 (金)

就職活動と「特別活動効果」 - 高瀬 博教授

 「就職超氷河期」が再来し、職を求める学生の皆さんは大変苦戦している。一方、企業側も、厳しい経営状態の中、限られた人数で、できるだけ有用な社員を獲得しようと必死である。企業の求める資質には「人間関係形成力・コミュニケーション力」や「チームワーク」などが上位にあがり、一般社会もこれを認識している。学生の皆さんはこれらを強く認識して「就職力」を高めていくことが必要である。
 「日本特別活動学会 研究開発委員会」が2011年3月に発表した、「特別活動の社会性獲得に関する調査報告書 ~大学生が認める特別活動の多大な効果~」によると、特別活動(学校行事・生徒会行事・ホームルーム活動・クラブ活動・ボランティア活動)で身に付くことして、「人間関係形成力・コミュニケーション力」や「チームワーク」などを上位とする大学生が多数であったとのことであった。まさに企業が求める資質である。実際、就職試験における面接等で、「あなたは、学生生活で何をしましたか?それによって何を得ましたか?」の質問があることを良く聞く。いわゆる「体育会系」が評価される理由もそこにあるかもしれない。一方、特別活動を巡る現状は決して良好でない。「授業時間確保のために学校行事を精選する」、「少子化の影響で野球部・サッカー部ができない学校」、「教師の多忙により教科指導以外の活動が不十分」などである。「家庭教育・学校教育・社会教育」がそれぞれ弱体化しては、明るい未来は望めない。フランスやドイツではいわゆる「特別活動的な制度」は基本的には無い。しかし、家庭や社会全体で、人間性を育成する土壌がある。スポーツ選手の育成過程も同様である。
 日本は、これまでのように「学校教育・教師」に頼ることなく、「家庭・学校・社会」が相互に協力・理解しあって、子供たちの「人間関係形成力・コミュニケーション力」や「チームワーク」を育成し、就職活動に勝利し、社会において有用で、幸福な社会生活を送れるような社会となってほしい。とにかく、今がんばっている学生諸君は、「コミュニケーション力」や「チームワーク」があることをアピールしよう。

2011年11月 9日 (水)

瞬間の一言 - 小池 康講師

 9月16日の各紙朝刊にて、平成22年度「国語に関する世論調査」の結果についての報道がありました。この調査は、文化庁が平成7年度から毎年実施しているもので、その目的は「日本人の国語に関する意識や理解の現状について調査し、国語施策の立案に資する」というものです。調査対象は全国16歳以上の男女で、今回の調査対象総数は3,485人、有効回答数(率)は2,104人(60.4%)でした。
 平成22年度の調査では、言葉遣いについての意識、日本国内で消滅の危機にある言語や方言についての意識、官公庁が使用する言葉についての意識などと共に、慣用句等の言い方・意味についても調査されました。
 この調査の中で、今年特に新聞各紙やテレビ等のニュース番組でトピックとして取り上げられたものとして、「長っ」や「寒っ」など、形容詞の語幹を使った言い方についての意識調査がありました。

 蛇足だとは思いますが、ここで日本語の形容詞の特徴について簡単に復習しておきましょう。
 まず、「形容詞」というのは、事物を指し示す「名詞」(たとえば「木」とか「犬」とか「夢」など)を修飾して、その名詞の形状や状態、性質を詳しくするという働きを持っています。たとえば、「冷たいジュース(が飲みたい)」と言ったら、「いろいろな温度のジュースの中で、“冷たい”状態にあるジュース(が飲みたい)」ということであり、すなわち「(ある)ジュース」のその時の状態を詳しく述べているということになります。
 二つ目の特徴としては、日本語の形容詞は名詞の前に使う場合には「~い<名詞>」の形となることです。先の「冷たい<ジュース>」の他にも、「暖かい<部屋>」、「おいしい<料理>」「白い<パラソル>」「大きい<服>」など、名詞(< >でくくった部分)の前の文字はすべて「い」となります。このような、名詞につながる時には決まって「い」になるという形容詞の特徴から、日本語教育では「形容詞」という呼び方ではなく、「い形容詞」という呼び方で教えられる場合があります。
 なお、すでにお気づきかもしれませんが、上に挙げた例の中の「大きい服」は「大きな服」とも言えます。この違い、ぜひご自分で調べてみてください。

 さて、このような形容詞ですが、これまでは「長い」「寒い」とちゃんと「い」まで言っていたか、もしくはぞんざいな言い方として「なげー」「さみー」と言っていたかのどちらかだったのですが、ここ数年の間に「長っ」や「寒っ」などの表現をよく耳にするようになったようです。ただし、これは関東方面での話で、関西方面では以前より「長っ」や「寒っ」などの表現はされていました。
 「長い」という形容詞は、「ながい話」「ながくない」「ながかった」といろいろな表現が作れますが、そのどれをとっても「なが」という部分は共通して出現します。この共通して出現する部分を「語幹」と言います。関西では、この形容詞の語幹に「っ」がついた形でも、よく用いられていたということです。
 しかし、最近、関東で生活する人の中にもこの形容詞の語幹を用いる人が増えてきたため、今回調査に踏み切ったようです。

 さて、今回の調査では、ある状況下において「形容詞の語幹+っ」の表現―「寒っ。」「すごっ。」「短っ。」「長っ。」「うるさっ。」の5つ―が使用されることについて、下記の6つの選択肢より、自分はどのように思うかを聞いています。
 ①自分も使うし、他人が言うのも気にならない
 ②自分は使わないが、他人が言うのは気にならない
 ③自分は使うが、他人が言うのは気になる
 ④自分は言わないし、他人が言うのも気になる
 ⑤どれに近いとも言えない
 ⑥分からない

 結果は、「寒っ。」以外は、いずれも②の回答が一番多く4割前後を占めており、次は①で3割前後でした。「寒っ。」は①が約6割、②が約2割ということで、他のものとは認められている程度が異なっていました。しかし、いずれにしろ「他人が言うのは気にならない」と意識している人が7割から8割程度いたということがわかりました。つまり、「形容詞の語幹+っ」の表現が受け入れられている傾向にあるということがわかったのです。

 この現象についての解釈として、このような表現はすでに江戸時代に使用例が見られることから、現在において使われていても(使われるようになっても)何らおかしなことではないというようなことを述べた人がいました。しかし、江戸時代に使われていた例があることと現在の関東で使われるようになった(耳にするようになった)ことは、基本的には関係はないでしょう。なぜならば、20年や30年前までは耳にしなかったのですから。
 たとえば、20年前や50年前などといったように、ある時期ごとに日本語の使用例を観察し、その際に関西で多く使われている「暑っ」や「長っ」のような表現が、関東でも使用例が見られるというような観察例があったのならば、この表現が江戸時代からの名残で、関東でも連綿と使用され続けていたというような主張はできるでしょう。しかし、数十年間にわたって取り上げられることのなかった用法が、近年になって耳にするようになったからと言って、それを二百年近く前の言語現象と結びつけるというのは牽強付会ではないでしょうか。

 これらの用法が、関東の、特に若い世代において違和感なく使用されているという背景には、やはりテレビやインターネットなどのメディアの影響が大きくあると思います。特に、近年では関西出身のタレントやアイドルが、関西方言で全国ネットの番組に出演しているということが影響していると考えられます。
 私の幼少時代(数十年前)の時のことを思い返してみますと、関西の漫才師や落語家などは関西方言を使ってテレビやラジオに出演していましたが、流行歌手やアイドルといった人たちで関西方言を使っていた人は恐らくいなかった(いたとしても非常に少数だった)のではないでしょうか。
 関西出身のアイドルや芸人が自分の生まれ育った言葉を使って活動し、それが関東の若者にも認知され、一つのトレンドとしてまねされることによって、近年耳にするようになったのだと言えます。

 では、なぜこの「形容詞の語幹+っ」が受け入れられるようになったのでしょうか。その理由としてはいくつかあると思いますが、一番大きな理由は、“表現のすき間にはまった”表現だったからと言えそうです。
 この「形容詞の語幹+っ」が使われる場面を考えてみると、瞬間的に感想や印象を述べる時に使われることが多いようです。そこで、この表現が認知される前の状況を思い出してみましょう。
 私が子どもの頃、冬の朝、外に出た瞬間に思わず「さみー」と言ったりすると、親から「ちゃんとした言い方をしろ」と叱られたものです。また、学校などで女の子が「さみー」などと言うと、男みたいだとちゃかしたりしました。(それに対して「うるせー」と返されたりしました...。)
 このように、「さみー」を始め「なげー」「おもしれー」「すげー」などというのは、あくまでも良くない言い方・ぞんざいな言い方だったのです。
 また、今度は同じ状況で「寒い。」と標準語形をそのまま使って言った場合、「瞬間的」という臨場感が出せずに、どこかまだるっこしい感じになってしまいます。
 このように、これまでの形容詞の用法だけでは、瞬間的に感想を述べようとした場合に適切な表現がない、すなわち“すき間のある”状態ができていたということになります。
 ところが、「形容詞の語幹+っ」の出現により、この“すき間”が埋められることになったようです。上記のような場合に「寒っ」と言うと、ぞんざいな表現というわけでもなく、またまだるっこしい表現でもないということで、瞬間的に感想や印象を述べる場合の表現として認められたのではないかと推察されます。

 ただ新しいだけ・変わっているだけの言葉や表現はすぐに廃れます。逆に、今まで欠けていた部分を補うような表現や言葉は定着していきます。これから、どんな言葉や表現が定着していくのか、観察していくのもおもしろいのではないでしょうか。

2011年10月19日 (水)

なでしこジャパンに続け ― 山口 重信講師

 10/16 日本時間深夜、女子サッカーU-19日本代表がベトナムの地でアジアの頂点になった。しかも4勝1分の無敗での優勝であった。これによりFIFA U-20女子ワールドカッ2012の出場権も獲得し、日本女子サッカーのさらなる発展に勢いをつけるだろう。来年のU―20女子ワールドカップでは、なでしこジャパンに続く素晴らしい結果を期待したい。
 今大会初戦の中国戦は引き分けに終わった。芝が深かったこともありボールが走らず日本の持っている技術を出しづらい中で、前半に先制されてしまうが、後半ロスタイムに同点に追いつき勝ち点1をものにする。点数を取られても勝負をあきらめない、最後までベストを尽くし相手に挑んでいく姿勢から成し遂げた結果であると共に、大会初戦の難しさを感じた。なでしこジャパンのワールドカップ優勝の一場面、決勝アメリカ戦の延長後半1-2でリードされ終了3分前、宮間選手のコーナーキックからの澤選手の同点ゴール。延長終了直前にDF岩清水選手が相手選手の得点機に身を挺し守備をする。結果はファウルで止めたとして一発退場になるが、日本は最後までそれ以上の追加点は与えず、試合はPK戦にもつれ込み優勝した瞬間を思い出す。
 今回のU-19日本女子代表の活躍、なでしこジャパンのFIFAワールドカップ優勝・ロンドン五輪最終予選1位通過と結果が出ている背景には、なでしこビジョンを掲げ日本サッカー協会の上田女子委員長をトップに日本の女子サッカーのスタイルの確立に努めてきたことが挙げられる。また、さらなる日本女子サッカー発展の要因の一つに、育成年代のチーム数の増加が必要であろう。地域によってはジュニアユース年代の素晴らしいクラブチームがあるが、全国各地域にジュニアユース年代の育成に力を入れるクラブチーム・中学校がさらに増えれば日本の女子サッカーの選手層の厚み・拡大につながるであろう。今回の日本代表の勝利が効果的に普及活動にも発展して行き、全国各地のチーム数・指導者がさらに増え日本女子サッカー全体の底上げにつながっていくことを期待している。

2011年7月 6日 (水)

自転車通勤・通学のすすめ ― 天野 勝弘准教授

 最近、自転車による通勤や通学が増えているという。特に、東日本大震災によって、非常時の交通手段として自転車の利用価値が再認識されたことがその要因である。さらに、福島第一原発の事故以来の節電(省エネルギー)対策も加わり、エコな移動手段としての自転車による通勤や通学が徐々に加速しているのである。しかしながら、自転車通勤・通学が、震災以後に雨後の竹の子のように始まったわけではない。それ以前からもすこしずつブームは到来していた。

 さて、限られた個人が自転車通勤・通学をしても、社会にとっては大きな影響はない。最近問題となっているのが、自転車(と自動車あるいは歩行者との)事故である。日本では、一定数以上の自転車通勤・通学に対応できる道路環境はまだまだ整備されていない。歩行者や車も、多くの自転車通勤・通学者への対応は慣れていない。事故を起こしたときの補償制度(通勤中の取り扱いなど)も不十分である。通勤手当という面でいえば、会社によっては自転車通勤を認め、一定の手当を出しているところもあるようだが、少数派である。一般的には、会社に許可をとって自転車通勤が認められたとしても、通勤手当は出ない可能性もある。また、自転車通勤を認めている会社でも、ヘルメットの着用や任意保険への加入を義務づけているところが多いと聞く。これも個人の負担となる。さらに、会社や学校に汗だくで到着して、そのまま活動ができるかといえばNOである。組織に、身支度を調えられる施設は不可欠であるが、現状では厳しい状況でなはいだろうか。ちなみに関東学園大学にはない。以上を考えれば、まだまだかなりの決意をもって自転車通勤・通学をしなければならない状況にあるといえる。

 この決意は、先の地球温暖化を考えるという大義名分が後押ししてくれることは確かだろうが、それに加えて、自分の健康を考えるという側面を考えたらどうか。

 Aさん、Bさん、Cさんはいずれも、職場まで15kmのところに住んでいる。歩くことはちょっと考えられない(片道約3時間)。Aさんは、自宅から職場まで自家用車で通っている。車に乗るまでと、おりてからの歩数はごく僅かで、通勤で消費されるエネルギーは約10 kcalである(全員体重60kgとする)。Bさんは、最寄り駅までバス10分、電車に乗り換え15分、駅から職場まで徒歩で約10分という通勤スタイルである。これで約60kcal消費される。彼がバスをやめて歩くようにすれば、さらに60kcal消費できる。さてCさんは、この4月から自転車通勤を始めた。自転車の走行中の速度を20kmとすると、その運動強度は8メッツになる(健康づくりのための運動指針2006より)。ここでメッツは、身体活動の強さを、安静時の何倍に相当するかで表す単位で、座位安静を1メッツ、普通歩行は3メッツに相当する。したがって、Cさんの自転車通勤の正味の運動時間を15km/時÷20km/時=45分間とすると、この間の運動量は8メッツ×0.75時間=6エクササイズ(という量)になる。1エクササイズで消費されるエネルギーは体重60kgの人の場合63kcalと推定されるので、Cさんは片道の通勤で63kcal×6エクササイズ=378kcalとなる。これは、体重換算で54gになる。

 こんな細かな計算、「何になるのだろうか」と思う人が多いことだろう。しかし、細かくも難しくも大変でもない計算だといいたい。われわれは、具体的目標があると行動しやすい。もっとも具体的なものは数字である。だから計算する。ここで得られた数字で、1年後の3人の体重を考えてみる。3人とも1ヶ月20日働くとする。Cさんは雨などの天候の影響で自転車通勤は80%しか行えず、残りはBさん同様(ただし駅まで歩き)の通勤手段とする。
Aさん:10kcal×2(往復)×20日×12ヶ月=4,800kcal(体重換算約0.7kg)
Bさん:60 kcal×2(往復)×20日×12ヶ月=28,800kcal(体重換算4.1kg)
Cさん:自転車:378 kcal×2(往復)×20日×12ヶ月×0.8=145,152kcal(体重換算20.7kg)
   :電車:60 kcal×2(往復)×20日×12ヶ月×0.2=11,520kcal(体重換算1.6kg)
    合計156,672kcal(体重換算22.4kg)
となる。もちろんこれだけ痩せるという意味ではないが、Aさん0.7kgとCさん22.4kgの圧倒的ウエイトコントロール性の違いに注目してほしい。

 最後に、最近の研究では、単に運動の量だけを確保するのでは生活習慣病の予防に不十分だということがわかってきた。すなわち運動の強さも必要なのである。第一の目安として、身体活動の中に4.5メッツ以上の運動を盛りこむことが推奨されている。これは分速100mの速歩やバドミントンなどの運動強度に相当する。日常活動なら庭の草むしりや子どもと積極的に遊ぶなどに相当する。しかしながら、生活習慣病のリスクをさらに下げるには6.0メッツ以上の身体活動が要求される。これはかなりのレベルである。若者や現役で仕事をしている人にもできないレベルではないが、定期的に行うにはかなりの意欲を必要するだろう。そこで、自転車通勤・通学に目を向ける。先に示したように、この行動による運動強度は8メッツである。もちろん、空いているところではかなり速度を上げている、ちんたら漕いでいるのではないレベルではあるが、十分な強度と運動量を確保できる。

 化石燃料を必要としないエコな移動手段という側面に、健康でいられるという後押しを加え、自転車通勤・通学を考えてみたらどうでしょうか。

 ※万人に適しているとは言いません。私の場合も、家と大学との距離は70km以上あるので、自転車通勤は無理です。それでも、自転車通勤・通学の事例は、別の取り組みで対応しようという気にはさせてくれるものです。

2011年4月28日 (木)

内田百閒と関東大震災 ― 照山 顕人准教授

 夏目漱石の弟子に内田百閒(ひゃっけん)(1889-1971)という作家がいる。百閒が亡くなったとき、新聞だったか雑誌だったか「漱石最後の弟子亡くなる」という内容の見出しがあったことを覚えている。以来僕はこの作家を好んで読むようになり、独特のユーモアと諧謔、それに彼一流の屁理屈を並べ立てた文章に惹かれていった。百閒自身についての詳細は文学史に委ねることにするが、あの美文家の三島由紀夫をして、「現在、随一の文章家は内田百閒である」と言わしめた、わが国筆頭の名随筆家である。

 1923年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とした、いわゆる「関東大震災」が発生し、関東一円に甚大なる被害を与えた。大正時代を生きた作家の多くが大震災を経験し、その体験を随筆や小説や日記に記している。例えば永井荷風『断腸亭日乗』、岡本綺堂「震災の記」、寺田寅彦『寺田寅彦日記』、田山花袋『東京震災記』、谷崎潤一郎「港の人々」、徳富蘆花「読者に」など枚挙に暇がない。

 百閒は、「入道雲」、「長春香」、「塔の雀」など愛情と愛惜にあふれる美しい小品に震災を描いた。執筆は震災から十余年が過ぎた1935-36年、百閒自身が落ち着きを取り戻したころであろう。人一倍怖がりで感傷的であった百閒が冷静に震災を述懐する。

 「入道雲」では、地震の直前直後の様子が細かく描かれる。百閒は旅行に出ようとして小石川雑司ヶ谷の自宅から俥に乗って上野駅に向かう途中、地震に遭難し、家人を心配しつつ帰宅する。余震が絶え間なく襲い、近くの学校の校庭に避難すると、東南の空に湧きあがった雲を見る。

    午後三時を過ぎた頃から、雲だか煙だか解らないその大きな塊りの中から、

   どろどろと云う遠雷の様な音が起こった。段段に大きくなつて、音が一続きになり、

   唸(うな)る様な響きが轟轟と傳はつて来だした。赤黒い色の中に、ぴかりぴかりと

   鋭く光る小さな物が飛び交つた。

   何の物音とも解らずに、ただ独りでに頭の下がる様な恐ろしさであつた。

   本所深川一帯の火燄が大川縁に吹きつけて、縺(もつ)れて撚(よ)れ上がつてゐる

   のであるとは知らなかつた。

   被服廠跡を包んだ燄(ほのほ)の声であつたかと後になつて、その唸る様な響きを

   もう一度耳の底に聞かうとした。私の「長春香」はここから始まるのである。(「入道雲」)

 随感はここで終わり、その後の物語は「長春香」に続く。

 百閒は東大独文科を卒業した後、陸軍士官学校、法政大学などでドイツ語の教師をしていた。そのころ本所(現在の墨田区)石原町から個人的に彼の家へドイツ語を習いに来る、長野初という妙齢の女性がいた。非常に優秀な学生で素質もよかった。長野は一度不幸な結婚をしており、百閒は、彼女が初めて生んだ子どもを死なせてしまった話に痛く心を動かされた。その数年後彼女は再婚し、もうすぐ子どもが生まれるという話を聞いた矢先のことだった。

   ・・・・・九月一日の大地震と、それに続いた大火が起こり、長野の消息は

   解らなくなった。余燼(よじん)のまだ消えない幾日目かに、私は橋桁(はしげた)の上に

   板を渡したあぶなかしい厩橋(うまやばし)を渡って、本所石原町の焼跡を探した。

   (「長春香」)

 百閒は被災した長野を捜して、瓦礫の中を歩きまわる。

    焼け野原の中に、見当をつけて、長野の家の焼跡に立った。暑い日が真上から、

   かんかん照りつけて、汗が両頬をたらたらと流れた。目がくらむような気がして、

   辺りがぼやけて来た時、焼けた灰の上に、瑕(きず)もつかずに突っ立っている一輪挿を

   見つけて、家に持ち帰って以来、もう十一年過ぎたのである。その時は花瓶の底の

   上薬(うわぐすり)の塗っていないところは真っ黒焦げで、胴を握ると、手の平が熱い程、

   天日(てんび)に焼かれたのか、火事の灰に蒸されたのか知らないが、あつくて、

   小石川雑司ヶ谷(ぞうしがや)の家に帰っても、まだ温かかった。私は、薄暗くなりかけた

   自分の机の上にその花瓶をおき、温かい胴を撫でて、涙が止まらなかった。

                           (中略)

    後になって、長野は、まだ火に襲われる前、既に地震の為に重傷を負った母親を

   援(たす)けて、その血を身重(みおも)の自分の背にしたたらしながら、一家揃って

   被服廠跡に這入ったところまでは知っていると云う人の話を又聞きした。日たつに従い、

   愛惜(あいせき)の心を紛(まぎ)らす事ができなかった。

    富坂の中途に、石原町から避難してきた人が寄寓していると云う話を何処かで

   聞いて、私はその家を訪ねて見た。しかし、長野の消息は解らなかった。(「長春香」)

このとき百閒は長野の死を確信した。

 余震も収まったころ、百閒は長野を知る仲間とともに、追悼会を開く。手作りの長野の位牌の前で闇なべを囲み、長春香を焚き、長野の座る場所も設けた。

   「お位牌を煮て食おうか」と私が云った。

   「それがいい」と云ったかと思うと、膝頭にあてて、ばりばりと二つに折る音がした。

   「こうした方が、汁がよく沁みて柔らかくなる」(「長春香」)

 位牌を煮て食おうという百閒の発想は異常である。しかし、百閒にはそうせざるを得ない心情があった。

 百閒は長野に対して淡い恋心を抱いていた。それは、震災直後の、長野に対する行動からもうかがわれる。愛弟子長野の死を信じたくない、喪失をうまく受け入れることができない、その深い喪失感が、百閒に位牌を食べるという発想をもたらしたのである。

 関東大震災時の本所近辺の火炎はすさまじかった。地震発生後、東京下町の方々から火気が立ち、やがて町中が火の海になってしまった。その火の気から逃げ回る人たちにとって、本所にあった被服廠跡地は格好の避難場所になり、足の踏み場もないほどの雑踏となった。やがて火は被服廠跡地にせまった。火の粉が避難した人々の頭上に舞い、持ち込んだ荷物に燃え移り、人も物も全て灰と化してしまった。犠牲者の数は4万余名といわれている。被服廠跡地には1930年に慰霊堂[震災記念堂]が建てられた。それ以来、百閒は毎年その慰霊堂にお参りに行くのである。

 「塔の雀」はお参りに向かう心情の吐露から始まる。

    私は気持が大袈裟(おおげさ)なのか泣蟲なのか知らないが、まだ今の様に家の

   建ち揃えはなかった何年か前などは、私の乗つてゐる電車が兩國橋を渡つただけで、

   もう目の中が熱くなり、一寸(ちょっと)した機(はず)みですぐに涙がこぼれさうになつた。

    だから九月一日には私が必ず被服廠跡の記念堂と石原町のお寺にお詣(まゐ)りに

   出かける事を知つてゐる友達から、今度は一緒に行かうと誘はれる事があつても、

   いつも謝(ことわ)つた。出かける前になつて、家の者が同行したいと云ふのも、

   嘗(か)つて許した事がない。

   自分ながら見つともなくて、人と一緒に歩けやしないと思ふのである。(「塔の雀」)

 大きな怖い顔に似合わず、百閒の内面は極めて繊細である。長野の死がもたらした喪失感、寂寞感はそれほどまで大きかった。慰霊堂だけでなく石原町のお寺にもお参りに行くのは、石原町界隈の犠牲者がそのお寺に祀られているからである。

   私は毎年その日になると、被服廠跡の震災記念堂から、裏門を出て石原町の

   長野の家のあった辺りを一廻りして帰って来る。石原町も二、三年前から町幅が

   広くなって、昔の様子とは違って来たけれど、もと長野の家のあった筋向いに、

   寺島さんと云う大きな煎餅(せんべい)屋があって、今日は私の方に差支があるから、

   教わりに来るのを止めてくれと云う様な連絡には、その煎餅屋さんの電話を借りたので

   ある。寺島さんも一家全滅して、その家のあった後に、今は、石原町界隈の焼死者を

   まつる小さなお寺が建っている。だから長野の霊も、そのお寺の中に祀(まつ)られて

   いるのである。(「長春香」)

 百閒は震災後十有余年を経て、ようやくこれらの回想記を書くことができた。心の痛手から回復するまでにそれだけの歳月が必要だったのだ。「長春香」は長野に直接焦点を当てた本編であり、「入道雲」は「長春香」にいたるプロローグ、「塔の雀」は「長春香」のエピローグといえる。

 さて年月は累り、今年は2011年。3月11日の「東日本大震災」は凄烈だった。14000人以上の人が亡くなり、13000人以上の人が今でも行方不明となっている。家族を失った人、まだ見つからない人の心労は如何ばかりであろうか。発生後一ヶ月あまりたち、被災地は物理的な復興が進んでいる。「がんばろう日本」と復興ムードに湧いている一方で、肉親をなくした遺族の疎外感と喪失感の手当ては置いてきぼりにされているようだ。

 百閒は喪失感に苦しんだ。肉親であれ、恋人であれ、友人であれ、同じ時代をともに生きていくはずだった人を、自然災害によって一瞬にして奪い取られる悲しみは、如何ばかりか。この大震災で、肉親、友人を亡くし、喪失感にさいなまれている人の数は、亡き人の数をはるかに超えるかもしれない。百閒は、喪失の悲しみを表現できるようになるまで、何年もの時間を必要とした。表出することもできないほどの悲しみであるということを知ることが、まずは大切であろう。物理的な復興に重点を置き「がんばろう」ばかりが繰り返されると、疎外感、空虚感、喪失感を強くする人がいるかもしれない。

 遺族は被災直後、家族を失った現実をすぐには受け入れることができない。数ヶ月して喪失感に襲われる場合もあるという。悲しみを共有することが何よりの特効薬だそうだ。百閒は、仲間たちと長野を悼む闇なべ会を催し、仲間たちと悲しみを共有しつつ、ゆっくりと乗り越えていったのかもしれない。
「長春香」、「入道雲」、「塔の雀」は秀作である。ぜひ読んでいただきたい。

                                                    合掌

付記
「長春香」は『東京日記』(岩波文庫、1992年)から引用。
「入道雲」および「塔の雀」は『北溟』(旺文社文庫、1982年)から引用。

2011年1月31日 (月)

交通網建設にまつわる「神話」 - 松林 秀樹講師

 昨年末、東北新幹線が新青森まで延伸し、開業効果(地域の活性化)への期待が高まっている。すでに青森の観光業や宿泊業などは、入込数の増加や事業の増益などの実際の効果が出ているようだ。今年も、九州新幹線の鹿児島ルートの全線開業(3月12日)にあわせて、博多駅ビルが新たにJR博多シティとしてオープンする予定(3月3日)であるなど、南でも新幹線の開業に期待が高まっている。鉄道だけでなく、本学に身近なところでは北関東自動車道の全線開通が3月19日に予定されており、こちらも行政・企業を中心にさまざまな期待がかけられている。

 公共事業に対する風当たりが強くなり、国・地方を問わず財政的な厳しさが連日のように報道を賑わすようになっても、相変わらず新規の交通網建設は進められている。上記のような高規格幹線交通網が建設される場合、少子高齢化と地域格差拡大の影響を直接的に受けている「地方」では、特にその期待感は高まっていく。そこには、交通網建設による地域の活性化という、「神話」のような思想が存在している。

 交通網に限らず、公共事業による地域の活性化という思想の発端は、1930年代のアメリカのニューディール政策の一環として行われたTVA(テネシー川流域開発公社)によるダムを中心とした開発政策にある。世界恐慌によるダメージからの回復を図るべく実施された公共事業は、多くの産業を潤し、同時に後の福祉国家の基盤を築くこととなった。

 日本では、高度成長期に田中角栄が地元の新潟に数多くの公共事業を引き込んでから、「神話」の効能が広く知れ渡ることとなった。その後、安定成長~バブル経済(とその崩壊)~失われた10年~リーマンショックという経済・財政的な変遷を経ても、そして先述したような危機的な財政状況に陥っても、根強く生き続けている。特に交通網建設の場合は直感的に「便利になる」ことが分かるため、基本的には好意的に受け止められる。場合によっては「地域の命綱である」というような主張がなされることすらある。

 もちろん、実際にその効能が発揮されることはある。ここ1ヶ月の青森のように、目に見える形で恩恵を受けることがあることも否定はしない。だが、特に高規格幹線交通網の場合、無批判的にその建設を推進してよいわけではない、ということを指摘しておきたい。とはいえ一般的には、「交通網が建設されて便利になることに、どんな不都合があるのか?」という疑問が浮かんでこよう。

 そこで、以下のような例を考えてみてもらいたい(実例ではなく架空のものだが)。

 ――ある地方都市(A市)に、子どものいない30代の夫婦がいる。ふたりとも、仕事やプライベートなど、さまざまな理由からできれば東京の周辺で生活をしたいと考えている。しかし近くに住んでいる妻の両親が身体的に不安を抱えていることと、東京からA市まで電車でも車でも4時間以上かかるため、住まいを移すことはできずにいた。ところが、A市に新幹線の駅ができ、東京まで2時間弱で出られることとなった。その結果、万一の場合でもすぐに実家を訪れることが可能になったため、夫婦で東京の郊外に移り住むこととなった――

 さて、この例からどのようなことが考えられるだろうか?

 交通網の建設で期待されることは、東京に代表される大都市圏と「繋がる」ことによって地域が活性化することである。観光客の増加ということが真っ先に思い浮かぶが、その他にも大都市の通勤圏・生活圏に入ることから居住人口の増加も期待される。「東京に通える範囲にありながら、土地が安く、住環境が非常に良好」というのを売りにするわけである。

 しかし、交通網の整備によって期待通りに地域が活性化したという例は少ない。逆に、人・モノ・金は大都市の方へ向かう。つまり、「東京→地方」ではなく、「地方→東京」という流れの方が優勢となってしまうのである。その結果、「地方」に残されていた数少ない資源が大都市に「吸い上げられてしまう」。こうした現象は「ストロー効果(もしくはストロー現象)」と呼ばれている。

 その実例について、日本経済新聞(2008年3月7日)が「新幹線 早かった失望」というタイトルで、山形新幹線と長野新幹線を例にして以下のような記事を掲載している(以下、記事からの抜粋)。

 ――(1992年に山形駅まで開通した山形新幹線は)地元の強い意向で新庄まで、99年末に新幹線の乗り入れが実現した。「精神的な影響が大きいんです」と新庄市長は新幹線効果を語る。東京駅に「新庄行き」の行き先表示がなされ、乗り換えなしで東京とつながるという意識は地元にとって悲願だった。しかし(中略)期待通りとはいかなかった。JR新庄駅にほど近い中心商店街を歩くと、人けのない店舗がここかしこに続く。新幹線延伸後も店舗の閉鎖は止まらず、県内でも「シャッター通り」として不安視される。(中略)観光客は新庄を含む最上地域で20%程度増えたものの、そこから山などに向かう人が目立つ。市内の観光施設の利用者数はむしろ減っている。――

 ――「家賃を下げても改装しても、借り手が見つからない」。長野市内の不動産業者はあきらめ顔だ。新幹線開業で東京までの所要時間は最短で1時間半と半減した。しかしその便利さがもたらしたのは、相次ぐ大手企業の支店閉鎖・縮小だった。首都圏からの日帰り出張で、長野県北部の顧客回りが可能になったためだ。長野市中心部には看板が空白のオフィスビルが目立つ。フロアの半分以上が空室のオフィスビルも少なくない。ホテルの稼働率は軒並み半分を切り、底ばいが続く。新幹線開通は出張・旅行客の宿泊減につながった。過当競争で「ほかの都市より宿泊単価は2,000円安い」(ホテルJALシティ長野の総支配人)。経営に行き詰ったホテルは売却され、安値で取得した新たな経営者は低価格で客をかき集める。宿泊料金のデフレスパイラルが止まらない。新幹線が金沢まで延びると長野駅は途中駅になり、宿泊客はさらに減りかねない。(中略)新幹線という名の美酒を求めて、地方都市は酔いしれがちだ。しかしいざ飲んだ後には二日酔いが待っているかもしれない。(中略)これから新幹線を引く自治体にとって、長野市の失敗から学ぶことは多い。――

 上記の長野市の例はストロー効果の典型といえる。そして同様の状況となっている地域はすでに多く存在し、新庄市や長野市は例外的な存在ではない。はたして日本社会はいつまで「神話」にすがりついていくのか。その効果の精緻な検証をしていくべき時期にきているのではないだろうか。そして同様の状況になってしまった場合の対応策についても慎重に吟味していくべきであろう。

2011年1月24日 (月)

Looking for Work? - ダニエルガスマン 教授

 Almost daily in the news, we hear that university seniors are having difficulty getting confirmed job offers as they search for employment after graduation.  What does a university student need to do to assure one-self of such an offer?  Let’s look at some of the important things that they can do.

 First, get to know yourself.  What can you do?  What do you like to do? What kind of job do you really want?  Next, find out what skills you might need to do the kind of work that you like.  Make a plan to gain those skills.  By the way, you might want to start this before you get to your third or fourth year of the university.  Put your plan into effect.  Start gaining the skills you have identified.  Don’t wait for some one to tell you what to do, get started on your own.  Ask those who have information about the skills for help.  Follow their advise.

 Also start looking at companies where you would like to work.  Find out what skills those companies need in their employees.  Add those skills to your plan.  The sooner you start your search, the more effective you can be in preparing for finding the job you want.

 You are the only one who can make you get ready.  Lots of other people can help, but in the final analysis, you have the responsibility.  Don’t let yourself become one of those who can’t get a job.  Be successful.  You can do it!

2010年10月27日 (水)

ポスティング制度の適用から考える日本の野球界 ― 石坂 友司講師

 今秋、プロ野球のペナント以上にメディアを賑わせている大きな問題がある。2人の一流投手によるMLB(アメリカ・メジャー・リーグ)へのポスティング移籍問題である。

 ポスティングの主役は日本ハムのダルビッシュ(以下選手の敬称略)と東北楽天の岩隈。ともにチームの大エースである。松坂の移籍以来おなじみになったポスティングについて、ここで簡単におさらいしておこう。

 ポスティング(システム)とは、海外FA権(フリー・エージェント)を取得していないNPB(日本野球機構:日本のプロ野球)の所属選手が、球団の同意を得てMLBへと移籍することができる制度で、1998年に制定された。MLBの獲得希望球団は入札を行い、最高金額を提示したチームに移籍が認められる。仮に移籍が認められた場合、入札金はその選手の保有権を有するチームに全額支払われる。最高入札額のチームにのみ交渉権が与えられるため、日本選手が移籍先を自由に選べないという問題や、入札額・チームをみて、日本球団が(選手の意志にかかわらず)移籍を一方的に拒否することができるという決まりもあり、重大な問題をはらんでいる制度といえる。

 ところで、現在の日本プロ球界はドラフト制度1) を採用しているため、必ずしも選手が希望した球団に指名され・入団できるとは限らない。希望しない球団に指名された選手が契約回避や大学進学などを選択するリスクを減らすため、一定期間プレイすれば、選手の希望球団に移籍が可能となる制度としてFA制度が採用されている。このFA制度は国内・海外に大別することができる。

 国内FAは145日以上の1軍登録が8シーズンで成立し、FA選手の獲得を希望する球団と選手が契約交渉し、合意に達すればその球団に移籍が認められる。獲得球団(移籍先)はその選手の保有権を有する球団(移籍元)に金銭および人的補償をすることが決められている。この場合の金銭的補償とは、年俸ランク2) に応じて決まっており、Aランクの選手は年俸の80%、Bランクは60%のFA補償金(Cランクはなし)を、また、他の選手による人的補償を求めることもでき、その場合Aランクの選手は年俸の50%、Bランクは40%のFA補償金(Cランクはなし)+選手を移籍先の球団は用意することになっている。

 一方、海外FAは145日以上の1軍登録が9シーズンに到達することとされており、国内FAよりも1シーズン余計に日数を要する。この場合、移籍先球団(MLB)に移籍補償制度は適用されないため、日本球団は1円も獲得することはできない。ただし、ポスティングと違い選手は希望する球団を自由に選択することができる。

 ポスティングによる移籍が注目を集めてきたのは、海外FAによるMLBへの選手移籍が現実味を帯びてきたことによる。それまで日本の選手はMLBで通用するとはあまり考えられておらず、移籍の制度的整備も十分にされてはいなかった。また、シーズンオフに行われる日米野球などではMLBのパワー野球に圧倒される試合展開が多かった。それを一変させたのが野茂をはじめとする日本人投手の活躍である。

 野茂は1994年まで近鉄(現オリックス)で活躍していたが、独特のトルネード投法と調整法、フロントとの確執などからMLB挑戦を決意し、任意引退選手(近鉄の保留権を残したままでの引退扱い、現在この方式では3年間海外には移籍できない)としてアメリカに渡った。野茂はドジャースとのマイナー契約(年俸は近鉄の1億4000万円→10.9万ドル:以下年俸は推定)からスタートしたものの、メジャーに昇格し、13勝をあげ新人王に輝いた。その後2008年に引退するまで、123勝をあげ、2回のノーヒット・ノーランを達成している。また、野茂に続くように、日本球界から海を渡った長谷川(金銭トレード)、柏田(野球留学)、吉井(FA)、木田(FA)らは日本人投手の実力を示し、日本人選手がMLBにとって安価な移籍市場であることを知らしめた。

 これによって危機感を強めたのはNPBである。当時のFA制度は国内への移籍に限って、移籍選手の年俸×1.5倍の金銭的補償を定めていたが、海外へのFA移籍はMLBとの協約がないため金銭的補償が得られない(これは現行の制度でも同様)。1998年に初のFA移籍した吉井を例にとると、年俸9200万円に対し、日本の球団に移籍した場合、ヤクルトには9200万円×1.5倍=1億3800万円の補償金が入り、その金額で外国人選手など代替の選手補強が可能になる。ところが、結果としてメッツに移籍されたことで、ヤクルトは1円も獲得することができなかった。選手の海外FA移籍は、日本の球団にとって人気選手を失うだけでなく、その金銭的補償を失うことも意味したのである。一方で、報道によると、吉井の年俸も50万ドル+出来高と大きく目減りしていた。

 そこで考案されたシステムがポスティング制度である。この制度は、FAとは別にMLBへの移籍を金銭的に可能にする制度で、移籍する選手の実力が高ければ高いほど入札金額がつり上がり、移籍元の球団に利益をもたらす。そして、多くの選手の渡米、活躍で日本人選手の評価はうなぎ登りに高まっていった。この制度を利用した初の日本人選手(適用第1号は、1999年、ドミニカ出身の広島・ケサダ選手で移籍金40万ドル)であるイチローは移籍金1312万5000ドルで海を渡った。イチローの活躍については多言を要しないが、2004年にはMLBの最多安打記録を更新し、今年は10年連続200本安打以上という大記録を樹立した。また、WBCでの優勝を果たした日本の野球界は一段と評価を高め、2007年には松坂が5111万1111ドルという破格の入札金でレッドソックスに移籍を果たしている。松坂という大エースを失っても、西武には十分な補強資金がもたらされたのである。

 しかしながら、日本球界にとって多大な利益を生み出すポスティングシステムの適用事例は、実際のところそれほど多いというわけではない。松坂と同じくポスティング移籍した岩村、井川を最後に、2008年以降の主力級選手の海外移籍は全てがFA移籍である(ドラフトを拒否して渡米した田澤の例外などがある)。その理由は、ポスティングの入札球団が現れなかった事例と、FAが成立する満期まで選手に活躍を求め、移籍を認めなかった日本球団の事情による。ポスティングによる移籍は多額の入札金を獲得する可能性がある一方、人気選手の放出による人気低迷という間接的マイナス効果が発生する、いわゆる禁断の果実なのである。

 さて、ここまで制度的な確認をしてきたところで、冒頭の2人の移籍話に戻ろう。同じようにみえる移籍もよくみると事情が異なっていることがわかる。岩隈は今年10年目ながら、ようやく国内FAの資格を獲得し、今季10勝をあげた。海外FAの取得は来年とせまっており、仮に楽天でもう1年プレイした場合、MLBへの移籍はFA適用となり、彼の移籍補償金は球団には入らない。一方のダルビッシュはプロ入り6年目の選手で今季12勝をあげた。海外FAの資格取得までにはあと3年弱が必要といわれる。仮にポスティング移籍する場合、移籍金は7500万ドルという巨額なものになると報道されている。

 先に述べたように、ポスティング移籍には球団の承認が必要とされるため、特に一線級選手の移籍に球団は慎重になり、FA期限ぎりぎりまで許可しないケースがほとんどであった。なぜなら早期に選手を放出すれば、高額な移籍金を得られる可能性は高くなるが、その分チーム力は下がり、ファン層を失うことにもつながりかねないからである。その意味で、岩隈のケースは海外への移籍希望をかなえながら、球団が実をとる最終手段といえるが、ダルビッシュのケースは球団が一時的にうるおうものの、今季4位に低迷したチームの戦力ダウンは避けられず、結果としてかなりのマイナス効果が出ると考えられる。さらにいえば、野球人気の低下という球界全体の損失につながるリスクを負う。

 ちょうど3年前の本ニュース解説で、野球のクライマックス・シリーズ制度(CS)の導入について述べたとき、特にパ・リーグでは優勝をかけて行われるシリーズに、思わぬ熱狂がわき起こっていた。それが現在ではどうであろうか。セ・パともに今年はまれにみる接戦で、セ・リーグでは1ゲーム差に3チーム、パ・リーグでは3ゲーム差に4チームが収まった。また、WBCの2連覇を経験し、野球人気復活の兆しが見られると報道されたのは昨年のことである。しかしながら、盛り上がりを見せるはずの週末(10月16日・17日)、CSの放映はNHKのBSデジタルに限られ、地上波での放映はなかったのである。中日-巨人戦はかろうじて放送されたものの、日本一を決定する日本シリーズの対戦カードが中日vsロッテという全国区では必ずしも人気球団ではない両チームの対戦なだけに、すでに地上波放送が消滅するのではという危惧がなされている。

 かつてのドル箱といわれた巨人戦の年間平均視聴率も、現発表時点で8.4%(関東・8月までの集計、ビデオリサーチ社)と昨年の10.0%を大きく割っている。野球放映が大きく減少する中、横浜ベイスターズの身売り問題が浮上したことは偶然ではない。ベイスターズを所有していたのはTBS、いわゆるメディア企業である。このことはメディアにとってプロ野球がもはや良質なコンテンツではないということを示している。

 選手の海外移籍希望をかなえるという建前を掲げながらも、実際には移籍金の損得勘定を気にする球団の本音。岩隈には応札額(一定以下の入札金では移籍に応じない)が設定されている。一方、ダルビッシュの移籍は批判が強かったせいか、ここにきて本人が撤回の意志をブログで掲げている。情勢を見守る必要はあるが、有名選手の流出を意味する彼のポスティング移籍を日本ハムが認めたとき、日本球界の衰退はさらに加速するだろう。

 1)現行のドラフト制度:プロ志望届を提出した高校生と大学生、すべての社会人選手が対象となる。1巡目は「入札抽選方式」をとり、12球団が一斉に獲得希望選手を指名し、重複した場合はくじによって交渉獲得球団を決定する。くじに外れた球団は再び選手を指名し、重複した場合は再びくじを引く。このようにして12球団の指名が決まるまで繰り返す。2巡目以降は「折り返しウェーバー方式」をとり、下位球団(今年は横浜→東北楽天・・・の順)が優先して交渉権を獲得する。3巡目は逆に上位球団(今年は福岡ソフトバンク→中日・・・の順)から指名し、これを繰り返して120名まで指名を続けることができる。今年のドラフトは10月28日に開催される。「ハンカチ王子」として甲子園をわかせた斎藤佑樹投手などが目玉。ちなみに本学からは2選手が候補となる。

 2)FA補償金の年俸ランク:移籍元の球団における日本人選手の年俸順位が、3位に入る選手はAランク、4~10位までがBランク、それ以下がCランクと決められている。

2010年10月 6日 (水)

国際地学オリンピック ― 瀧上 豊教授

 国際地学オリンピックとは高校生のための科学オリンピックの1つで今年のインドネシア大会が第4回目の開催である。第1回の2007年は韓国、第2回の2008年はフィリピン、昨年の第3回の2009年は台湾で開催され、日本の高校生は第2回のフィリピン大会から参加している。私は、第1回韓国大会の視察から参加しており、第2回大会からは高校生を選抜するための日本国内予選の開催と国際大会派遣のための組織(NPO法人地学オリンピック日本委員会http://jeso.jp/ )を運営して、毎年、全国から選抜された4名の高校生を国際大会に引率している。

 今年9月に行なわれたインドネシア大会では17カ国63名の高校生が世界から集まり、日本全国の約700名から選抜された高校生は、1名が日本で初めての金メダルを受賞し残りの3名も銀メダルを受賞するというすばらしい成績であり、多くの新聞やテレビで報道されました。

 この国際地学オリンピックに参加してみて感じたことを3つ述べてみたい。

1) 世界各地では、環境問題に絡めて地球を知る学問である地球科学への関心が高まっている。しかし、日本では大学受験で地学がほとんど使われないことから、高校で地学を開設している学校が極端に少なくなっている。そのため、地学を履修する学生も少なく、日本のほとんどの若者は環境問題を表面だけしか見ることができず、本質的に考えることができない状態である。すなわち、我々にとって現在必要と思われる学問の内容と日本の教育課程が乖離している。

2) 国際地学オリンピックでは国際協力野外調査という、メダルと関係ないイベントがある。これは、各国バラバラの高校生が6-7名でグループをつくり、地学の野外調査(今年は鍾乳洞)をして、その結果を半日程度でパワーポイントにまとめ上げ、英語でプレゼンテーションを行なうものです。そこには真の国際協力が存在する。日本の高校生は、将来、全員地球科学関係に進学するわけではなく、弁護士や医学部志望の生徒もいます。将来いろいろな方面に進む日本の高校生が、このような国際協力を肌で感じる重要性を実感します。

3)  国際地学オリンピックに参加する日本の生徒は、全国でも優秀な高校からの選ばれることが多いですが、いままで、全員英語で苦労しています。参加国は英語が母国語でない国が多く、高校生の英語は決して上手とはいえませんが、英語をツールとして使いこなしています。ここにも、日本の英語教育の貧弱さを感じます。

 このように、ここ4年間、国際地学オリンピックに参加してみて、学ぶことがたくさんありました。来年2011年はイタリア大会です。すでに一次予選の募集が開始されています。お知り合いに高校生がいらっしゃいましたら、是非、応募することをお勧めします。
また、2012年には日本のつくば市で第6回国際大会を開催します。日本としては是非成功させたいと思っております。

2010年7月 7日 (水)

1168年前の「犬矢」 ― 磐下 徹講師

 今回は1168年前の7月7日(旧暦)のニュース解説をします。

 『続日本後紀』承和9年(842)7月7日条には次のようにあります。
 

「夜中、犬矢於御在所版位之上。(夜中、犬、御在所の版位の上に矢す。)」

 「御在所」とは当時の仁明天皇が居住していた御殿である清涼殿のこと。「版位」とは、その御殿の前庭で儀式などが行われる際、参加した貴族や役人たちの立ち位置を示すために地面に置かれた目印のことです。
 

 では「矢」とは何でしょうか?「矢」といっても「弓矢」の「矢」ではありません。
 

 この「矢」は「糞」を意味しています。ですから「犬矢」とは「犬の糞」のことです。したがってこの日の記事は「夜中に、犬が天皇の居住する清涼殿の庭で糞をした」という意味になります。今から1168年前の7月7日は、「犬の糞」により歴史上に記録されたということになります。
 
 ところでこの『続日本後紀』とは、天長10年(833)~嘉祥3年(850)までの日本の歴史をまとめた書物で、国家の命令で編纂されたものです(貞観11年(869)成立)。このような歴史書は奈良・平安時代を通じて6つ編纂され、「六国史」と総称されています。『続日本後紀』はその第4番目に位置するものです。
 

 ですから『続日本後紀』のこの記事は、国家の公的記録ということになります。「犬の糞」が公的記録に残されるということは、現在の私たちからすれば違和感のあるところです。しかし、何らかの理由があったからこそ、この「犬の糞」事件は記録に残されたのです。いったいどのような理由があったのでしょうか?

 平安時代の人々にとって、「犬矢」は「怪異」と認識され、良くないことの起こる前兆だと考えられました。例えば承平2年(932)7月5日には、「紫宸殿(重要な政務や儀式が執り行われた施設)の版位に「犬矢」が残されていた。そこで陰陽寮に占いをさせたところ、「兵革」(戦乱)に注意すべきであるという結果が出た」と記録されています(『小右記』長元3年9月16日条所引)。このように「犬矢」が残されていれば、それは良くないことが起こる前兆(この場合は戦乱)であり、それが何の前兆なのかを特定し、為政者たちは対策を講じなければならないのです(ちなみにこの3年後に、関東では平将門の乱が、西日本では藤原純友の乱が起こっています)。
 

 「犬矢」の示す前兆を特定する際には、安倍晴明で一躍有名となった陰陽師たちが活躍しました。先に出てきた陰陽寮は、陰陽頭を筆頭に陰陽師など陰陽道の専門家から構成される中央官庁です。彼ら陰陽道の専門家たち(彼らはいわば官僚です)によって占いが行われ、「犬矢」などの「怪異」が意味するところが特定されたのです。
したがって今風に表現すれば、「犬の糞」をきっかけに中央官庁に調査が命じられ、その「犬の糞」に関する調査結果をもとに、閣僚たちが閣議の場で対策を議論した、ということになるでしょうか。
 
 ですから、承和9年の場合も、天皇の御殿(清涼殿)という国家の中枢空間に残されていた「犬の糞」の持つ意味が、真剣に検討されたと考えられます。
 今の私たちからすれば、馬鹿げたことに思えます。しかし、当時の人々からすれば、とても重大な事件だったのです。だからこそ『続日本後紀』という国家の公的記録にも、この承和9年の「犬の糞」事件は記録されたと考えることができます。

 ところが、この「犬の糞」事件は、そう単純でもないようです。

 「犬矢」のような「怪異」は、良くないことの前兆だと考えられました。そのような視点で『続日本後紀』の続きを読んでいくと、注目される記事に行き当たります。それは承和9年7月17日条、「犬の糞」事件から10日後の記事です。

 この日、伴健岑と橘逸勢の謀反が発覚します。彼らが当時皇太子であった恒貞親王とともに東国(美濃国(現在の岐阜県)以東の地域)に入り、現朝廷に対し反乱を起こそうとしているというのです。この二人を中心とした関係者たちは身柄を拘束され、平安京には厳戒態勢が敷かれました。さらには、京に至る主要交通路も封鎖されました。これは事件関係者の逃亡を防ぐためです。

 この事件の結果、皇太子恒貞親王は廃され、かわって道康親王が皇太子となります。のちの文徳天皇です。これが「承和の変」と呼ばれる平安時代を代表する政治事件です。
この変の評価については意見の分かれるところですが、結果的に皇太子となった道康親王は、当時政界で勢力を伸ばしつつあった藤原良房の妹の子で、この良房がいわゆる摂関政治を創始し、藤原氏全盛期への道を切り開いた人であることを考えれば、この事件が後の歴史に大きな影響を与えていることは間違いないでしょう。
「犬の糞」事件の10日後に、このような大事件が起こっているのです。

 もちろん、本当に7月7日に「犬矢」が清涼殿の庭に残されており、それが見事に変を予兆していたと単純に考えることもできるでしょう。確かに「犬矢」の「怪異」は、現在の私たちには想像できないほど平安時代の人々に深刻に受け止められていました。とはいえ承和の変の10日前に都合よく「犬矢」の「怪異」記事が載せられているのには何らかの作為が感じられます。

 そこで注目されるのが『続日本後紀』の編者の一人である春澄善縄という人です。

 善縄は陰陽道に高い関心を寄せた人でした。そして陰陽道は、「犬矢」など「怪異」と深くかかわる思想です。すると、『続日本後紀』の編纂に際し、承和の変の10日前に慎重にも「犬矢」の「怪異」の記事を配したのは、誰あろう春澄善縄だったのではないでしょうか。
「犬の糞」事件が全くのフィクションだったとはいいきれないでしょう。しかし清涼殿の庭に「犬矢」が残されていたという「怪異」が重視され、『続日本後紀』の記事として残された背景には、その10日後に起こった承和の変を前提とした善縄の意向が働いていたのではないでしょうか。

 しかもこの善縄は、承和の変で廃された皇太子恒貞親王の家庭教師(東宮学士)を務めていたため、事件後に処罰を受けています。善縄が「犬の糞」に込めた思いは、かなり複雑なものだったのではないでしょうか。

 今から1168年前の7月7日は、平安宮の清涼殿で、政治臭をプンプン漂わせた「犬矢」が発見された日だったのです。

 犬の糞にも歴史あり。

2010年5月27日 (木)

欧州チャンピオンズリーグFINAL ― 山口 重信講師

 サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(CL)は22日、決勝を行い、インテル(イタリア)がバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に2―0で勝利し、45年ぶりの欧州制覇を果たした。インテルは国内リーグ(セリエA)・イタリア杯を制覇し、バイエルンも国内リーグ(ブンデスリーガ)・ドイツ杯を今年度制覇した。共に3冠がかかった大一番であったがインテルがセリエAクラブ史上初の3冠を達成した。

 インテルを率いるモウリーニョ監督は、バイエルンのファンハール監督がバルセロナ(スペイン)を率いた1997年から2000年までアシスタントコーチとして同じベンチに座った。いわゆる「師弟対決」であること。決勝が行われたスペインのマドリードにあるサンティアゴ・ベルナベウスタジアムはリーガ・エスパニョーラに所属するレアル・マドリードの本拠地であり、現在インテルの背番号10スナイデル、バイエルンの背番号10ロッベンが昨シーズンまでプレーしていた場所であり、戦術・勝敗以外にも決勝がこのような対戦になったことに興味深さと人間模様を感じる。

 スナイデル(インテル)、ロッペン(バイエルン)の2人はともにオランダ代表選手。そう来月から始まるワールドカップで日本(SAMURAI BLUE)は予選リーグでオランダと対決するのだ。マスメディアからは日本代表の闘いに対し、連日さまざま報道されているが、結果は後からついてくるもの。日本代表が今まで積み重ねてきたものを信じ応援したい。 「人間万事塞翁が馬」、まったく禍福というのは予測できないものである。

2010年5月20日 (木)

見せたい番組・見せたくない番組・見てもらいたい番組 ― 田島 祥講師

 5月14日に、日本PTA全国協議会が「子どもとメディアに関する意識調査」の結果を発表しました。小学5年生、中学2年生及びその保護者に対して実施されたこの調査では、「子どもに見せたくない番組」の結果がメディアに取り上げられる項目として有名です。上位に入る番組は毎年ほとんど変化はなく、「内容がばかばかしい」「言葉が乱暴である」といった理由から保護者に敬遠されていることがわかります。

 メディアに取り上げられるのは「子どもに見せたくない番組」が多いですが、この調査では「子どもに見せたい番組」についても質問されています。平成21年度は「世界一受けたい授業(小・中学生)」「Qさま!! (小・中学生)」「ダーウィンが来た!(小学生)」「天才!志村どうぶつ園(小学生)」「週間こどもニュース(小学生)」「プロフェッショナル 仕事流儀(中学生)」「JIN-仁-(中学生)」が上位に挙がっていました。「知識が豊富になる、学習の助けになる」「役に立つ」「面白い」「家族だんらんの時間が持てる」等が、保護者から好まれる理由のようです。特に前者2つは、“番組からの学び”を期待しているのだと考えることができます。

 テレビ番組の影響については、一般に悪影響が懸念されることが多いですが、テレビ視聴がもたらす良い影響についても研究が進められています。これまでに分かっている知見として、①全般的なテレビ視聴は、子どもの知能や学力、創造性や想像力を低めることが示唆されているものの、その影響は番組の内容によって異なること、②暴力的な番組の視聴が多いほど、子どもの学力や創造性が低くなること、③教育番組は子どもの認知能力を高める効果があること、などが挙げられます。これらの研究は子どもを対象にしたものであるため、大学生や成人への影響とは異なる可能性があることや、欧米の研究が中心で、日本の番組を対象とした研究は少ないことなどをふまえておく必要がありますが、教育的な番組は、視聴者に良い影響をもたらす可能性があると考えることができます。

 教育的な番組としては、NHKによる教育番組が真っ先に頭に浮かびますが、最近では民放局によるバラエティ番組でも、知的な内容を豊富に含んだ番組が多くみられます。楽しみながら様々な知識を得ることができる番組が多く提供されていることは、“番組からの学び”という保護者の期待に応える上でも、とても良い流れだといえます。

 最後になりますが、民放連が発表している「青少年に見てもらいたい番組」をご存知でしょうか。毎年春と秋の2回、「青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組を各放送事業者は少なくとも週3時間放送する」という民放連の取り組みに基づいて、各放送局が指定した番組の一覧です。上述の「子どもに見せたくない番組」「子どもに見せたい番組」に比べて、ほとんどメディアには取り上げられていませんが、つい先日2010年春の番組が発表されました(民放連のHP参照)。推奨する理由も添えられていますので、保護者の考える「子どもに見せたい番組」と比べてみるのも面白いかもしれません。

2010年5月 6日 (木)

日本語能力試験の改訂について思うこと ― 小池 康講師

 みなさんは「日本語能力試験」というものを知っていますか。おそらく留学生の読者の方なら聞いたことがあると思います。中には、受験したことがあったり、1級や2級の認定を受けた人もいるのではないでしょうか。
 日本語能力試験は、日本語を母語としない人を対象に、公的に日本語能力を測定し、認定することを目的として、1984年より毎年一回実施されてきました(ただし、2009年は1、2級のみ二回実施)。単に日本国内だけではなく、海外の49の国や地域でも実施され、全世界で50万人以上が受験しました(2007年度)。
 試験には1級から4級までの四つのレベルがあり、受験者は自分の必要とするレベルの試験を受けます。各レベルとも「文字・語彙」「聴解」「読解・文法」といった三種類の内容から構成され、総合得点で一定の得点以上ならば、その級(レベル)の日本語能力があると認定されます。

 さて、このように四半世紀にわたって行なわれてきた日本語能力試験ですが、今年2010年より、レベル的にも内容的にも新しい形となって生まれ変わります。
 まずレベル的には、認定される級の数がこれまでの四つから五つになります。新しく設定された級はそれまでの2級と3級の間のレベルに相当するもので、これまでの試験では3級までは比較的簡単に取得できたが、2級になるとなかなか取得できなかったという事情を踏まえたもののようです。3級から2級に上がれず、日本語への学習意欲が減退してしまった人も多かったようですが、今回の改定には、そのような人を減らし、学習意欲を維持させる目的もあると思います。
 内容的な変化としては、実際に「使える」日本語の能力を測ろうとしていることです。これまでは、1級を持っている外国人でも日本人とのコミュニケーションに難点がある人もいました。つまり、日本語の知識はあるけれども、場面や状況の違いに応じた適切な表現の選択ができない人が多かったということです。今回の改定によって、日本語の知識と共に日本語を適切に使える力(「運用能力」と言います)の両方をレベルアップさせるような日本語教育がより進んでいくものと思われます。

 さて、ここでふと気になったことがあります。確かに日本語を学ぶ外国人に日本語の知識とその適切な使い方を教えることはとても重要です。では、逆に今の日本人にどれだけ日本語の知識と適切な運用能力があるでしょうか。みなさんは、どんな相手に対しても相手に配慮した日本語を使える自信はありますか。また、場面や状況に応じて日本語を使い分ける自信はありますか。日本で生まれ、日本で育ち、日常生活で日本語を使っているからと言って、日本語が適切に使えているかと改めて聞かれるといささか自信がなくなるのではないでしょうか。
 このたびの日本語能力試験の改定は、我々にとっても日本人が見失いかけているものを再確認・再認識するきっかけにもなりうるものだと思います。ですから、みなさん、この日本語能力試験の試験問題を見る機会があったら、ぜひやってみて下さい。そして、自分の日本語がどのくらいのレベルなのかを確認してみて下さい。
 意外と、外国人に近い日本人になってしまうかもしれませんね...。

2010年1月20日 (水)

事業仕分けとスポーツ・大学体育

天野勝弘 准教授

 はじめに:前半部分は飛ばしても構いません。後半部分を述べる理由作り部分ですので。その意味で、タイトルもややこじつけです。

 昨年行われた政府の事業仕分けで、スポーツ関連について話題を呼んだのは、仕分け人から「五輪は参加することに意義があるのではないか」「ボブスレーなどマイナーな冬季競技を支援する必要があるのか」などというマイナースポーツ切り捨て論が出たことである。これらを理由として、結局32億円あまりの日本オリンピック委員会への補助金が削減された。これに対して、マイナースポーツ関係者からは一斉に批判の声が上がった。とりわけ、北京五輪のフェンシング競技で銀メダルを獲得した太田雄貴は、「強化と普及」、「マイナースポーツの現状」という観点から異論を唱えた。

 スポーツの経済性は、近代化の過程の中で、スポーツの有する勝・敗という2次元コードが商業化され、それをとりまくスポーツ経済社会ができあがったことを考えれば、なりたつ議論である(競技スポーツ)。かつて、女子プロゴルファーの上田桃子が、テレビ番組で「先のないスポーツ」発言をして物議を醸したことがある。彼女がゴルフを始めた動機は、ゴルフでお金を稼ぐことにあった(障害のある姉がいるためと説明)。その意味で、プロとよべる世界がない、あるいはあったとしても十分でない「先のないスポーツ」を、友達が一生懸命していることがわからなかったというのである。当然のことながら、名指しされたスポーツ団体を始め様々なところから批判が寄せられた。その後上田は「私にとっての先のないスポーツ」という意味であると釈明するとともに、彼女の発言で傷ついた方々にお詫びするとの謝罪コメントを発表している。

しかしながら、そもそもスポーツは、本来的意味では遊技であり(レクレーショナル・スポーツ)、経済的効率性とはなじまないものである。音楽や他の芸術と同じように、生きていきためには不可欠かと問われれば、NOと言わざるを得ない。大学で行われているクラブ活動も、社会の注目を集めている一部のスポーツを除けば、レクレーショナル・スポーツである。大学時代にかなりの成績を残したとしても、卒業後にその競技で食べていかれる人はほんの一握りである。生きることすら不安な経済情勢にあっては、そうした遊びは切り捨てられる方向にある。そこで、そんなことを大学時代に真剣にやる意味があるのかという意見は多い。そもそも、教育(大学)も経済性とは縁遠いところにあるが、今日では大学にも求められている。これまで、あまりにも効率と言うことを考えてこなかった“つけ”が回ってきているということは認めるが、事業仕分けに代表されるような、経済効率性一辺倒の考えはとても容認でるものではない。

 ひとりの女子学生が私のところに質問にきた。その授業では、期末にレポートを提出させている。課題は「自分のためのトレーニング・メニューを作る」というものである。まず、トレーニングの目的をはっきりさせ、その目的実現のための具体的内容と根拠を示さなければならない。

彼女が作ろうとしているメニューは(水)泳力を養うもので、フィン(足ヒレ)をつけて300mの距離を目標タイム以内で泳ぐためのものであった。現在、彼女は、後半バテてしまうことが原因で、そのタイムをクリアできないという。では、なぜそのような泳力が必要なのか、それはスキューバ・ダイバーの初級の資格を取得するためである。ではなぜその資格なのか。

彼女は小さい頃から(たぶん小学生)、両親に連れられて、毎年沖縄の離島に遊びに行っていたそうだ。そこで目にし、知ったことは、きれいなサンゴ礁が年々失われていく光景であった。今、彼女はサンゴ礁を守ろうと考えている。そうした仕事(まだ具体的ではないようだが)に就きたいと考えている。

サンゴ礁消滅の危機は、人間の出す生活排水だったり、開発による海への土砂の流入だったりする。人間が生きていく、生活していく上では仕方ない部分もある。彼女もこのことを認めている。しかし、両者の折り合いをつける線や方法が必ずあると信じている。また、それを見つけたいと願っている。

彼女がその仕事に就くためには、サンゴを直接調査できなければならない(と彼女は考えている)。そこで、先のスキューバ・ダイバー初級の資格を今(1年生で)とりたいのだという。

人間とサンゴとの折り合いをつけるということは、経済的効率性という視点も含まれるだろう。しかし、彼女が抱いた夢は、そんなところからは生まれていない。

彼女は、子どもの頃に出会ったかけがえのないものを守りたいという夢を抱いて、その実現に向けて、今できることをしている。

事業仕分けや経済的効率性からは決して生まれない、このような行動があるということを、いつまでも忘れないでいたい。

2010年1月14日 (木)

普天間基地移設問題と八ツ場ダム問題――NIMBYが問いかけるもの

経済学部 松林 秀樹 講師

 普天間基地の移設問題と八ツ場ダムの問題。

 一見すると、昨年の後半から話題になっているということ、および民主党政権の今後の対応に注目されるということ以外に、特に共通点はない問題のように思えるかもしれない。しかし、この2つの問題には、共通して考えるべきテーマが隠されている。

 まずは、それぞれの経緯を簡単に見ておこう。

 普天間基地は、太平洋戦争における沖縄戦のさなかに、アメリカ軍によって占領された現在の宜野湾市に飛行場が建設されたことに端を発する。その飛行場は終戦後も維持され、1950年代以降、アメリカ陸軍(現在は海兵隊)の基地として整備されていった。その後、1995年にアメリカ兵が日本人女性に対する暴行事件を起こし、沖縄全体で基地反対・返還運動が起こったこと、および2004年に普天間基地のヘリコプターが近隣に墜落する事故があったことなどをきっかけとして、辺野古崎沿岸部への移設が日米間で合意された。しかし現在の民主党政権は、日米合意の再検討を示唆し、今年の5月まで結論は先送りされたままになっている。

 八ツ場ダムは、1947年のカスリーン台風による大きな被害を教訓として、利根川の上流にダムを築いて下流域の洪水被害の軽減を図るために1949年に計画されたダムである。計画当初はそうした治水面のほか、人口の増加が予想される首都圏の水源(利水)としての役割も期待された。その後、支流から強酸性の水が流れ込んでいることから計画は一時中断されたが、水質改善策が功を奏したことにより、1967年に現在の場所にダムを作る計画が決定された。その直後から水没する地域を中心としたダム建設反対運動が起こり、行政と住民の対立が続いていたが、その転機となったのが、1973年に制定された「水源地域対策特別措置法」および1980年に行政より提出された「生活再建計画」であった。これらに基づき、行政と地元住民の話し合いが行われ、1992年に「八ツ場ダム建設事業に係る基本協定書」および「用地補償調査に関する協定書」が締結されたことにより、ダム建設が前進することになった。しかし、近年の公共事業の見直し論や、昨年夏の衆議院選挙によって政権党となった民主党がマニフェストのなかで八ツ場ダム建設中止をうたっていたことから、予算規模も含めてダム建設の是非が問われるようになっている。

 この2つの「問題」から、はたして何が見えてくるのか。

 ここで、サブタイトルに挙げた“NIMBY”という概念が登場してくる。NIMBYとは“Not In My Back Yard”という言葉の頭文字をとったもので、直訳すれば「裏庭はやめてくれ」ということになる。その意味するところは「(基地やダムなどの)施設が必要で、どこかになければならない、というのは分かる。でも、作るとしても自分のところはやめてくれ」という考え方である。

NIMBYという概念は、原子力発電所、産業廃棄物の処理場、火葬場など、一般的には「迷惑施設」と呼ばれるものが建設されようとする場合に登場してくる。上記の通り、そういった施設がなければいろいろと問題が発生することは分かるが、だからといって何も自分のところでなくてもいいだろう、という考え方のことだ。一般的にはダムを迷惑施設に分類することはないが、「なぜ他の地域の生活・産業のために自分のところが水没しなければならない?」という疑問は、NIMBYとして分類することができるだろう。こうした考え方は、「総論賛成、各論反対」という言葉でも表現される。

アメリカ軍の基地は、(良いか悪いか、およびその存廃をめぐる議論はひとまずおいて)戦後日本の安全保障体制を支えてきたものであり、(現状では)どこかになければならない。ダムにしても、電力供給という側面も含めて、まったくいらないというものではない。つまり、どこかで誰かが不利益を被る必要が出てくるのである。

実は、こうした状況はこの2つの事例に限った話ではない。極端にいえば、戦後日本のありとあらゆる地域で起こり、戦後日本の政治・政策・公共事業の「問題」を通底している。以前は、NIMBYのような考え方は「地域エゴ」といわれることもあった。つまり、迷惑施設の建設反対運動をしている地域住民に対して、「それ(施設)がなかったら、多くの人が困ることが分かるのに反対するのか?」という目で(他の地域から)見られることがあった。

しかし、政治・政策・公共事業というものはすべての人に「幸福」をもたらすために行われている、という理念的な前提に立てば、「多数の幸福のために少数を犠牲する」ことは許されることではないだろう。はたして、こうした政治・政策・公共事業の問題は、どうすれば「最善」の策を見出すことができるのか。どうすれば不幸な人を生み出さずに「社会の要求」を満たすことができるのか。

もちろん、基地やダムというのはどこにでもあるものではない。迷惑施設にしても、頻繁に建設されるものではないし、さほどの数を必要とするものでもない。普天間基地や八ツ場ダムの問題は、多くの人にとって無関係・無関心なものとなっているだろう。しかし、その現場にいる人にとっては“My Back Yard”に現れた、抜き差しならない問題となっている。そして、現在は無関係・無関心である人でも、ある日突然、同じような状況に置かれる可能性は十分にある。

普天間基地と八ツ場ダム。この2つが提起する「古くて新しい問題」を、ぜひとも多くの人に考えてもらいたいと思う。

2009年11月 4日 (水)

携帯型音楽プレーヤーの「危うさ」

                  経済学部教授 高瀬 博

 欧州連合(EU)の執行機関、欧州委員会は、928日、米アップル社の「iPod」などの携帯型音楽プレーヤーに音量制限を設けると発表した。各メーカーは、製品の最大音量を80デシベル以下に抑えるよう義務付けられる。2年以内に技術水準を定め、それ以降発売される新製品に適用する。欧州委は、「使用者を聴覚障害から守るため」としている。現状では最大音量は、多くの製品ではロックコンサートに相当する100デシベル以上に設定されており、毎日、1時間、100デシベルで音楽を聴き続けた場合、5年後には完全に聴力を失う危険があるという。【読売新聞】 この記事を読んでから、満員電車の中で、「シャカ♪ シャカ♪」という音楽を漏れ聞くと、不快であるより、心配になる。

 筆者は、違う視点で「携帯型音楽プレーヤー」に「危うさ」を感じている。

ある朝、知人が前を歩いていたので「おはようございます」と声をかけたが応答が無い、案の定、音楽に没頭していたのである。この程度なら罪はないが、私たちの周りには、たくさんの「危険因子」が存在する、交通事故はその代表である。今話題の「ハイブリッドカー」は、その静粛性ゆえに、歩行者に危険であるという理由で、わざわざ「エンジン音」を追加しようということである。人間は「五感」全てを発揮して自己の「身の安全」を図らなければならないということである。

 マナーの面では、「礼」を失することがある。数年前から受講中に、イヤフォンをつけている学生を見かけるようになった。それは「私は、出席をし、ノートはとるが、あなた(教員)の話は聞いていない」という意思表示に他ならない。

就職超氷河期といわれる中、企業は採用にあたり、学生の「コミュニケーション力」「明るさ」などを求めているといわれるが、それ以前に、最低限のマナーを守れる「人間性」を大前提としている。

2009年7月 2日 (木)

「いしかわ子ども総合条例」について思う

水野考 講師


 629日、石川県議会は、小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者が努める規定を全国で初めて盛り込んだ「いしかわ子ども総合条例」改正案を387の賛成多数で可決した。具体的には、次の条文である。第33条の21「保護者は、特に小学校、中学校、中等教育学校(前期課程に限る。)及び特別支援学校(小学部及び中学部に限る)に在学する者には、防災、防犯その他特別な目的のためにする場合を除き、携帯電話端末等を持たせないよう努めることとする。(議会議案第1号)」。20091月に文部科学省は、各県の教育委員会等に向けて携帯電話の取り扱いに関する通知を行っており、石川県の条例は、この通知をより一歩具体に進めたものといえよう。

 一般的に、携帯電話に関わって行われる行政や学校の取り組みは、携帯を介して起こる様々なネット犯罪(例えば1.学校裏サイトの問題に代表されるような、ネットを介したいじめ。2.出会い系サイト等を介して起こる誘拐や性犯罪等)から子どもを守ることである。この目的を達するため、ネットに接続できるキャリアの中で、子どもにとって一番身近にある携帯電話の使用に規制(フィルタリング等)をかける、児童生徒はもとより保護者に対してもネットモラル講習等を行う、といったことが行われている。

 このような取り組みが諸所で行われる中、新たに改正された石川県の条例は、「携帯電話端末等を持たせないように努める。」としたところに特徴があろう。あくまでも努力義務にとどまり、罰則規定はない。かつ、他の条文には、「携帯電話端末等の適切な利用に関する取組の促進に努める」と明記されている。これらのことから、上の一文は、全体的な取り組みの一つであることがわかる。しかし、「持たせない」という一言には、物議をかもすのに充分なインパクトがある。

筆者は、このニュースを読み、次の2点に疑問を持った。第1には、携帯電話を「持たせない」ことは可能であるのかどうか、第2には、「持たせない」ことによって子どもをネット犯罪から守ることができるのか、である。

1について筆者は、可能であると思う。保護者の許可がないと、未成年の者は携帯電話を購入することができないからだ。しかしその場合、子どもを説得するのに骨がおれそうだ。そう考える理由は、以下の3点である。

 まず、すでにある程度の人数が携帯を持っていることである。科学省から20092月に発表された「子どもの携帯電話等の利用に関する調査:調査結果(速報)の概要」によると、小学校6年生の24.7%、中学校2年生の45.9%、高校2年生の95.9%が携帯電話を保有している。小学校では、4人に1人を割り込んでおり、さほど多いとは言えないかもしれない。しかし、以下の場面のようなことは起こりえるだろう。

この場面は、以前、わずかな期間だけ放送されていたSoftBank「ただとも」のCMである。「ただとも」とは、ソフトバンクへの加入者同士だと、1時から21時の間、通話料が無料になるサービスである。

以下は、友達同士で携帯電話を使って連絡をとりあおうとしている場面である。

 

「わたしはいいよ、電話代かかるし」

「ああ、ソフトバンクじゃないんだ・・・」

「・・・っごめん」

【友達は大切に】(テロップ)

この事例は、すでに携帯電話をもっている友達同士の中でのことだが、持っていない者についても同様であろう。友達グループの中で携帯電話を持っている者が多数を占めれば、携帯電話を持っていない少数の者に同調圧力がかかる。この状況の中で、「持たない」でいることは大変難しいだろう。

 次に、最近の若者文化や仲間意識がネットのコンテンツとマッチしていることである。

土井隆義は、著書「友達地獄-空気を読む世代のサバイバル」の中で、最近の若者達の人間関係の特徴を、「きわめて注意深く気をつかいながら、なるべく衝突を避けようと慎重に人間関係を営んでいる」とし、このような関係を「優しい関係」と定義している。この関係の中で若者は、互いに慎重に距離を測りつつ、お互い対立しない範囲で自らのキャラを演出していく。

このような若者文化にあったコンテンツの例として、「Decoo」と「rigureto」をあげたい。「Decoo」は、今思ったことを可愛らしいくデコレーションして投稿でき、リアルタイムで仲間と共有できる。可愛らしさを追求するには、それなりに技術が必要なようだが、基本的にはユーザー登録をすれば誰でも投稿を行うことができる。具体的には、「お腹すいた~。」「暇すぎる~。」「カラオケ楽しい~。」といった呟きレベルの感想を仲間と共有することになる。

また、「rigureto」は、自分の中の「へこみ」を不特定多数の者に相談し、「なぐさめ」をもらうことのできるサイトである。このサイトでは、相談者にも回答者にもIDやハンドルネームがつかない仕様になっているため、誰が相談しているのか、誰が回答しているのかはユーザーにはわからない。具体的には、「最近彼が冷たい」であるとか、「待ちくたびれた」といったような相談が寄せられ、それについてなぐさめが寄せられることになる。

この2つのコンテンツは、土井が述べる若者文化や仲間意識にうまく答えていると思われる。「Decoo」は、仲間が何を感じているのか常に確認することができる絶好のコンテンツであるし、「rigureto」は、キャラ演出のために本音を仲間に語ることのできない若者が、自らのことを全くあかさずに「へこみ」を打ち明けられるコンテンツである。

土井は、若者にとっての携帯電話の役割を、「自らの周囲に張り巡らされた複数の他者からのメッセージを受信し、それらを三角測量することによって仲間うちでの自分の位置を割り出すことを可能にしてくれる」「社会的GPS」であると述べる。若者にとって携帯電話とは、人間関係をより円滑に保つために、なくてはならない道具になっているのであろう。

 最後に、低年齢の者でも容易に参入できるような携帯電話に対応しているコンテンツの登場である。文部科学省が行った同調査の中、「子どものインターネットの利用目的」をみると、主に携帯電話で「自分のプロフを公開する」や「自分のブログを公開する」について小学校、中学校と比べて高校の割合が突出して高い。このことは、自ら情報を発信するためには、それなりの主張や知識が求められている結果であると考えられよう。

 しかしながら、例えば先にあげた「Decoo」や「rigureto」の場合、一般的なブログと異なり、参入するのに必要なのは知識でも主張でも、面白いネタでもない。必要なのは、その時々に感じる気持ちのみである。

 このような、感情共有型ともいえるようなコンテンツの登場により、低年齢の者のネット世界への参入がより容易になることが考えられるだろう。

上記で述べてきたように、1.携帯電話を持っている者による同調圧力、2.ケータイによるネットのコンテンツと若者文化・仲間意識の相性の良さ、3.低年齢の者でも参入できるようなコンテンツの登場、の3つの理由により、筆者は、携帯電話は今後どんどん児童生徒に受け入れられるようになるのではないかと考える。このような状況の中で、児童生徒が携帯電話を「持たない」ことを自主的に選択するのはかなり難しいのではないだろうか。


 続いて第2、「持たせない」ことによって、子どもをネット犯罪から守ることができるのだろうか。この点について筆者は、守ることができないと考える。理由は、先から上げている調査による。「携帯電話やパソコン利用によるトラブル(携帯電話有無別)」からは、携帯電話を持っていなくても児童生徒がネット犯罪の被害にあっている様子がわかる。(本速報では、ネットに接続できる環境があり、携帯電話を持っていないものも、携帯電話無しグループにふくまれている。)

 例えば中学校では、「インターネットの掲示板やメールで悪口を書かれた」割合は、持っている者の6.0%、持っていない者の2.2%である。また、「携帯電話のカメラで撮られた写真が悪用された」割合は、持っている者の0.8%、持っていない者の0.2%である。さらに、「ネットで知り合った人と実際に会った(または会いそうになった)」割合は、持っている者の2.3%、持っていない者の1.0%である。これらのことから、自らが携帯電話を持っている、いないに関わらず、ネット犯罪の被害者になる可能性が十分にあることがわかる。

 以上のことから筆者は、現在では、子どもが携帯電話を持ちたがるのを抑えることはとても難しく、また、それが達成できたとしても、子どもをネット犯罪から守りきれるわけではないと考える。ネットのモラルを教える方がより重要であろう。

また、現在の若者文化を踏まえれば、携帯電話とどう関わって行くのが良いのか、そんな携帯電話との距離感を学ぶことも大切であろう。一般的に心理学の実験結果では、人と人がコミュニケーションを行うとき、言葉以外、例えば顔の表情や話し方等から得ている情報は85%~95%にのぼるといわれている。しかし携帯電話は、その情報の多くを損なうコミュニケーションの手段である。例えば、「今、怒っている!」と書いている人が本当に怒っているかどうかは、文字をみているだけでは判断できない。

携帯電話を介して得られた文字情報について、自分の中でどれほど適切に重みをつけられるのか。一度考えてみるのもよいだろう。

2009年6月24日 (水)

雑感

照山顕人 准教授

昨年末一書を刊行した際、内外の文献を渉猟することに難儀しましたが、今の世の中パソコンのおかげで、少なくとも文献の収集だけでも、僕の学生時代と比べればはるかに、楽になりました。

昨今のコンピューターの発達によって、僕のような機械音痴にも簡単な操作で捜し求めている文献がどこに存在するか、たちどころにわかります。どこかの図書館で所蔵している場合には相互貸借のシステムで、わざわざ遠方の図書館に行かなくても、郵便や宅配によって本学の図書館に届きます。1ページや2ページ程度の資料が必要であればファックスでその部分だけ送ってもらうことができます。古書店のサイトを使えば日本のみならず世界中の古書店の情報がわかり、注文を出すことができます。さらにグーグル・ブックスのサイトを使えば――著作権が切れている文献と思いますが――本1冊が丸々閲覧可能で、おまけにプリントアウトをすることもできるのです。大体僕が探す本といえば、1700-1900年代初期の古い本ですので、このサイトでほとんどが間に合ってしまい、非常に助かりました。

 でも今から30年前の僕が大学生だったころを思い起こすと、隔世の感を禁じえません。ある本を必要として、それが在学している図書館になければ、よその図書館にそれを求めるわけです。これは今と同じです。しかしパソコンはありませんから、機械がどこの図書館にあるか調べてくれることはしません。すべて人力なのです。当時図書館には、日本の大学図書館を横断検索できる蔵書目録(書名は失念しました。現在のNACSIS Webcatの冊子版です。)があり、それによって捜し求める本がどの大学図書館で所有しているかがわかりました。非常に大部なものだったので、調べるのも一苦労でした。かつてイギリスの古い文献が必要となりその目録で探したところ、関東圏では図書館情報大学(現、筑波大学)にしかないことが分かりました。禁帯でしたので、現地まで赴かなければならず、都心から筑波まで電車とバスを乗り継いで往復しました。帰りは夜になってしまいましたが、バスが1時間に1本程度しか運行されておらず、あぜ道の脇のバス停で真っ暗な中40分くらい待った記憶があります。捜していた本も見つかり、コピーも取れたという満足感で帰ってきました。今から思うと2時間も3時間もかけて、わずか数冊の本を探しによく行ったと思います。若かったから学問に対する情熱もあったのでしょうが、当時としてはそのほかの選択肢がなかったわけですから、仕方がなかったのです。みんなが同じ方法で研究に勤しんでいました。

海外の古書店に文献を求めるのも大変でした。僕は自分が探している本をリストアップして、スコットランド中の古本屋に郵送していました。何日か後に古書店から在庫の有無が郵便で返事が来ます。したがって1冊の本を探し出して、手に入れるまでに数ヶ月の期間を要しました。これだけの期間がかかるわけですから、入手したときには注文したことすら忘れているということも何回かありました。また海外の多くの古書店から定期的に古書のカタログが届くのですが、自分のほしい本がたまたま掲載されていると、他人よりも早く注文を出さないと、とられてしまいますから、しょっちゅう国際電報を打っていました。これだと24時間OKですから、電話より好都合でした。したがってファックスを据え付けた時は本当に便利だなと思いました。今では古書店もカタログなどは廃止して、独自のHPを立ち上げ、ネット上で在庫目録を公開しています。

 現地の図書館にもずいぶんと手紙で問い合わせをしました。先年エディンバラ市立中央図書館を訪れた時、僕がその昔送った手紙の束が残っていました。図書館ではどのような問い合わせがあり、それに対してどのような回答をしたか、記録として残しておくのだそうです。

今、論文を書く時などにはさまざまな文献をパソコンで調べますが、そんなとき学生時代のことが懐かしく思い出されます。しかしよくよく考えれば、僕の学生時代よりももっと昔の人はもっと苦労をして本を読んでいたはずなのです。

数週間前に図書館で岡本綺堂の随筆集を見つけました。綺堂(18721939)は明治中期に2代目市川左団次と組んで新歌舞伎の劇作家として活躍した人です。また小説家としても名を馳せた人でした。代表作は戯曲で「修禅寺物語」、小説では「半七捕物帳」があります。

その随筆集の中に「読書雑感」という筆海があり、綺堂が最も多くの本を読んだという明治20年代の読書事情が書かれています。当時の人々は、現代のわれわれに想像もつかないような苦労をして本を読んだ逸話が紹介されています。当時の読書事情を知るよすがとして、極めて興味深いので皆さんにご披露します。

それに付けても、わたしたちの若い時代に比べると、当世の若い人たちは確に恵まれていると思う。わたしは明治五年の生れで、十七、八歳即ち明治二十一、二年頃から、三十歳前後即ち明治三十四、五年頃までが、最も多くの書を読んだ時代であったが、その頃には勿論廉価版などというものはない。第一に古書の翻刻が甚だ少い。

したがって、古書を読もうとするには江戸時代の原本を尋ねなければならない。その原本は少い上に、価も廉(やす)くない。わたしは神田の三久(三河屋久兵衛)、という古本屋へしばしばひやかしに行ったが、貧乏書生の悲しさ、読みたい本を見付けても容易に買うことが出来ないのであった。金さえあれば、おれも学者になれるのだと思ったが、それがどうにもならなかった。

わたしにかぎらず、原本は容易に獲られず、その価もまた廉くない関係から、その時代には書物の借覧ということが行われた。蔵書家に就てその蔵書を借り出して来るのである。ところが、蔵書家には門外不出を標榜している人が多く、自宅へ来て読むというならば読ませて遣(や)るが、貸出しは一切断るというのである。そうなると、その家を訪問して読ませてもらうのほかはない。

日曜日のほかに余暇のないわたしは、それからそれへと紹介を求めて諸家を訪問することになったが、それが随分難儀な仕事であった。由来、蔵書家というような人たちは、東京のまん中にあまり多く住んでいない。大抵は場末の不便なところに住んでいる。電車の便などのない時代に、本郷小石川や本所深川辺まで尋ねて行くことになると、その往復だけでも相当の時間を費してしまうので、肝腎の読書の時間が案外に少いことになるには頗(すこぶる)る困った。

なにしろ馴染(なじみ)の浅い家へ行って、悠々と坐り込んで書物を読んでいるのは心苦しいことである。蔵書家といっても、広い家に住んでいるとは限らないから、時には玄関の二畳ぐらいの処に坐って読まされる。時にはまた、立派な座敷へ通されて恐縮することもある。腰弁当で出かけても、碌々(ろくろく)に茶も飲ませてくれない家がある。そうかと思うと、茶や菓子を出して、おまけに鰻飯などを喰わせてくれる家がある。その待遇は千差万別で、冷遇はいささか不平であるが、優待もあまりに気の毒でたびたび出かけるのを遠慮するようにもなる。冷遇も困るが、優待も困る。そこの加減がどうもむずかしいのであった。

そのあいだには、上野の図書館へも通ったが、やはり特別の書物を読もうとすると、蔵書家をたずねる必要が生ずるので、わたしは前にいうような冷遇と優待を受けながら、根よく方々をたずね廻った。ただ読んでいるばかりでは済まない。時には抜き書きをすることもある。万年筆などのない時代であるから、矢立(やたて)と罫紙を持参で出かける。そうした思い出のある抜き書き類も、先年の震災でみな灰となってしまった。(千葉俊二編『岡本綺堂随筆集』岩波書店、2007pp. 225-227初出は1933年)

 軽妙な筆致で綺堂は書いていますが、ご当人なかなかの辛酸を嘗められたことは想像に難くありません。綺堂は「金さえあれば、おれも学者になれるのだと思ったが、それがどうにもならなかった。」と書いています。当時は本ひとつ読むのも大きなお金が必要で、もちろん時間も必要だったことがうかがえます。

綺堂が、今の時代にパソコンの前に座り、東西古今の書籍をいながらにして閲覧し、ワープロという最新の矢立を使っている姿を想像するのは楽しいものがあります。

今の世の中は明治時代よりもはるかに研究環境がよくなったわけで、その分研究が進展したことはいうまでもありませんが、わが身を振り返ってみると、必ずしもそうではありません。どうして、僕の身についたサボリ癖というのは、そこから脱却するのが難しいようです。便利な世の中になると、人は往々にして「安直」に走り「切磋琢磨」ということを忘れてしまうものなのでしょうか、もちろんこれは僕自身[僕だけ]に対する警醒の言葉ですが。

岡本綺堂の随筆を目にし、ついつい自分の学生時代のことを思い出してしまいました。

2009年5月28日 (木)

フェルプスが抱えた新しいメッセージ

経済学部講師 石坂友司

 オリンピック北京大会で前人未踏の8冠を達成した競泳のマイケル・フェルプス(米国)が、今月の競技会に登場し、5種目中2種目で優勝した。しかしながら、このニュースは2012年のロンドン大会に向けて順調なスタートを切ったというものではなく、過ちからの再出発を報じるものであった。今年の2月、彼は大麻吸引の疑惑が報じられ、米国水泳連盟から3ヶ月の出場停止と強化費支給停止処分を受けていた。

 フェルプスは昨年11月に行われた大学のパーティーで大麻を吸引したと報じられた(正確に書けば、通常大麻の吸引に使われるパイプに口をつけている写真が掲載された)。フェルプスは早々に不適切な行為であったことを謝罪し、事実上吸引を認めている。ただし、彼自身が吸引を明言していないこと、吸引器の所持だけでは罪にならないなどの理由から、警察は証拠不十分として立件を見送った。

 大麻は世界反ドーピング機関(WADA)の禁止薬物に指定されているものの、処罰対象となるのは競技期間中に陽性反応が出た場合だけに限られる。従って今回のケースはメダル剥奪の処置には当たらない。ではなぜ米国水泳連盟は上記のような処分を下すことができたのであろうか。連盟の言い分はファンや関係者を失望させたこと、だそうである。

 フェルプスは、金メダルを獲得した2004年のアテネ大会後に飲酒運転で逮捕された経歴をもつ。汚名を返上した北京大会の活躍によって、彼のもとにはスポンサーのスピードやオメガなどから約500万ドルの報酬が入ったと報じられている。今回の一件で、食品会社のケロッグが契約を更新しないことを決めたが、メイン・スポンサーの多くは契約を続行し、市場価値の低下はそれほどではないと言われる。その理由はどこにあるのだろうか。

 通常、スポーツ選手がスポンサーなどから高額な報酬を受け取るのは、クリーンなイメージを付与される対価であり、スポーツにもたされた象徴力の大きさ故である。従って、スポーツ選手の日常生活は厳格に管理され、スキャンダラスな存在であってはならない。陸上女子のマリオン・ジョーンズ(米国)がドーピング違反によるメダル剥奪と偽証罪で禁固刑に服し、財産と社会的名声の全てを失ったことは記憶に新しい。一方で、今回の報道があくまでも吸引疑惑とされているところに、彼のポジションを守ろうとする米国オリンピック委員会とメディアの意図が感じられる。大記録を打ち立て、米国の年間最優秀男子選手として選ばれたフェルプスは米国にとってはなくてはならない存在である。

 彼に求められるのは偉大なオリンピック王者にふさわしい清純で、模範となるロールモデルである。また、今回仕組まれたのは「過ちを改める王者」というメッセージである。東京とともに2016年のオリンピック招致を目指すシカゴは、フェルプスをリードサポーターに起用し、街中に巨大な絵が掲げられているという。スポーツの神話を保持しつつ、選手の名声をも確保した今回の米国の判断と新しいメッセージは、度重なるドーピング使用で失墜したスポーツ界の信用回復となるのか、面白い問題を提起していると言える。

2009年5月18日 (月)

Improve Your Life Choices with Knowledge

Daniel L. Gossman教授


World Financial Crisis

Global Warming

War on Terror

Swine Flu

Somali Pirates

These topics are among the headlines in today’s news.  No matter what your present opinion on these world issues is, you can and should learn more about them.  The more you learn, the better informed your opinion will be.  One huge source of information about such issues is the internet.  Recent studies show that around 90% of the information on the internet is in English.  That means that learning English is one sure way to find more information about issues that are and will impact your life.

You have a great chance here at  Kanto Gakuen University to learn English which will help you get the information you need.  You have teachers who can teach you the English you need.  You have access to English resources in the library that will open avenues to information that may be valuable to you.  You have access to the internet where even more information can be found.  And you have the time and youth to learn English well.

Start learning for your future now!  The more time you spend learning now, the better such broad knowledge will help you make better decisions for you and for those around you.